絵と「出合い」—加藤笑平さんのこと
2022年3月10日木曜日、出品作家の加藤笑平さんに招待されて上野の森美術館で開催されるVOCA展2022の内覧会に出かけてきた。VOCA展は初回からずっと定点観測的に見続けていたのだが、最近は観覧料を惜しんで別館の無料展示だけ見て帰る…といった年が続いていた。内覧会に招待されるのは今回が初めてである。
招待してくれた加藤さんは長崎半島の先端に位置する樺島で農耕と塩づくりをしながら自然を素材に制作を行っている美術家である。昨年熊本市現代美術館で開催された「段々降りてゆく─九州の地に根を張る7組の表現者」にも出展していた。同展は事前に参加が予定されていた外山恒一氏が展示前に除外されるというトラブルがあったが、加藤さんは出品作家の一人として外山氏のトークライブ企画を立ち上げたり、この問題に関する文章を美術手帖に寄稿したりもしている。樺島に移住する前は熊本県の天草でオルタナティヴ・スペースの運営もしていたらしい。とにかく体を張って盛んに活動するアクティヴな作家という印象だ(加藤さんの活動についてはartscapeに掲載された上述の展覧会に関するキュレーターズノートが詳しい)。
加藤さんご本人にお会いするのは実は今回が初めてだった。実物の加藤さんは予想に違わず声が大きく、やたら人懐っこく、空気を読まぬマイペースさで周囲を巻き込んでいく台風の目のような人物だった。典型的なトリックスター的キャラクターで、内覧会場でもよく響くデカイ声と特徴的な風体でひときわ異彩を放っていた。出品している作品も、理論的または技巧的に「絵画」を追及していく作品と絵画以外の表現を賞の規定に当て嵌め平面化した変化球的な作品が中心となるVOCA展において、そうした王道の美術とはまた別種の「絵を描くこと」の意義を示しているようで好感が持てた。
ところで、そもそも長崎の島で大自然を素材に巨大な(今回のVOCA展出品作もたぶん会場中もっともデカい)絵画をダイナミックに制作する加藤さんと、東京から一歩も外に出ることなくマウスとペンタブとキーボードでしこしこデジタルな絵を描いている自分のような人間がどうして知り合うことになったのか? 今回書いてみたいのは、実はそのことなのである。話は16年前まで遡る。
加藤さんとの縁は、自分が加藤さんの絵を購入したことがきっかけ(というか全て)だった。それは2006年にトーキョーワンダーサイト渋谷で開催された「Wonder Seeds 2006」展でのことである。Wonder Seedsは東京都が当時まだ少なかった若手芸術家の作品販売の機会を作ろうと始めたもので、発足当初まだ「0号展」という呼称だった頃に自分も出品していた。それがこの年はひとつ買い手の方に回ってみようということだったのだ。
だから購入した加藤さんの作品にしても、会場で一目見て衝撃を受けどーーしても欲しくなって堪らず購入…といった劇的な出会い方ではなく、たまたま気に入った絵が値段も安かったので試しに買ってみたといった、どちらかというと「気軽な買い物」だった。しかし買ったのは「作品」であって、買うほうは気軽であったとしても、なかなかそれだけでは終わらないところが「作品」の面白さなのである。
東京都によるこの若手芸術家の販売支援事業は発足当初はかなりの手探り状態だったようで、自分が参加した年は作者に購入希望者の連絡先が伝えられ販売に関するやり取りは当事者同士で勝手にやってくれという投げっぱなし方式だったのだが、それではプラバイシー的に差しさわりがあるということになったのか、この年は一転して購入者に関する情報を作家には一切渡さないという方針に変わっていた。この状況を利用して、自分は当時流行っていたSNS(という枕詞が今や必要?)のmixiで、ひとつ面白い日記を書いてやろうと思い付いた。同展に出品していた知り合いがmixiの日記検索を使って購入者を探したという話にヒントを得て、自分が購入した作品の作者に宛てるかたちで「絵を買うこと」の面白さについて綴ってみようと考えたのである。
