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フローレンス・ナイチンゲール生誕200年

 5月12日はフローレンス・ナイチンゲール(1820年5月12日〜1910年8月13日)のお誕生日です。

 ナイチンゲールと言えば言わずと知れた看護師の祖。近代看護教育学者であり近代看護教育の母とも言われています。

 今年2020年5月12日、つまり今日、フローレンス・ナイチンゲール生誕200年を迎えました。

 毎年5月12日は、本来なら『看護の日』として看護の啓発活動など全国で様々なイベントが行われます。今年はすべて中止ですが・・・

 先日記者会見された日本看護協会の福井トシ子会長もおっしゃっていましたが、世界中の人々が、今まさに未知なるウイルスと戦わざるを得ない対コロナの渦中にあって、ナイチンゲール生誕200年の記念すべき日が訪れていることに何某かの大きな意味を感じます。
 原点に戻るという大切さを教えてくれているように思います。


 看護学生ならいちどは必ず読んでいる『看護覚え書』というナイチンゲールの本があります。

看護覚え書―看護であること看護でないこと https://www.amazon.co.jp/dp/4874741428/ref=cm_sw_r_cp_api_i_NsoUEb4TCGJV4

 今改めて読んでみますと、まず、当時は読み飛ばしてしまっていた【まえがき】に、

 『この覚書は、看護の考え方の法則を述べて看護婦が自分で看護を学べるようにしようとしたものでは決してないし、ましてや看護婦に看護することを教えるための手引書でもない。これは他人の健康について直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で書かれたものである。(中略)日々の健康上の知識や看護の知識は、つまり病気にかからないような、あるいは病気から回復できるような状態に体を整えるための知識は、もっと重視されてよい。こうした知識は誰もが身に付けておくべきものであって、それは専門家のみが身に付け得る医学知識とははっきり区別されるものである。』

 と書かれています。(筆者所持は第5版)

 この本が書かれたのは1859年ですので、まだ、家庭の中で他人の健康について個人として責任を負う必要があったのは主に女性だったからこのように書かれているのだろうと思います。
 今はこの【女性】を【人々】に置き換えてもいいと思います。

 つまりこの本は看護師を目指す人向けではなく、広く一般的に社会で暮らし、家族や周囲の人達の健康を守る多くの人に読んでもらい知っておいてもらいたいと願って書かれたものだということです。

 なんと今この時に合った本なのだろうと思い、改めてもう一度読んでみました。

 目次だけ載せておきますので、興味を持たれたらぜひ読んでみてください。

看護覚え書 -目次ー                        序 章 
 Ⅰ.病気とは回復過程である
 II.健康人の看護もほとんど理解されていない
 
1.換気と保温
2.住居の健康
3.小管理
4.物 音
5.変 化
6.食 事
7.食物の選択
8.ベッドと寝具類
9.陽 光
10.部屋と壁の清潔
11.からだの清潔
12.おせっかいな励ましと忠告
13.病人の観察
14.おわりに
15.補 章

 目次を読むだけでも、看護とは環境(光、空気、清潔、音、臭気、温度など)を適切に整え、食事内容を適切に選択し適切に与えることで患者の生命力の消耗を最小にし、患者自身の力で治癒していくのを助ける行為であると書かれているのが分かります。
 また、病人に対して安易な励ましや助言をすることなどは毒にしかならないというようなことも書かれています。

 一般的にナイチンゲールと言えば『白衣の天使』『奉仕の精神』などと言う美化されたイメージがあるかと思いますが、この本を読む限り、彼女が非常に現実主義者で科学的なものの考え方をしていたことが窺えます。

 この本が書かれてから150年以上たった今、社会情勢はずいぶん変化しました。
 清潔不潔の考え方、具体的な防護の方法も変わりましたし、情報の得方や伝達の仕方なんてもっと変わりました。

 でも、今尚、彼女の教えは色褪せることなく真実を言い当てているし、私たちに原点に立ち返り基本に忠実に人々の健康に寄与し、更に言えば、よりよく生きるいう生き方の本質を語ってくれているようでもあります。


 さて、話は少し変わります。

 一昨年の夏に亡くなった私の母は、看護婦で、看護教員でした。
 その母の遺品を整理したいと思いつつなかなか時間も取れず、また整理して片付けてしまうのも忍びなく、母の部屋は長い間そのままになっていました。

 このお籠り生活の間に少しずつお片づけを始めました。
 すると、母の恩師が母に宛ててしたためてくださった色紙が出てきました。

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 母は昭和ひと桁生まれの、日本の医療や看護が戦後GHQの影響で急成長した時期に教育を受けた看護婦でした。

 その頃、近代看護学を教えてくださる師と言えば日赤の流れを組む教育者の方々がほとんどでした。

 母の恩師は、雪永政枝先生といい、日本赤十字社で従軍看護婦として任務に当たっておられた時に広島で被爆された看護婦さんでした。

 雪永先生は、その功績を称えられ昭和48年に第24回のナイチンゲール紀章を受賞しておられます。
この色紙には昭和48年と書かれていますから、おそらくその記念の年に下さったものでしょう。

 

 雪永先生の晩年、入退院を繰り返しておられた先生の入院荷物の準備を母とともにお手伝いしたり、退院された先生のご自宅を訪問し、お部屋のお片付けをお手伝いしたりしたのを覚えています。

 心臓にペースメーカーをいれる手術をなさった後、『これで障害者の仲間入りね』『でも広島で被爆したのにこんなに長生きさせてもらって』とおっしゃっていたの思い出します。

 雪永先生は、教え子の子どもの私を孫のように可愛がってくださり、私が看護大学に進学したことを知ると自分のことのように喜んでくださいました。

 雪永先生が母に、『あなたは子育て成功したわね』と言って下さったこともよく覚えています。

 母は看護婦であることで一人娘の私に寂しい思いをさせたといつもどこかで自分を責めていたので、雪永先生に、母と同じ道を選びたいと思う子に育てたあなたはすごいのよ、と言ってもらえて少し胸を撫で下ろしていたのではないでしょうか。

 その先生が母に下さった言葉は『和』。

 今回の家の片付けで母の本棚から出てきたこの色紙、大切に額に入れて部屋に飾りました。
 どんなに時代が変わり、文明やITが発達しようとも、人類にとって大切なものは『和』だよねぇ、としみじみ眺めています。

 そう、『○○ファースト』のように何かを一番に考えます!というのもいいけど、やはり、人と人にとって一番大切なもの、それは『和』なのではないでしょうか。

 人と人の『和』。
 『和やか』の『和』。
 『平和』の『和』。
 穏やかに笑うさま、やわらか、しとやか、おだやか。

 科学的根拠に基づき、冷静に現実を見据えて人々の健康に寄与することを礎とし、しかし人は結局、人として人と関わりながらしか生きられないのだし、ひとの幸のためにわが身に持てる技を精一杯用いるわけで、『和を以って尊しとなす』というところに辿り着くのだと…思うのです。


 今、最前線で闘っている看護者の皆さんの多くが、看護学生の時に戴帽式で『ナイチンゲール誓詞』を以ってお誓いしました。

 今だからこそ、ぜひ多くの方に読んでいただければ幸いです。

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