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ゆたかさのほんとの意味

専業主婦で、家建てて、専用の車買ってもらって。

まわりからは「いいよね〜」って言われることが多かった。

でも私はちっとも幸せを感じていなかった。
さもリア充な感じでSNSに投稿する夫が心底嫌だった。

毎日届く夫が買ったハイブランドの箱に疑問を抱いていたが、
あまりに毎日だと感覚が鈍るのか、もう何とも思わなくなっていた。


夫から人格を否定されまくった日々


結婚してからどんどん夫の会社の業績が上がっていった。
それはとても喜ばしいことなのだが、それにより夫のモラハラが発生し、
何かにつけて「俺が稼いでやってるんだ。お前は生産性がないくせに。」
などと人格を否定されまくり、
自宅で仕事をしていた夫は、自分が仕事をしている時に私が遊びに行くことは
嫌だと言っていた。
生活の100%を夫に合わせていた。

元々自由気ままに生きていた私はその事態に面くらい、
今自分が置かれている状況が普通ではないということが判断できなくなっていた。

ハイブランドの箱が毎日届くと何とも思わなくなるように、
否定され続けると脳が麻痺し、何とも思わなくなる。
何とも思わなくなるというか、変だな?とか思ってはいけないと
思うようになる。

私がいけないから夫からこんなことを言われるんだ。

そう思うようになった。
それは自分を守るためだったとも言える。


なぜ夫はモラハラをするようになったのか


それは彼の幼少期に原因があった。

稼がないお父さん、家を守るために一生懸命に働くお母さん。
そのお母さんに暴力を振るうお父さん。
それを見て育った被虐待児の夫。

ここが彼が人一倍お金に執着がある原因。
そして、被虐待児として育ち、結婚して自分のパートナーに
お父さんと同じことをしていたのだ。

なぜこれがわかったのかというと、浮気が発覚して体調を崩した私がカウンセリングに通い出したから。
やり直したいと言っていた夫も同じカウンセラーのところに通い始めた。

その事実に自分でびっくりしていた。

今までお付き合いをしてきた女性にも同じく力でねじ伏せようとしていたらしい。
(ちなみに暴力は振るわない。あくまで精神的暴力。)

その生い立ちはかわいそうに思うが、だからと言って私が犠牲になる必要はどこにもなく、治療者ではないので夫を変えようとか傷を治そうとかそういうことはできないのだ。


お金=豊かさ?


そりゃお金はないよりあった方がいい。

私は玉の輿に乗ろうなんて思ったことはこれっぽっちもなくて、
普通に生活できればいいやぐらいに思っていた。

実際、結婚してすぐに住んだ築40年オーバーの木造2Kの平家はとても住み心地が良かった。
暑い夏の日の夕方に小さな庭で七輪でBBQしたり、花火をしたり、
夜になると虫の声が聞こえたり。
小さな幸せがたくさんあったように思うし、あの頃が懐かしい。

私も20代前半の若い頃はハイブランドのバッグや靴が欲しくて憧れたり、
高い化粧品を使っていたものだ。

モラハラな夫もたまに私にもハイブランドのものを買ってくれた。
浮気がわかってからは特に買ってくれた。

でも、それらを身につけても心が満たされることはなかった。
あんなに憧れていたものなのに。
何でだろう。
持っているとソワソワして落ち着かない。
というか、愛情が湧かないのだ。

ハイブランドのものを身につけるのが悪いとかそういうことではない。
本当に欲しくてたまらなくて買ったものは愛情がわいて大切に使うと思う。

私は気づいたのだ。
本当に人に必要なものは何なのか。
本当のゆたかさとは何なのかを。


私の人生において大切なもの


この短かった結婚生活で何を学んだかといえば、
「私」の人生において大切なものは何かということ。

私の人生で大切なもの、それは愛だ。

そんな綺麗事、と言われるかもしれない。
でもこれだけは確信を持って言える。

そして、もう一つ。

それは自由。

自由を奪われ、誰かにコントロールされて生きることが
これほどまでにツラく苦しいものだとは思わなかった。

私は水溜りで溺れそうになっていた。
自分がどんな状況に置かれているかが見えなくなっていたのだ。
水溜りで溺れることなんてないはず。
冷静になって、立ち上がってみた。

立ち上がり、1歩踏み出せば水溜りからは抜け出せた。
コントロールという恐怖から距離を置くことができた。
こんな簡単なことができなくなるぐらいコントロールとは恐ろしいものなのだ。

もしこの結婚がなければ、モラハラを受けなければ、
私の人生において大切なものの存在や、本当のゆたかさのことなんて
考えなかったかもしれない。

心が愛で満ち溢れ、本当に自由に生きられる。
これ以上にゆたかなことがあるだろうか。

私はもう安心で安全な世界にいる。

人生に失敗や間違いはない。
いつの日か夫への恐怖や怒りは愛へと変換し、感謝を伝えられる日が
来るのではないだろうか。

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