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誰かのために

こんばんは。
今年のクリスマスも強制的にバイトのシフトを入れられそうな福永です。

今日は前回のnoteで告知させてもらった、尊敬する歴史上の人物を紹介させてもらいます。

頑張って短くしたんですが、、、、
また、少し長いです。😢

良かったら読んでください!

たくさん紹介したい人いるんですが、書こうと思ったらめちゃくちゃ長くなったので、そのうち1人挙げます。

それは、栗林忠道です。

突然ですが、皆さん太平洋戦争が終わってから、何年が経ったかご存知ですか?

今年の終戦記念(8月15日)で、73年が経ちました。

戦争中の真っ只中に生きていた人たちは、すでに高齢化や被爆などによりほとんどの方が亡くなられていくという年月が経っています。

自分は広島出身ということもあり、戦争のことについては自分自身絶対に忘れてはいけないという思いがあります。

しかし、地元を離れ、今暮らしている神奈川で戦争のことについて聞くと、終戦がいつなのか分からないという人がたくさんいました。

このように時代がどんどん経つにつれて、人は次第に忘れていくんだなと実感しました。

今日は終戦記念日でもなんでもないんですが、紹介するにあたって、覚えておいてもらいたいと思い書きました。

今日1番伝えたいのは、日本という国が参加した“戦争”というものを「絶対に忘れないでほしい」ということです。

この時代ネットで調べれば簡単に知ることができます。しかし、この場合ほとんどの人はすぐに記憶から無くなることがほとんどです。
なので、実際に平和記念資料館などを訪れ、自分の肌で感じたり、自分の目で当時の物や様子を見ていただければ、そう簡単には忘れられないと思います。

広島にある平和記念資料館は、入って早々に衝撃的な模型が置いてあります。
それを見て泣く子がいるほど強烈なものです。

二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、是非足を運んでもらえたらなと思います!

前置きが長くなってすみません💦

戦時中こんな人がいたんだ!という感じでさくっと紹介します!

~栗林忠道~

栗林忠道は、太平洋戦争末期の激戦地·硫黄島の総指揮官として二万余の兵を率い、かつてない出血持久戦を展開した陸軍中将です。

彼の何が凄いのか?というのは、
彼は、『五日で落ちる』と言われていた硫黄島を三十六日間(1ヶ月以上)にわたって持ちこたえた所です。

これは、兵士を簡単に死なせに行くようなことはせず、頭脳をフルに使った戦い方をした結果だと思います。

硫黄島での戦いは、食料、水、兵器、兵士と全てにおいて乏しく、さらに戦うには難しい場所でした。

彼は、地下に陣地を造りゲリラ戦で対抗するという戦法をとりました。

戦力差で見ると、日本軍二万に対し、米軍六万。さらに後方には十万の支援部隊といった最悪の状況でした。

彼は、指揮官でありながら、どんなに苦しい状況でも、当時主流だった、バンザイ突撃(死を前提に敵軍に突っ込む)事を禁止したり、贅沢をせず、部下である兵士と同じものを同じ量だけ摂取するといった、異色の指揮官でした。
全ては、本土で暮らす普通の人々の命を1つでも多く救うためだったそうです。

さらに、彼は戦争反対派の人間であり、日本軍を総指揮する大本営に対し、詩や手紙で何回も抗議したが、思いが届かないまま散った人物でもありました。

僕が彼を尊敬する理由は、自分が死ぬと分かっていても、兵士の命を大事にしたり、戦争に関係のない国民を多く守ろうとした、彼の行動に胸を打たれたからです。

勝つことよりも、負けないこと。

自分たちだけの命で、多くの人を救う。
どれだけの死者を出さずに終戦へともっていけるかという素晴らしい考えを持った人だと思いました。

もし、彼のような戦争を止めようという思考を持ち、誰かのために命を捧げようと考える優秀な人物が、大本営の中にたくさんいれば、戦争は起こらなかったかもしれません。

世の中から戦争がなくなり、みんな平和に暮らせる時代になっていってほしいです。

今回も長くてすみません💦

次回はもっと短く、そして面白いものが書けたらなと思います🙌😊

最後に、是非下の写真の本を読んでもらえたらなと思います!笑

#国際協力
#npo
#ひろしま
#栗林忠道


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