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ヒトラーのための虐殺会議

私たちの「今日」と連続する2時間の会議


1939年に、イギリス、フランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が勃発しました。6年前の1933年にヒトラーが首相に就任してから目立ち始めたユダヤ人迫害が加速度的に苛烈かつ大規模なものになっていきます。その大きなうねりの中で一つの「ギア」になっただろう1942年の「ヴァンゼー会議」を描いた映画です。

精神的にきつそうだったので、観るかどうか直前まで迷いました。やはり目をそらせないと思って観ました。これは私が生きる「今日」と地続きの現実なのです。この映画の中に出てくる実在の人物たちが、実際に経験した2時間なのです。

2時間の会議で「処理すべき問題」として扱われるユダヤ人の命。会議に出ている人間たちの冷酷さや鈍感さを、現代に生きる私たちが非難するのは簡単ですが、人間の思考回路には実のところそれほどバリエーションがないのです。私たちが「踏みとどまる」ことができるかは、過去を知り、考え抜き、現在を悩みながら選んでいく、その営みにかかっている。辛いけれど、観るべきものを観たと感じました。

ホロコーストから歴史と教訓を学ぶためのブックリスト

「歴史は繰り返す」と言いますが、歴史を学ぶことで愚行の繰り返しを避けられると、わたしは考えています。いや、そう私は望んでいます。それがナイーブな望みということを知っていても。私がホロコーストを理解するために読んだ本を以下にまとめておきます。

ホロコーストの5W1Hを知る

ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 上下

20世紀の半ば(1933〜45)、ナチスとソ連の政権はヨーロッパの中央部で、およそ1400万人を殺害しました。犠牲者が死亡した地域は、ポーランド中央部からウクライナ、ベラルーシ、バルト諸国、ロシア西部へ広がっています。歴史上類をみない集団暴力に襲われたこの地域が流血地帯(ブラッドランド)です。

この本に書かれているのは、政治的意図のもとに決行された大量殺人の記録です。内容があまりにも苛烈すぎて、読んでいるうちに、何度も紙面から弾き飛ばされそうになりました。

ホロコースト = アウシュビッツという歴史認識を持つ人に、是非手に取ってもらいたいです。ホロコーストが起こったのはアウシュビッツだけではない。殺害の加害者はドイツ人だけではない。被害者は主にユダヤ人ですが、ユダヤ人だけではなかった。

ドイツのユダヤ人排斥が過激になりすぎて、ユダヤ人虐殺が起こったとか、そんな簡単な話ではないことが、よくわかります。そして、ティモシー・スナイダーは、1400万人という「数」となった犠牲者を人間に戻します。

ポーランド、ソ連、リトアニア、ラトィヴィア、ウクライナで命を奪われた人々が残した手紙、詩、生存者の目撃証言。犠牲者ひとりひとりの生が掬い上げられています。歴史の不合理に押しつぶされた人間に何が起こるのか、何を感じるのか。

正直、同じような歴史の不合理に直面したときに、自分が「人間」でいることができるのか不安になります。


ブラックアース ホロコーストの歴史と警告 上下


ホロコーストの5W1Hについて、一つだけが語られていない。とりかかっている作品(ブラックアース)では、最後に残ったもの、Whyを書くのです。

ブラックアース 下 211P

ホロコーストは何故おきたのか?このWhyの答えが、本書ブラックアースです。この本はホロコーストにまつわる、多くの人が持っているだろう誤解をことごとく解消していきます。

例えば、わたしは長らく「ヒトラーは狂人だった」と思っていたのですが、そうではありませんでした。ティモシー・スナイダーが本書で紐解くヒトラーの戦略やアイデアは、その根底にある反ユダヤ主義はおぞましいものであるし、絶対に受け入れらえないものなのですが、合理的で一貫性を持つ面もあるのです。

これらがどこに向かうか知っていて読んでいると、背筋が凍る思いがします。一方で経済的困窮にある人民が、彼の言説に陶酔・熱狂するのは理解できる程度には、合理性があるのです。

この本の終章は21世紀、わたしたちの世界に関して書かれています。戦争は土地や水、食料などのリソースの奪い合いによって起こります。現代でも起こる可能性は十二分にある。わたしたちが人間的に第二次世界大戦の時より進歩したかと言えば、その本質は変わっていない。

つまり、悲劇がふたたび起こる可能性はこの世に満ちている。そして、起こってからわたしたちにできることはほぼない。ホロコーストが起こった世界で自分が人間でいられるか。ええ、わたしは人間でいたいと思います。しかし現実的にそれが可能かはまた別の話です。要するにまあまず無理です。

「痛みと飢え」で動かすことができない人間などいない。これがわたしがこの本から学んだ教訓のうちの一つです。そのような環境で自分が人間であり続けられると想像するのは、スーパーマンになった自分を想像して陶酔しているのと同じです。

もう一つ、わたしがこの本から得た教訓は、「国家あっての個人」という考えです。すさまじい虐殺が行われた場所は、ソ連とドイツに連続して占領されたことで、国家破壊された地でした。国無きものの命は恐ろしく軽く扱われる。

歴史のうねりに飲み込まれた人間は非力です。対応できないリスクは回避するしかありません。そのためには、歴史から学び、いま自分がいる世界を少しでも改善しようと考えて行動すること。これが不可欠です。


危機に晒される現代のホロコースト理解


ホロコーストの真実 大量虐殺否定者の嘘ともくろみ 上下

アメリカのエモリー大学で現代ユダヤ史、ホロコーストを専門とするデボラ・リップシュタット教授によって書かれた、ホロコースト否定者の意図や手口に関する本です。

ホロコースト否定自体は、全く合理性のない馬鹿らしいものです。しかし、ホロコースト否定は反ユダヤ主義という古くからある偏見に根ざしており、偏見は論理や理性をまるで受け付けないのです。

