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『おくのほそ道』を詠む⑤


那須

那須の黒ばねといふ所に知人あれば、これより野越にかかりて、直道をゆかんとす。

遥に一村を見かけて行くに、雨降り日暮るる。

農夫の家に一夜をかりて、明くればまた野中を行く。

そこに野飼の馬あり。

草刈る男の子になげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。

「いかがすべきや。されどもこの野は縦横にわかれて、うゐうゐしき旅人の道ふみたがえむ、あやしうはべれば、この馬のとどまる所にて馬を返したまへ」と、かしはべりぬ。

ちいさき者ふたり、馬の跡したひて走る。

独は小姫にて、名をかさねといふ。

聞きなれぬ名のやさしかりければ、


かさねとは 八重撫子の 名成るべし(曽良)


やがて人里にいたれば、あたひを鞍つぼに結付けて、馬を返しぬ。


黒羽

黒羽の館代浄坊寺何がしの方におとずる。

思ひがけぬあるじの悦び、日夜語りつづけて、その弟桃翠などいふが、朝夕勤めとぶらひ、自の家にも伴ひて、親族の方にもまねかれ、日をふるままに、日とひ郊外に逍遙して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて玉藻の前の古墳をとふ。

それより八幡宮に詣ず。

与一扇の的を射し時、「べっしては我国氏神正八まん」とちかひしもこの神社にてはべると聞けば、感應殊しきりに覚えらる。

暮るれば桃翠宅に帰る。

修験光明寺といふあり。

そこにまねかれて行者堂を拝す。


夏山に 足駄をおがむ かどでかな

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やはり、芭蕉の俳句には、深い深い心の声が響いています。

足駄で山を越えるなどの、命懸けの旅、挑戦、生き様をしてこその句。

わたしが想い出されるのは、子供の頃、家族で近くの川に遊びに行ったときに、反対側に渡ることになって、コンクリートで出来た川底を渡ることになったのだが、サンダルだったので、苔が生えていて非常に滑りやすく、命懸けだった。

すぐ近くには、段差があり、滝つぼになっていたので、流されるわけにはいかなかった。


流される わけにはいかず 神頼み


そんな心境だった。

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