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『おくのほそ道』を詠む④


仏五左衛門

卅日、日光山の梺に泊まる。

あるじのいいけるやう、「わが名を仏五左衛門といふ。よろず正直をむねとするゆえに、人かくはもうしはべるまま、一夜の草の枕もうとけて休みたまへ」といふ。

いかなる仏の濁世塵土に示現して、かかる桑門の乞食順礼ごときの人をたすけたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめてみるに、ただ無知無分別にして、正直編固の者なり。

剛毅朴訥の仁に近きたぐひ、気禀の清質もっとも尊ぶべし。


日光

卯月朔日、御山に詣拝す。

往昔この御山を二荒山と書きしを、空海大師開基の時、日光と改めたまふ。

千歳未来をさとりたまふにや。

今この御光一天にかかやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏なり。

猶憚多くて筆をさし置ぬ。


あらたうと 青葉若葉の 日の光


黒髪山は霞かかりて、雪いまだに白し。

剃捨て 黒髪山に 衣更 (曽良)

曽良は河合氏にして、惣五郎といへり。

芭蕉の下葉に軒をならべて、よが薪水の労をたすく。

このたび松島・象潟の眺ともにせんことを悦び、かつは羈旅の難をいたはらんと、旅立つ暁髪を剃りて墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。

よって黒髪山の句あり。

「衣更」の二字力ありてきこゆ。

廿余丁山を登つて瀧あり。

岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落ちたり。

岩窟に身をひそめ入りて瀧の裏より見れば、裏見の瀧ともうし伝えはべるなり。


しばらくは 瀧に籠るや 夏の初

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芭蕉がもっとも尊ぶべしと言われた、剛毅朴訥・生まれ持った清質と聞いて想い出されるのは、秋田の田舎の人達だ。

前にも書いたが、小学生までは、夏休みになると秋田の伯父の家で過ごした。

秋田の親戚は皆、どっしりとしていて、飾り気がなく、無口な人が多かった。

伯父も絵にかいたような真面目な人で、「〇〇ちゃん、伯父さんはなぁ~」という語り口でいつも話すのだった。

なかなか都会では、伯父さんのような人は見ない。

ある時、伯父の家から少し離れた銭湯に行ったことがあるのだが、ロッカーを使い終わって、100円の払い戻しをしたときに、ふっと他のロッカーを見ると、払い戻しの100円がそのままになっているロッカーだらけだった。

わたしは、弟と根こそぎ100円を取り、喜んだ!

こういう人柄は、やはりのんびりとした環境でないとつくられないと思う。

あとは、自然が身近にあることだ。

芭蕉は、ただ句を詠んでいるだけではなく、自分の意志や想いを叩き込んでいることを知った。

都会の暮らしの中で、芭蕉の様な句が詠めるのだろうか?


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