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争いの起源についての考察


小学5・6年生のとき、わたしには親友が一人いた。

クラスメイトのほぼ全員(男だけ)と仲が良く、一緒に遊んでいたが、彼は特別だった。

お泊り会なるものをやったのも、彼が最初で最後だった。

彼は、マンションに二つの家を持っていて、そのひとつで、布団に入りながら、夜中まで一緒にTVゲームをやっていた。

そういう間柄だった。

でも、ある日、彼と喧嘩をした。

学校の家庭科の時間に、彼と、多分他の生徒は女の子だったと思うが、そのメンバーで料理を作っていて、一応リーダーだったわたしは、彼が勝手に調理を進めてゆくことが許せなかった。

自分でも驚くが、その当時は、「俺がリーダーなんだから、俺の言うことを聞け!俺が全部指示をするんだ!勝手にやるな!」と感情を大爆発させた。

彼のことは、大事な存在だったはずなのに、上手くやれなかった。

この頃の自分は、父親そっくりだったと思う。

わたしの父親も、実力がないのに見栄を張って、一番になろうとするところがある。

親戚以外の集まりの場で、自分が一番でない状況だと、そわそわしだすのだ。
「さぁ、大変なことになったぞ」といわんばかりに。

クラスメイトにわたしと少し似た子がいて、彼の家に遊びに行ったときに、彼の父親がいて、わたしの父親と印象がそっくりだったのを覚えている。

多分、生まれ持った遺伝子と教育が関係しているのだと思う。

あとは、男であるということだ。

女の子が、殴り合いの喧嘩をしたり、掴み合いの喧嘩をしたことなど、見たことがない。

ひとり、女の子だが、男の子みたいなクラスメイトがいた。
雰囲気が、他の女の子とまったく違うのだ。
小学生の頃は、少年野球を下手なりにやっていたのだが、他のチームと試合をしたときに、見たことある顔のピッチャーがいるなと思ったら、彼女だった。

女でもそういう例外はある。

だが、普通、戦争は男が引き起こすものだ。

男=支配するもの、だとわたしは定義している。

これはしかし、その気持ちがないと、生命は絶滅の道を辿ってゆくと思うし、宇宙全体の側からみれば必然だ。

でも、限度っていうものがある。

動物界ならまだしも、人間界で男、あるいは、男の要素を持った女が、オスの本能を全開にしてはいけないのだ。

人間社会の秩序を保つためには、女が賢くならなくてはならないのだと思う。


むかし、印刷会社で働いていたときのことだが、納得のいかないことがあって、今でもそれは、わたしの中で問題になっていることがある。

年始が明けて、会社に出勤し、朝の朝礼までまだ時間があったので、一服しようとして、喫煙する場所に向かおうとしたら、遠くから責任者のSさんが大声でわたしを呼びつけた。
わたし以外にも二人呼び出していた。

なんだろう?と思っていってみたら、会社に来たら真っ先に俺のところに来て、挨拶をしないと駄目だ、ということだった。

誤解されたくないのだが、この責任者のSさんは、いい人なのだ。

普段は仲良くやっているし、尊敬もしている。

だが、この時は、違和感を覚えた。
ちゃんと年賀状だって送ったし、なんでこんな奴隷みたいな気分にさせられなくてはならないのだと。

朝礼のときに、皆さん今年もよろしくお願いします、で済む話しだ。

社長のKさんでさえしないことを、なぜあんたがやるんだと、憤った。

いつだったか、喫煙所で、休憩時間に一服していたときに、Sさんが同僚に向かって、「俺も社長になりたいよ!」と強く吐露していたことが思い出される。

Sさんは自分は偉いのだ、という幻想をみんなに植え付けようとしていたのだ。

わたしも含めて、男ってそういう性分なんだと思う。

この時、わたしとSさんで争いにはならなかった。
なぜなら、力の差が歴然としてSさんにあったからだ。

Sさんは、自分で自分のことを、俺は偉いんだという妄想を強く抱いていて、それを強制的に伝えていたが、そのなんの根拠もないことを批判するだけの”知”が、わたしには当時なかった。

こういう無知が、支配欲の強いひとを、より強くしてしまうのかもしれない。

アフリカのルワンダで起きた、ジェノサイドは、教育を受けなかった者は、簡単に奴隷になってしまうことを意味している。


一度だけ女性しかいない、職場で働いたことがある。

印刷会社を辞めたあとで、前々からどうしても、ヨーカドーで働いてみたいという願望があって、アルバイトでヨーカドー内の清掃をやったのだ。

そこでは、男がいる環境では起きないことがあった。

早朝の仕事が終わって、帰ろうとしたら、事務所でお茶を出された。
お茶を飲んでいる内に、今度は大量のお菓子を出されて、食べていけということだった。

その内に、お茶会が始まった。

こんなことを毎日していたら、多分争いは起きにくいと思う。
和やかなのだ。
それにお菓子は甘い。

そこで働いている女性は、みんなわたしより遥かに年上の方たちばかりだったが、ひとりだけ妙に気になる方がいた。

その方だけ、なにか放つ雰囲気が違うのだ。

他のひととは、絶対に相いれない、なにかがあった。
今思えば、それは、やはり支配欲だったと思う。

そういうひとは、なんにでも、順位をつけたがる。
一番若い主婦の方に対して、支配をするように接していたと思う。

その職場では、そのひと以外からは、争いが起こりようがなかった。


人間が支配できるのは、みんな、自分の体のみだ。

支配されている状況がある場合は、それは誰かしらの策略なのだ。

ただ、この世界はどうやら、いいにしろ、悪いにしろ、もっとも頭のいい者が支配をするという形になるらしい。

もっとも賢い者が、もっとも”自己”を捨て去ることのできる人格者であることを願うばかりだ。


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