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scoop_kawamura
『おくのほそ道』を詠む③
草加
ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚ただかりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨みを重ぬといへども、耳にふれていまだに目に見ぬ境、もし生て帰らばと、定なき頼みの末をかけ、その日ようよう草加といふ宿にたどり着きにけり。
痩骨の肩にかかれるもの、まずくるしむ。
ただ身すがらにと出で立ちはべるを、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路頭の煩いとなれるこそわりなけれ。
室の八島
室の八嶋に詣す。
同行曽良がいわく、「この神は木の花さくや姫の神ともうして富士一躰なり。
無戸室に入りて焼きたまふちかひのみ中に、火火出見のみこと生れたまひしより室の八嶋ともうす。
また煙を読習しはべるもこの謂なり」。
はた、このしろといふ魚を禁ず。
縁記のむね世に伝ふこともはべりし。
糸遊に 結びつきたる 煙かな
(『おくのほそ道』に収まっていない句)
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やはり、芭蕉の視点は面白い。
糸遊(陽炎)に煙を見るなど、わたしには絶対にできない。
”動き”に共通点を見るところが斬新だ。
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