外科医用語で浦島太郎を読んでみた(解説バージョン)

※解説バージョンです。()の中が解説になります。


昔むかし、ある地域中核病院の近くに、患者さんの話をすぐに遮らないこと(ほとんどの医者は、5分以内に患者さんの話を遮ります)で有名な優しい浦島太郎先生という外科のチューベン(医者になって10年目前後の、まあまあなんでも出来る医師のこと)がいました。

ある日の緊急ラパアッペ(ラパ=腹腔鏡下、アッペ=虫垂切除術、つまり緊急の手術です。簡単な手術です。)を終えた後、浦島先生がストレッチャーを押しながら病理室を通りがかると、研修医たちが大きな亀の検体を整理しています。(外科医は手術が終わると、必ず手術で摘出したもの=検体を自分で綺麗にし、写真を撮ったり絵を描いたり記録します。これを検体整理といいます)

「おやおや、ちゃんとリンパ節は掘ったのかい。かわいそうに、逃がしておやり」(その検体整理の一環に、脂肪にうもれたリンパ節を掘り出す作業があります。「芋掘り」と呼ぶ外科医が多いです。)

「いやだよ、僕のエルステ(人生初の手術)の検体なんだもの。ちゃんと掘って、臨床外科学会(研修医の登竜門のような、雑多な学会)に演題を出すんだ」

見ると亀さんはホルマリン(検体はホルマリンで固定します)の涙を流しながら、レベルは良さそう(レベルとは、意識レベルのこと。意識がよい、という意味です)に浦島先生を見ています。「JCS1-1だな」(JCS=Japan Coma Scale、意識レベルを客観的に評価するものです。JCS1-1は、「なんとなくはっきりしない」です)と思った浦島先生はボッテガの財布(医者はじつにボッテガの財布が多いです。雨月もです。)から万券を3枚出すと、「これでエルステ会をやりなさい」と言いました。(エルステ会とは、初めて手術を執刀した若い外科医が、自分の上司や看護婦さんを誘って寿司屋などで大々的にやるパーティー。全て執刀した若い外科医が支払いをします。これがキツイんだ)

「浦島先生、あざーす!」

こうして浦島先生は亀さんを受け取りました。

「亀さん、お名前をフルネームでお願いします」

「亀です」

「生年月日をお願いします」

「千年前です」

「はい、OKです」

浦島先生は患者取り違えがないことを確認してから、(フルネーム、生年月日を患者さんに自分で言っていただくことは本人確認の基本。)

「じゃあ亀さん、もう切除されるんじゃないよ」

と、亀さんを海へENT(エントラッセン。ドイツ語で退院の意味)してやりました。

さて、それから数日後に船で次の症例のCTを再構築して絵を描いていると、海の中から亀さんがドレナージされて顔を出しました。(ドレナージとは体の中のものを体外へ排出することです)

「緊急オペなんですが、竜宮城13ルーム入室してもいいですか?外出許可証は書きますんで」

「OK、ちょっとハルンしてくる(おしっこをしてくるという意味)から麻酔かかったら院内ピッチで呼んで」

麻酔科部長とオペ室婦長の許可をもらった浦島先生(緊急手術をするには、外科医はあちこちに頭を下げにいかねばなりません)は、製薬会社のMRさんからもらった日付入りのタクチケを使って竜宮城に現着しました。(実際問題、製薬会社のMRさんからのタクシーチケットは緩やかに禁止されています)

「ベタだけど、オメガのシーマスターでやっぱりよかったな」(医者と弁護士は、オメガユーザーが多すぎます)

竜宮城の一番上には、『竜宮城総合医療センター』と看板があり、城の前はバスターミナルになっていました。

5階のオペ室に行き、やはり自分のネームバンドでダブルチェックをしてから入室しました。

入るとそこは、ふんわりと葉加瀬太郎のCDが流れており、「情熱大陸かよ」と思わずひとりごちてしまいました。(よく流れます)

室温は感染対策チームのいい仕事のおかげでうっすらと汗ばむほどあったかく26度に設定され、部屋にはタイやヒラメやマイクロやCアームも準備されていました。出血したときのためにERBE(最強の止血装置と言われています)まで置いてあり、浦島先生は「あとは輸血ルートとAライン取ってもらえば完璧だな」とオペ看に聞こえるように独り言を言いました。

「ようこそ浦島先生。私が外科の乙姫です。」

「部活、なんでした?」(ほとんどの医者は医大生時代、部活に所属していますから、会ってすぐ「何部?」と聞くのは医者どうしでは普通のことです。)

「バレーでした」

「私もです。東医体で試合してそうですね」(東医体=東日本医学生体育大会。西日本バージョンもあります。)

