儀式は全て終わった

先日、父が亡くなって49日を迎えるにあたり、納骨してきました。両親の終活について振り返ります。

父の口癖

両親の口癖は「嫁に行った娘はもう他所の家の人だから、老後の面倒はかけない」でした。
10数年前に私が最初の結婚をした時点で娘は全員嫁に出ていました。息子は我が家にはいません。

両親は娘が3人と確定した私が生まれた52年前の時点で、老後は自分たち2人で生きていく覚悟をしていたようでした。そんな雰囲気の2人でした。

葬儀

葬儀は既にTVのCMもやっている大きな互助会に入っていました。2人で見学会に行き、決めてきたと聞いた記憶があります。その際、遺影撮影会があり、互助会の契約書と共に写真が残してありました。両親が施設に入った時点で実家払いをしたので、その時に一連の書類を確認。互助会にも連絡し、万一の時にどうすればいいのかも確認済みだったため、滞りなく終わりました。

ただ、遺影は迷った挙句に撮影会のものとは別のものにしました。撮影会のものは確かにきちんとしていたけど、ちょっと難しい顔をした父でした。もっと柔らかく笑った顔がいいと感じ、とある年の正月私と並んで写っていた写真を選びました。いくつかの候補があった写真の中から、母にどの父の顔が好き?と聞き、選んだ一枚。母は覚えていなかったけれど、その写真は母が撮ったものでした。つまり母に微笑む父の顔を、母は無意識に選んでいました。

両親は納骨堂の権利を生前に購入していました。場所は実家から車で15分程のところ。私に「あなたも入れる」と笑っていたその墓は、母が以前話していた内容と契約が違うように思われ、もしかして両親が分からないことをいいことに、坊主に騙されてないか?!と不安になったのですが、墓の契約をした際に発行された領収書と共に、母の自筆で契約内容と経緯が綴られたメモが出てきました。寺の言っていることと完全一致していたそのメモのおかげで、もやもやも払拭。

戒名

別エントリーで書きましたが、戒名講習会に参加し、自分を振り返っていました。おかげで私たちから見た父と、自己分析は少し違うこと、幼少期の知らされていなかった経験なども分かりました。10年以上前に書かれたその内容をしっかり保管していた寺のおかげで、父と私たちの共同作業がなされ、最終的には私たちが父の新しい名前を命名しました。

生命保険

大きな遺産はなく、施設の入居費や医療費が高額で姉妹で負担をしていた我が家。父は80代になるまで働いていたので、多少お金があると思い込んでいたけれど、貯金はほぼ無し。生命保険は85歳以降死亡時にしか出なくなっていたので気にしたことがなかったけれど、先日死亡保険金が下りました。父の施設入居期間の差額や葬儀費用はこれで賄えました。今後の母の生活費も父の遺産である遺族年金と生命保険の残りで、何年かは大丈夫そうな気がします。

終活って?

父が亡くなってみて、両親の口座に貯金が無かった理由は、互助会や墓、生命保険といった自分たちが亡くなった時のために準備していたためだった、と気づきました。私たちは父の意志を残された状態から紐解き、ほぼ悩まずに進むことが出来ました。今後、母が父のもとに行く日が来たとしても、おそらくそれほど悩まずにやれるんでしょう、経験しているので。

きっと両親は、娘に世話をかけたくないという思いで準備したのであろうこの終活。有言実行だったと改めて感じるひとときでした。

果たして父が主導したのか?いやいや、きっと認知症になる前の母が言い出したんだろうなと思うのですが、知らぬ間に夫婦で相談していたんでしょう。細かくは聞いていなかったけど、一番身近にいた私にちゃんと墓も互助会も準備していることを伝え、書類のありかも話してくれていたことは、ありがたかったです。

おつかれさまでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?