約束(無料で読めます)
あれは小学6年生の夏休み、ラジオ体操の後だった。皆んなが帰り、僕は玲香と二人で公園のブランコに揺られていた。
「来年中学生だね。ヨシキは部活何にするの?」
突然彼女が聞いてきた。長い髪が宙に舞う。眼下に見える海から潮の香りが鼻に付く。ひまわりが遠慮がちに揺れていた。
「バスケ部かな。仲の良い先輩が多いから」
「ふーん、じゃあ、私もバスケ部にしようかな。ヨシキいるから」
「馬鹿。男子と女子は練習別々だよ。それにそんな理由なら好きな部活選んだほうがいい。絶対後悔するから。でも別に玲香がどこの部活に入ろうが俺には関係ないけどさ」
何それ。玲香は笑って口にする。
僕と玲香の家は二軒離れただけで、生まれた時から一緒だった。母親同士が歳が近く、お互い初めての子供ということもあって、どちらの子供というわけでもなく助け合いながら双子のように育てられた。その分、いつも二人で遊んでいる僕たちを見ては、同級生達からは、まるで夫婦だなと言われてからかわれていた。まあそれも最初のうちで、今では当たり前のような空気になっていた。
「ねえ、ヨシキ。中学生になったら私達本当に付き合わない?どうせ好きな子いないんでしょ」
「いないけど、玲香のこともそこまで好きじゃないし付き合えない」
「何それ」
また同じ口調で彼女は言う。声は明るかったが今度は笑っていない。
正直、小学生だった僕には恋愛というものが分からなかった。彼女とはそれこそ双子のように育ってきたし、確かに他の誰といるよりも居心地が良かったけれど、それが恋とか愛とかなのか分からなかった。
沈黙が流れる。僕は気まずさを隠すために、ブランコを強く揺らした。無心に見ていた目の前の海と空が青く、境目が溶け合っているような錯覚を覚えた。しばらくギーギーと錆びた鉄の擦れる音が響いていた。
すると突然、ブランコが不規則な動きをした。
「ヨシキの馬鹿」
自分が乗っていたブランコを降りた玲香が、笑いながら僕のブランコを横から押し込んだのだ。戯けたような笑顔。ブランコは前後ではなく左右に捻ったようにバランスを崩した。
その瞬間、揺れた板が彼女の後頭部を強く直撃した。流れで数度ぶつかり、玲香は勢いで転がりながら倒れ込んだ。
「おい!大丈夫か!」
「ヨシキ、ごめん。ヨシキのこと好きだったから」
玲香は弱々しく呟いた。
それからの記憶が僕にはない。どうやって救急車を呼んだのか、玲香は運ばれていったのか、そこだけ記憶がすっぽりと抜け落ちたのだ。ただ記憶にあるのは、真っ青な海と空の色、潮風の匂い、ひまわりの黄色さだけが瞼の裏にこびりついていた。
そして残ったのは玲香の後遺症。下半身に麻痺が残り車椅子の生活を余儀なくされたのだ。
それからの僕は女子達から、人でなし、最低の男と言われるようになった。よく分からなかったが責任をとって玲香を一生幸せにしろというものもあった。
玲香の所には、最初何度か入院中にお見舞いに行ったが、彼女の口数は少なく、玲香の母親からももう来ないでほしいと言われるようになったいた。あんなに仲の良かった母親同士も数ヶ月後には挨拶すらしない関係になっていた。
それでも玲香はリハビリの甲斐もあり、短い距離なら杖をついて歩けるまでになったが、元の体に戻ることはなかった。中学生になってバスケ部に入った僕は、一部の女子達から、玲香にあんなことしておいてよくも楽しそうに運動部なんかに入れるわねと嫌味を言われるようになり、結局1年もしないうちに退部することになる。
玲香の方は、「もう言わなくていいから」と女子達に言うことがあったみたいだが、僕とは直接話すことはなくなっいた。
男子達との仲はちゃんと続いていたが、精神的に中学の3年間は地獄のような孤独を味わった。今まで玲香といた時間があんなに楽しく、とても大切なものだったことをやっと分かった。同情心からではなく、心の底から玲香のことが好きだったこと、そして現在進行形で好きなことを理解するのに時間はかからなかった。今らさ遅いことも。
そして僕は逃げるように同じ中学の人間が行かない高校を選び、その後地元を離れ東京の大学へ進学した。夏休みや年末年始もぼくはバイトのシフトを入れて地元に帰ることはなくなった。