すっかり二人は意気投合しました。

「浦島先生、手洗いして(手を5分洗い、手術に参加すること)前立ち(第一助手)してもらえます?」

「当然です。二助手います?」

「レジデント(研修医)がいます」

浦島先生はすっかり乙姫先生とのPD(膵頭十二指腸切除術、外科のなかでもっとも大きい手術です。5時間はかかります)に没頭し、IVCの再建を終え気づいたら入室から3日が経っていました。ネックレスをした麻酔科医は、いつものようにタオルを羽織って寝ていました。(ほとんどの麻酔科医はネックレスかピアスをつけっぱなしですし、手術中に眠らないことはほぼありません)オペ看は10回以上食事休憩に入っており、気づいたら元の器械出しに戻っていました。

週末は日当直の外勤(60時間くらいぶっ通しの勤務です。クレイジーでしょ)があることを思い出した浦島先生は、ヒヤリハット(安全管理のための、医療界の標語です)してついに閉創(きずを縫ってとじること。そのままですね)を決心します。

「ガーゼカウント問題なしなら、皮膚、縫っちゃってもらってていいですか?すみません、バイトなので」

「すみません。あと全部やっときます」(外科医はすぐ「あと全部やっときます」と言います。それが美しいという文化です。)

「まあ寝当直なんですが」(病院で寝ているだけ、ほとんど呼ばれない当直のことです。)

「そうですか。今度オペ後にぜひエッセン(ドイツ語。食事の意味)行きましょう」

「うちのレジ(=レジデント。飲む時には必ず研修医を連れてきます)にも声かけときます」

乙姫先生はお土産に、「抄録集」(学会で必ずもらう冊子です)と書かれた冊子を浦島先生に手交(手渡すこと。古い日本語ですね)しました。

「あ、きまりで患者さんからは受け取れないことになってまして」

「私からならエヌピー(n.p.とカルテに書く医者は多いですが、実は「no problem」の略じゃなくて「nothing particular」の略だと知っている医者は少ない。問題ない、という意味です)じゃないですか」

「逆に、実際そうですね」(意味も無く「逆に」という変な外科医がたまにいます。外科医は日本語が変な人がかなり多いでしょう)

「実際、手が足りなくてオペが回らない時、これを開けて下さい」(人手不足の時、「手が足りない」と言います。)

退室した浦島先生は、タクチケを使って地上に帰室しました。

「おや?わずか1件のオペで、ずいぶん病棟ナースが変わったな」

気づけばカルテも紙ベースから電子カルテになっており、レントゲンもフィルムレスのデジタル化していました。(今は大きい病院の多くは電子化が進んでいます。)自分の母を探しましたが、認めません。(○○がない、という時に医学用語では「認めない」と言います。貧血を認めない、というように。)

「あれ、エントラッセン(=退院)したのかな?」

近くで検温していたナースに「浦島の家はどこですか、ディスオリエンテーション(手術中に、自分が今どこを切っているのかわからなくなりパニクること。転じて、迷子のこと)しました」と聞くと、

「浦島さんですか?病棟はどちらですか?」

「いやちょっとわかんないんだけど」

「すみません、個人情報なので教えられないんです」

とリークしてくれません。(本当に、今病院では個人情報保護が大問題になっており、教えてもらえませんよ)

カンファ室(会議室のことを、医療界ではいつもカンファ室といいます)を見つけたので、ホワイトボードを見ると今日もトタールD2(胃全摘術、早い外科医で3時間くらい)とローアンテD3(低位前方切除術、側方郭清というものもやると早くて4時間半です)が縦で(午前に胃全摘術、それが終わったら低位前方切除術ということです)入っています。「マジか、手が足りねえな」

そう思った浦島先生は、2-0絹糸(いまでも手術中は絹の糸をつかいます。けんし、と読みます。2-0は太さです。)で外科結紮(けっさつ、と読みます。しばることです)されていた「抄録集」をクーパー剪刀(せんとう、と読みます。はさみです)で切って鼠径管を開放(鼠径ヘルニアの手術で必ず行う行為です。外科医なら全員このフレーズを良く知っています)しました。すると、もうもうと白い煙が上がり、硝酸銀で疣贅(ゆうぜい、と読みます。いぼのこと)を焼灼したときのようなにおいがしました。(よくいぼを硝酸銀で焼きます。独特の匂いがします)

「サチュレーション下がっちゃうよ!」(体内の酸素飽和度が下がる、という意味です)

結語ですが(学会発表の時、最後のスライドは必ず「結語」です。けつご、と読みます。)、浦島先生はおじいさんになってしまいましたとさ。

おしまい。

※やたらと業界用語、隠語が多いのが病院の世界。その片鱗でもお見せしたい一心で書きました。不謹慎とお怒りの方がいらっしゃいましたら、すぐ削除します。

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