ドライブ・マイ・カー
今年で45歳になる。
都内で会社員をしていて、年収も飛び抜けて高いわけではないが、そんなに低くもない。
何社か転職し、営業からマーケティングや商品開発みたいなことをしている。
数日前、仕事に関するモチベーションがぷつりと糸が切れるみたいに無くなった。
パソコンを前に、やる気というものが枯渇してしまったみたいに。
村上春樹をよく読んでいたのは、
大学生入学のため、上京したばかりで、
話す相手もいない。そんな頃。
あれから20年あまり経って、再び
村上春樹を読もうと思った。
TVで『ドライブ・マイ・カー』のカンヌ国際映画祭での受賞を知り、原作『女のいない男たち』をKindleで買って読んだ。
3時間の映画だったが、原作は45ページの短い話だ。
6つの短編の全ては、タイトルのとおり、
目の前から女がいなくなった男の話。
ドライブ・マイ・カーは、妻を病気で亡くした男の話。
原作では、子宮がんだったが、映画では、クモ膜下出血となっていたり、浮気現場を目撃したりと設定の端折りがあるものの、丁寧に作られていると思った。
ちなみに、車(スウェーデン製のサーヴ)は、黄色ではなく、赤色である。
夫を愛していたにもかからず何人もの男と浮気し、その秘密(理由)を持ったまま急逝した妻。
浮気の事実を知りながらも、妻を責めることができずに、二人の関係を保ち続けようとした夫。
男女…喪失と再生。
村上春樹は、そういう物語がとても得意だと思う。これは、個人的な意見だけれど。
この物語に私が惹かれたのは、
私自身が、主人公に似ていると思ったからだ。
俳優でもなく、妻を亡くしたわけでもない。
そして浮気をされたこともない。(たぶん)
ただ…なぜ、主人公の妻が他の男に抱かれていたのか。それが気になっていた。
その答えはあっけないもの。
原作だけではわからなかった。
映像を通してなら、理解できるかもしれない。そんな気持ちがあった。
男は、女に対して、特別な存在であると思ってしまうが、それは本能的なことや、性別の違いだと、思うようにしている。
恋やら愛やら、そんなものに執着することは、幼いとされている。
そして、もてない奴と烙印を押されてしまう世の中だ。
だが、小説や映画の中には、それが残っている。一人ひとりの生や想いが浮かび上がっている。
邦画は、洋画と比べると暗い話の方が多いのだが、表現者は、それを浮かび上がらせたい。表現者には、そういう人が多いのではないか。などと思う。
村上春樹というひとは、何故、このような作品を書けるのだろうか。
ドライブ・マイ・カーは、一人で見たい映画だ。それも、心のなかにある寂しさを取り出して、眺めたい人にはおすすめしたい。
そして、映画を見ながら。
価値などないにも関わらず、自分の気持ちを言葉にして、どこかに残して置きたいと思った。
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