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私の原点

お久しぶりです。読んでいただいてありがとうございます。
ノートを整理しています。(色々溜まってきたので)

実は医学部に入る直前に私のおばあちゃんは遠いところにいってしまいました。お葬式は家族葬で仲良く送り出すことができました。

お葬式の弔辞は孫代表で私が勤めさせていただいた時のノートが出てきました。あまりネットに載せるものかどうかは迷いましたがなんとなくふと思った時にここのNOTEに戻ってこれるような、そんなNOTEにもしたかったのでその内容を載せようかなと思います。

こんな人なんだな〜って思ってくれたら幸いです。


僕は、◯◯◯です。覚えてるかな?
おばあちゃんの孫3号です。孫は全員で4号+ひ孫4号までいるよ!僕が◯◯年に生まれた時、おばあちゃんはまだ64歳でした。写真に張っているような沐浴(もくよく)は流石に覚えてないな〜。小さい頃、おじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに行った時、「よく来たこた〜偉かったねぇ」って言ってたよね。

僕は、世間知らずで、よくおじいちゃんの頭を木魚のごとく叩いていたのを
何も言わずに、優しく見守ってくれていたことを、いまでも覚えています。

私が京都で大学生をしてた時は、よくお菓子を送ってくれました。
すごく大きい箱にかさばるお菓子をいっぱい送ってくれたよね。
お菓子も賞味期限がギリギリのものもあるし、ハイセンスなお菓子がいっぱいありました。今思えば送料もかかるし、買った方が安いと思ってしまうけど、いい思い出です。

そんな僕は、今、33歳です。10年前から作業療法士として活動しています。社会人になり、おばあちゃんに接したある時、
おばあちゃんが「ボケないように頑張るからね!」と、
自分の手で、自分の頭をモミモミして、いましめていたときのことを思い出します。

僕は職業柄、認知症のご家族や患者さんに出会うことが多くて、
「私がボケたら施設に入れて」とか、「ボケたもん勝ちやで!」とか、
ときには、「早く死にたいわ」などと仰る方々もいて、おばあちゃんだけは、そうなって欲しくないと心から思っていました。

それが叶ってか、おばあちゃんらしく、いい感じにボケが仕上がったね。
そして、今、この場でも笑顔だけは絶やさないよね。
僕ら家族は、いつまでもカラオケで「高校三年生」を歌って欲しいと思っていました。
いつまでも「ズン! ズン・ズン・ズンドコ き・よ・し!」と歌っている姿を見ていたいと思っていました。

いつまでも、僕達の元にいて、笑顔で幸せな姿でいて欲しいと思っていました。

あっ! おばあちゃん。いま、「泣かんすな」っていったでしょ!
でもね、泣かずにはいられないよ、だって、僕、おばあちゃん娘だもん!
僕はおばあちゃんから、大切なことを教えてもらいました。
それは「愛の大切さ」です。

おばあちゃんはみんなからのアイドルでした。
どんなときも中心で、そして、本当に誰からも愛されるスーパースターでした。
僕は、おばあちゃんの孫3号として誇りに思います。そして、その誇りをずっと持ち続けて生きていきたいと思います。
そして僕は、この4月から改めて医学生の道を進むこととなり、将来は、おばあちゃんのような明るい笑顔を
引き出せる「愛される医師」を目指して行きます。
おばあちゃん、本当にありがとう。大正〜昭和〜平成をまたぐ97年の人生、本当にお疲れ様でした。
どうかゆっくり休んでください。そして、いつまでも私たちを守ってね。
本当にありがとう。さようなら。


明日からも頑張るよ♪

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