ここで思い起こしてほしいのは、2006年のSNS環境は現在のそれとはまったく異なったものだったということなのだ。今のように誰もがSNS上にいて、エゴサを始終しているような状況ではなかった。mixiが流行っていたとはいえ現在のTwitterやFacebookのように「誰もがいる」という感じではなかったし、日記検索を使ってのエゴサもマイナーな行為だったように記憶する。だから「加藤笑平クンへ」というタイトルで書いた自分の日記が、実際の「加藤笑平」氏の目に留まる確率は限りなく低かったのだ。自分としてはそれで全然構わなくて、作者への呼びかけは単なる体裁に過ぎなかった。そもそも作者と知り合いになりたいという欲求なんてまるでなかったのだ😁
肝心のその日記はmixiへのログインパスワードがわからなくなって久しいのでどんな内容だったかスッカリ忘れていたのだが、先日ハードディスクを検索してみたところ下書きの.docファイルが発見されたので、ここに復元しておく。
文中で「薬屋の親爺」と言ってるのは大昭和製紙の名誉会長のことで、たぶん自分は大正製薬の会長と勘違いしている(テキトーだなー😅)。現在なら書く前に検索して確かめるけど、当時はその習慣はなかったのかもしれない。
さて、はたして加藤さんはmixiをやっていて、日記検索をしてこの日記に辿り着いたのかというと…実はそうではなかった。接触は意外な(というかありきたりな)方向からやってきた。というのも、出品者が自分の作品を買ってくれたのはどんな人か知りたいと言っているのでその気があったら連絡してみてくれと、展覧会の主宰者から作者のメールアドレスが転送されてきてしまったのだ。
これは自分的にはマッタク面白くないのだった。せっかくメッセージ・イン・ア・ボトル的に迂遠なコミュニケーションを試みたのに、ダイレクトに作者に連絡を取ってしまっては台無しである。それじゃゼンゼン粋ではないのだ。そこで自分は当時mixiがまだ招待制だったのを逆手に取って、メッセージを何も添えぬまま貰ったアドレス宛にmixiの招待メールを送ってみることにした。作者が見知らぬ人物からの招待を気味悪がってログインしなければそれまでだし、好奇心に負けてログインしてみればそこに自分に宛てた日記が投稿されているのを発見することになる。これならまぁ粋と言ってもいいだろうと思ったのだ。
結果的に加藤さんはゼンゼンそんなことで怖気づくような人物ではなくて、平気でログインして自分の作品の購入先を知ることになり、その結果として2千円で購入したこの絵は15年間自分の部屋の同じ場所に飾られ続けた後に上述した熊本市現代美術館での展覧会で展示されるため「美術館への貸し出し」というイベントを経験することになり、16年後の今年、作者のVOCA展選出によって自分は20年以上見続けていた同展の内覧会に初めて招待されるという僥倖も得て、2千円という購入価格からは想像できないほどの面白さを未だ堪能しまくっているのである。
昔の日記を読み返すのは面白くて、16年前の時点では作品の購入履歴をブロックチェーンでいつまでも追うことができる未来などまったく予測していなかったし、SNSの呑気な利用の仕方も瞬時に探知されて誰とも繋がってしまう現在の状況からは隔世の感がある。しかし遠隔さや遅延はマイナスなだけでなくプラスの面もあって、隔たっているからこそ伝わるものもまた存在するのである。そして、絵や作品を通じたコミュニケーションとは、本来そういうものではないだろうか。加藤さんのこの絵だって、SNSのエゴサですんなり繋がっていたら自分もこんなに思い入れを持つことはなかったように思うし、加藤さんも購入者である自分のことをその16年後にVOCAの内覧会に招待しようとは思わなかったかもしれない。
…まぁ加藤さんなら上野の森美術館が溢れるまでに過去に出会った知り合い全てを招待しまくったとしてもおかしくないけれど😅
*展示情報
VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─
会期:2022年3月11日–30日
会場:上野の森美術館
URL:https://www.ueno-mori.org/exhibitions/voca/2022/
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