見出し画像

ハローハロー、僕たちは君の誕生を、心から歓迎します

2020年12月21日、私と妻の間に男の子が生まれた。
名前は、まだ決まっていない。
ハローハロー、ようこそ我が家へ!生まれてきてくれてありがとう!

これからのことはさておき、今までのことと今の感情をここに記しておきたい。
コロナ禍の中、里帰り出産を決めた私たちは妻の地元の病院からの指示があり、12月12日が出産予定日だったが、10月上旬に妻が帰省することとなった。

帰省の前、妻に言われた言葉がずっと頭に残っていた。
「出産は安全ではないし、私は妊娠が分かった時、その前から覚悟をしています。もし私と赤ちゃんに万が一があった時は、あなたはあなたの人生を歩んでください」

出産は安全神話ではない、と学生時代、産婦人科の講義で赤文字で書かれたスライドを見たのは何年前だろうか。

妻の強烈な言葉を胸に、私の一人暮らしが始まった。
粛々と、自炊をして仕事に行き、週末も仕事をした。
卓球も好きなだけできる休日は楽しかったが、夜になると無性に寂しく、少しアルコールを飲んだりもした。

2ヶ月間、電話で名前についてたくさん話し合った。
たくさん候補があがったが、名前はまだ決まっていない。

出産予定日12月12日を迎え、何度もLINEで確認したが陣痛は無い様子。
それから1週間経過した12月20日、妻は入院した。
子宮口のバルーン拡張が始まったらしい。
翌日21日朝、陣痛誘発剤の点滴が始まった。
昼休みに送ったLINEに既読がつかなくなった。
ちなみに僕が送ったメッセージは
「お疲れ様!どうかな?」
・・・うん、どうかな、じゃないよな。。

陣痛に苦しんでいるのか、と仕事が手につかなくなりだした16時過ぎ、義母からLINEが入る。
「赤ちゃんの心拍が弱くなってきたので緊急オペになるそう。母子共に元気です。」

緊急オペ、という言葉にドキリとする。
頼む、頼む、頼む、お願いします。
どうか、無事で。。
命さえあれば後は何もいらないです。。どうか。

1時間後、17時からの会議に出ていた僕はケータイが震えるたびにスマホを出しては配布プリントの裏で見ていた。
妻のLINEアカウントより、「無事生まれました。看護師さんに生まれたての赤ちゃんを撮ってもらえるよう私のスマホを預けました。」と義母からメッセージが入り、ついで義母のLINEから赤ちゃんの写真2枚と31秒の動画が送られてきた。
思わず会議を抜け出し、廊下でスマホのボリュームを少し上げて動画を再生した。
「ンギャー!」
「大きな声やね」と看護師さんの声
「30、85グラムです」と体重測定の様子が写っていた。
「んじゃ、今から診察しますよ」と小児科の先生の声も。
動画で四肢の動きも確認した。リハ医の性。

ふーっ、と大きな息をつき、私は何事もなかったかのように会議に戻った。
その後の会議の内容はあまり頭に残らなかった。
よく見知ったメンバーばかりの会議なので、会議の最後に生まれたことを発表しようかなぁ、と考えていたら緊張して汗をかき始めたところで会議は終わり、何も言い出せなかった。

帰宅中、実家に電話した。
母は僕の生まれた時の体重がほぼ同じであること、父は僕が生まれた時、今の僕と同じ32歳だったことをそれぞれ教えてくれた。
嬉しそうにしている人が自分以外にもいることが実感できて、安心した。

帰宅後、0時近くなって妻と電話ができた。
「生まれたよー」
いつもよりスローテンポな妻の第一声を聞き、涙が出そうになった。
陣痛に耐え叫びながら、胎児心拍が弱くなっていることを聞かされ
「赤ちゃんの命だけは助けてください!」と叫んでいたみたい、と淡々と話してくれた。
もう、これからはお父さんとかママとか呼び合うのかね。
それにしても、医療って、とんでもなくありがたいね。
産婦人科の先生も小児科の先生も看護師さんも心強かったと。
いつか自分たちもこんな風に頼られる存在でありたいね。
そう話して、とにかくゆっくり休んでねと電話を終えた。

そして今、31秒の動画を繰り返し再生しながらこの文章を書いている。
小さな体が全力で動いている。この子はどんな人生を送るのだろう。

ハローハロー、はじめまして。
この世界にようこそ!
僕たちは君の誕生を、心から歓迎します。

2020年12月22日
リハビリ科医あつひろ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?