理性が虚偽に常に勝つとわれわれは考えたがります。しかし、それはホロコーストから生まれた究極の教訓を無視することになります。理性的な話し合いや論議には、虚偽による攻撃に対して限られた防御力しか持ちません。

そしてこの虚偽が昔からの社会的、文化的現象に深く根ざしている場合は、特にこの傾向が顕著になります。なぜなら、理性と本能が人間の中でせめぎあうとき、本能が勝つことが多いです。このような虚偽は、人間の本能の近くにある感情を強く刺激するのです。

虚偽と非理性に取り込まれず、理性をもって真実を求める人間でありたいと思うなら、知識で武装する必要があります。この本を読むことで、事実を歪曲・拡散する手口、人々が何故それに取り込まれるかを知ることができます。


ご参考に英語版のリンクも載せておきます。しかし、この副題の"The Growing Assault On Truth And Memory"って、邦訳との温度差が凄いです。Assault って、アサルトライフルのアサルトです。


「それ」はどこから来たのか?

プラハの墓地

ホロコーストという歴史上稀にみる悲劇、そして後世におけるホロコースト否定という2度目の虐殺ともいうべき現象の原動力になる「反ユダヤ主義」。そもそも「それ」はどこから来たのか?と不思議に思ってこの本を手に取りました。

プラハの墓地は、反ユダヤ主義という、根拠なき憎悪がどのように生まれ、どのように拡散したのかが書かれた本です。具体的には、反ユダヤ主義を「シオン長老の議定書」という、人類史上最悪の偽書として具体化した人物の物語です。

「シオン長老の議定書」は、ユダヤ人が世界征服を企んでいるとするものです。それが偽書だと証明されているにもかかわらず、反ユダヤ主義者たちが、その主張の拠り所としています。

他の7冊と違ってフィクションですが、一流の作家の想像力というものを考えたときに、事実にかなり近いんじゃないかなと感じています。

作家の想像力、これは禅僧の南直裁さんのブログの内容ですが、要約すると、作家の高村薫さんの作品に、南さんををモデルにしたとしか思えないキャラクターが出てきたそうです。

修行の様子、立ち居振る舞いや、あだ名まで一緒。複数の関係者から「これはお前のことだろう」と言われる。ある日、南さんが高村さんに、直接「これは私をモデルにしたのですか?」と尋ねたところ、まるまる全部想像で書いたと答えられたそうです。

「驚くべきは一流の作家の想像力」と南さんは記しています。一流の作家が紡ぐ物語というのは、時に血肉ある人間を再現することがあるのです。


ホロコーストから教訓を学んで今するべきこと

暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン

「政治においては、騙された、というのは言い訳にはならない」

ポーランド出身の作家・哲学者レシェク・コルワコフスキの引用から始まるこの本は、「歴史から学び、いまそこにある危機を少しでも改善しようと考えて行動する。」ために何をするべきかが書かれた本です。

著者は、ブラッドランド、ブラックアースを書いたティモシー・スナイダーです。今の世界は、ナチスが台頭した1930年代といくつか共通点があると考える彼の危機感が表明された本とも言えるでしょう。

2016/11/8にドナルド・トランプが大統領になりました。同年11/16にティモシー・スナイダーがFaceBookに「こんにちの状況にふさわしい20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン」を載せました。この「暴政」の元となった文章です。

1930年代と似た「いやな感じ」が漂う現代において、われわれは歴史の誤りを繰り返さないように、大いに注意する必要があると思うのです。

無知・自分の頭で考えることを放棄することは、罪ですらあるとわたしは思います。なぜなら愚行の再来を目にして、傍観者であることは、愚行に加担することと同義だからです。そして、「ヒトラーはおおむね民主的な手続きを経て政権の座についた」(本書102P) ことを覚えておいて損はありません。

この本には暴政の再来を予防できる方法が書かれています。歴史に学び、その教訓を生かして、歴史的な愚行の繰り返しを避けたいなら、読むべき本だと思います。ご参考に本書の目次を載せておきます。新書サイズの薄い本なので、ぜひ手に取ってみてください。

忖度による服従はするな 組織や制度を守れ 一党独裁国家に気をつけよ シンボルに責任を持て 職業倫理を忘れるな 準軍事組織には警戒せよ 武器を携行するに際しては思慮深くあれ 自分の意志を貫け 自分の言葉を大切にしよう 真実があるのを信ぜよ 自分で調べよ アイコンタクトとちょっとした会話をなまるな 「リアル」な世界で政治を実践しよう きちんとした私生活を持とう 大義名分には寄付せよ 他の国の仲間から学べ 危険な言葉には耳をそばだてよ 想定外のことが起きても平静さを保て 愛国者(パトリオット)たれ 勇気をふりしぼれ

「11 自分で調べよ」から少し引用します。

出来事の有り様と意味と定義しようとするには、言葉とコンセプトが必要になります。言葉とコンセプトというものは、わたしたちが視覚的な刺激で恍惚となっていると、わたしたちをすり抜けていってしまうのです。

インターネット上の断片的な情報は、他で発展させた知力を活かさないかぎり意味をもたないとティモシー・スナイダーは言います。自分で考える力は養うには、インターネットでなく読書が必要なのです。

知力を持つことは、既存のシステムに懐疑を抱くことを可能にします。知らぬ間に誰かの意図に従って生きていくより、自分の自由に生きたいと思うなら、ぜひ「暴政」を読んでみてください。