玲香からの突然の手紙が届いたのは、僕が東京に来て3年目の夏だった。神田玲香という差出人の名前を見た瞬間、僕は怖さと喜びの入り混じった複雑な感情が一瞬で沸き起こり、手紙を握りしめて急いでアパートの部屋に駆け込んだ。すぐに封を開ける。
※
ヨシキへ
お久しぶりです。随分長いことヨシキの名前を呼んでなかったからすこし恥ずかしいです。東京での大学生活楽しんでいますか?ヨシキが笑顔で過ごしていることを望んでこの手紙を書いています。
それよりまずは謝らないといけませんね。事故のこと。私が原因なのに、皆んなからヨシキのせいにされて、ヨシキだけ責められて。あんなに明るかったヨシキの笑顔がなくなり、やりたかったバスケットも出来なくなったよね。女子からも避難ばかりされて、本当に辛かったと思います。本当にごめんなさい。
でもヨシキは一言も本当の事言わなかったし、私のことも責めなかった。何度もヨシキに謝りたかったのに、何度も友達に正直に言おうとしたのに、自分の身体に襲った事が怖くてどうしても私の口から言えなかった。本当に本当にごめんなさい。ヨシキの人生奪ったのは私。謝るだけじゃ足りないよね。でもどうしても私の気持ちをヨシキに伝えたくて、ヨシキと仲の良かった男子から住所を聞いてこうして手紙を書いています。
ヨシキが私のこと気にしないで生きてほしかったから。私という呪縛に囚われないでほしいから。ヨシキは何も悪くない。もう気にしないで下さい。
でも今は東京で楽しく過ごしてるかもしれないね。地元から離れて、私のことなんて記憶にもないくらい。こっちでは出せなかった笑顔いっぱいしてるかもね。だからこれはヨシキへの謝罪と同時に、私自身の最後の気持ちの整理の手紙でもあります。
ヨシキ、ずっとヨシキのこと好きだったよ。でもこんな身体になっちゃったし、中学の頃の状況はとてもじゃないけど言える雰囲気じゃなかった。言える立場でもなかったし。でもこの手紙をもってヨシキへの想いを断とうと思います。今までありがとう。こんなに好きな気持ちを与えてくれてありがとう。幼い頃からのヨシキとの想いで、ぜんぶ覚えているよ。幸せをありがとう。
ヨシキの優しい性格はどんな女の人でも分かってくれるから、自分に自信を持って人のためじゃなくて、今度は自分のために生きてください。それとももう東京で素敵な彼女を見つけたかしら。そうそう、知ってた?中学時代ヨシキを責めている女子の中で、ヨシキのこと好きだって悩んでいた子いたんだよ。それくらいヨシキは素敵な男性なんだからね。この私が好きになるくらいの。だからもう自分を責めないで、貴方の魅力を思い切り出して過ごしてください。
それから、もう地元で誰もヨシキのこと悪くいう人いないよ。長期休みの時は、安心して帰省してください。ヨシキのお母さんも心配してるみたいだから。
最後になりましたが、ヨシキ、今までありがとう、そしてごめんなさい。これからは思う存分ヨシキは自分の為の人生を歩んで下さい。
神田玲香
※
僕は泣いた。何度も何度も手紙を読み返した。玲香の書いた文字をなぞって。
何だよ、一方的に手紙を送ってきて。なにが東京で好きな人見つけてねだよ。好きなのは玲香なんだよ。玲香しかいないんだよ。手紙なんて返信するもんだろ。返事聞かずに何だよ。俺の気持ちくらい聞けよ。
僕はずっと泣いていた。嬉しいのかどうしたらいいのか分からない感情。
※
プルルゥー、プルルーゥ。
「あっ、店長ですか?夏休みのシフトなんですけど、急用が入ったので明日から1週間休み下さい。どうしても実家に帰らないといけない用事ができたので」
「おい、大丈夫か?お前泣いてるのか。何かあったのか?」
「はい、すみません。ヤバいことが起きたので、、、」
「分かった。理由はいいから、こっちは何とかするから気をつけて行ってこい!」
明日僕は久しぶりに地元に帰ろうと思う。そして玲香に初めて告白しよう。
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