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世間知らずな私。

今月誕生日を迎え新たな気持ちでスタートを切ったわけですが、私自身の事について今日は少し書いてみようかなと思います。
興味のある方はこのまま読んで下さると嬉しいです。

私は大阪府の堺市に生まれました。
今年38歳。
3人兄妹の真ん中っ子。
性格は真面目とよく言われます。
ゲラで好奇心旺盛。自由人。
クリエイティブな事が好きで人に喜んでもらう事が好き。
面倒くさがりで寂しがり屋な一面もあります。

30代になってから地元大阪を離れ、上京しました。
今になって最近よく思う事は、「私は世間知らずだな」と。

私はこれまで箱入り娘だと言われるくらい、家族や親戚に守られて育ってきました。
親戚一同教師や市役所で働く公務員家系。
幼少期から箸の持ち方などのテーブルマナーを厳しく教わり、左利きを右利きに矯正したり、嫌いな食べ物を克服する為祖父母の家に通ったりしていました。(当時牛乳が嫌いだったけどひたすら飲んで克服しました。トマトだけは未だに苦手。笑)
高校生までは部活に一直線。休むことなく毎日バレーボールに明け暮れました。
大学生になって初めてアルバイトをしましたが門限があり、夜10時以降働くのは禁止。基本的に友達や彼氏の家にお泊りも禁止。
大学が片道2時間半以上もかかる神戸まで通っていて、一人暮らしがしたいと懇願したこともあったけど「危ないから(心配だから)」という理由であっさり却下。結局4年間大阪から通い続けました。
両親は心配だからという理由で「あれもだめ。これもだめ。」というのがあり、それが私には窮屈で仕方がなかった。
門限なく働いている年下の後輩や一人暮らしをしている同級生、彼氏と旅行に行ったり同棲している友達がとにかく羨ましかった。
門限のせいで友達との飲み会も先に一人だけ帰らなければならず、友達との距離感も自分だけ遠いような気がして寂しかった。
テレビもNHKとちびまる子ちゃん、サザエさんはOK。バラエティー番組はVS嵐ならOK。それ以外のバラエティー番組は「アホになるから観るな」と言われていたので流行りのものや芸人さんもわからないから友達との会話にもついていけなかったことも度々ありました。
だから自分の部屋にテレビが観れるようになってからは晩御飯の後すぐ自分の部屋に閉じこもるようになりました。

当時の私は、
「もっと自由になりたい。」
その気持ちが強くて早く家を出たいと思っていました。
アルバイトでお金をコツコツ貯めて事後報告で家を出ました。
相談したら絶対反対されると思ったから言えなかったのです。
恋愛面に関してもたびたび反対されていたのでコソコソやってました。
友達の家に泊まると嘘をついて彼氏と旅行に行ったり、当時反対されていた彼氏と駆け落ち同然で親に何も言わずに埼玉に引っ越したり。(引っ越した後すぐ罪悪感に苛まれ戻りましたが。)
今思えば無茶苦茶な事をしていました。

干渉されるのが嫌で親のレールに敷かれた道に進むのが嫌でした。
親の理想は、「実家の近くで安定した職業の人と結婚して子供を産んで幸せな家庭を築いてほしい。結婚しないにしても教師みたいな安定した職業に就いてほしい」と願っていました。
でも私は全く逆の方を行きました。
教員免許も取ったけど教師になりたいとは思えずサービス業に就きました。
サービス業も「休みも不定休だし人に頭を下げる仕事なんて」と良く思われていませんでした。
役者も絶対反対されると思っていたので内緒で劇団に入り、5年くらい経ってから初めて両親に打ち明けました。

親が私の事を思って色々してくれていたのはわかっていたので、「なんで私は親の希望に応えられないのだろう?」と悩んだ時期もありました。
親が思うようなごく一般的な幸せの形になりたいとは思っていませんでした。
もっと広い世界で生きていきたい。女だからって家庭に入る事だけが幸せとは限らない。パートナーがいなくても子供がいなくても幸せな人はいる。
もっと自由に生きていいんだ。
そんなふうに考えていました。

だけど、心配かけるような事ばかりして親にとって自分は迷惑な存在でしかないのでは?何がしたいのかもよくわからなくなって自分は一体何なんだろうと自分について考えるようになりました。
なるべく親に心配をかけさせないようにと悩みがあっても相談せず本当に辛くなった時だけ話すようになりました。

何か生きづらさを感じていて、でもどうしていいのかもよくわからない。
自分の事を理解してほしいと恋愛でそれを埋めようとしていた部分もあったかもしれません。

今思えばこういう過程があったから役者という職業に興味を持ったのかもしれない。
自分にはない考え方や価値観、外見、性格、生き方を自由に表現できる。
誰かの人生を演じるのが楽しい。
それが今にも繋がっているのかなと思います。

結構親の事を色々書きましたが、親にはとても感謝しています。
窮屈だの干渉は嫌だの思っていましたが、経済的な面で苦労する事なく大学まで行かせてもらいました。
大阪で一人暮らしを始めた時も野菜とかお米とか食糧を沢山くれて家を出た後もなんやかんや助けられている事が多いです。

家を出て自立したつもりでいても、決してそうではない。
上京して全く違う環境に身を置き、色んな事を自分一人でやるようになってから知らなかった事が本当に多くて、今まで守られて生きてきたんだなと感じています。
この歳になってこんな事も知らない、あんな事も知らない、情けなーって思う事もありますが、少しずつ知っていけばいい。
知らなくていいこともあるし、全てを知る必要もない。

まだまだ世間知らずな私だけど、少しずつでも成長していけたらと思います。


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