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 新型コロナウイルス感染が怖くない病気だとは言いません。

 私たちが大好きだった志村けんさんや岡江久美子さんやたくさんの方々の尊い命を奪った憎きウィルスです。

 でも、私がこのウイルスを【困った】【怖い】と思うのは、間違いなく別の理由です。

 スウェーデンのように、80歳を超えたら延命治療は公費適応ではありません!などとは日本では絶対言えないと思いますが、私はスウェーデンという国の【平等】の考え方には一理あると思っています。

 スウェーデンなど北欧の国々の【平等】の考え方の中には、

0歳の赤ちゃんがこれから生きて人生を謳歌する時間と、80歳以上の人が人生を謳歌して生きてきた時間

を比較して平等を語る考え方があるようです。

 ところが、日本人における【平等】は、何が何でも、【万人が同じ治療を施される権利がある】という方向性です。

 ですから、日本には医療崩壊を来たし医療機器や医療従事者の手が足りなくなっても、医療が受けられる人を選別する術はありません。選別するというシチュエーションそのものが生まれてはいけない国です。

 それはそれでその国の考え方なのですし、文化であり価値観であり、善でも悪でもありません。日本とはそういう国なのです。その【日本人が思う平等】を守るために政策が執られ、優先順位が決められるのです。その政策を執る人を選ぶのが我々の選挙です。

 だから政策が悪いとは思いません。ただ、その【平等】のために、ウイルスを過剰に恐れる年代と、経済活動のためには外出も致し方ないし感染は感冒の一種として受け入れるしかないと思う年代が、年代別に諍いを起こしてしまっている現状を、今後に向けてどう道筋をつけるのが正しいのかはもうよくわからなくなっちゃってるなぁと思うんです。もはや答えがわからない。

 

 我が家の場合。

 私たち家族が感染したら娘の行き場所はありません。障害者の入所施設やショートステイなどは濃厚接触者である障害者を受け入れてはくれないからです。

 それどころか、周辺で誰かが感染しているわけでもないのに、ショートステイなどは閉ざされましたし、地域によってはヘルパーの派遣を断られた視覚障害者(視覚障害のある方は触れる支援も必要で、ディスタンスが取れないことから)がいるとも聞きます。

 娘がお世話になっている支援者の方々は両手の指では足りません。その方々の後ろにどれだけの利用者さんがいるかと思うと、とてもじゃないけど出歩けません。感染なんてもってのほかです。

 なにより、母の私が感染したとして、理由次第では申し訳なくて街を歩けなくなってしまいそうです。それはいったいいつまで続くのでしょう。もうすぐ冬です。また感染はおそらく拡大します。果てしない自粛生活です。

 スウェーデンのように、『感染しちゃったよ』で済む世の中になればいいのに、と、心の底から願っている一人であります。

笑顔が増えるための活動をしています。 いただいたサポートは、稀少疾患であるアンジェルマン症候群の啓蒙活動、赤ちゃんから高齢者まで住み慣れた地域で1人でも多くの方が笑顔になるための地域活動の資金として大切に使わせていただきます(^^)