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『日常と非日常を行き来する』参加者レポート(2)

レポート作成者:吉田光

参加してまず感じたことが「参加者が安心できる環境」を可能な限り配慮されていた点だ。要因は2つある。

ひとつに、ワークショップ中の主宰の竜史さんと佃さんはあくまでワークショップのいち参加者として関与していたことが挙げられる。これにより、主宰と参加者とで立場の差が発生しなかった。演劇ワークショップでよくあるのが、企画側が開場の隅で椅子に座り全体を俯瞰してほくそ笑む、ということがある。今思えば、参加者の私はそのパターンがあまり好きではなかった(懺悔すると自分は隅で俯瞰したことがあった。やめよう)。ワークショップの全体の雰囲気として、輪の中に入らないで俯瞰している人がいると、参加者が立場の差を感じてしまう可能性がある。今回はそれがなかった。
ふたつに、講師の大池さんも、特定の参加者を持ち上げたり下げたり、あくまで客観的な立場で感じたこと・気が付いたことを述べていた。特定の個人を持ち上げると、その人に権威が生まれてしまう。それがなかったことで対等の立場が保たれていたと感じた。

次に、ワークショップの内容が事前に告知されていた内容を体現できており、私個人としては非常に興味深い内容であり、凄く楽しめた点だ。今回は「日常と非日常の行き来する」というタイトルで、「劇作家・演出家・俳優を体験していただく」というのが告知されていた内容だった。
ウォーミングアップ後に2つのテキストが渡されたが、どちらも日常に非日常の要素が足されたような内容だった。一つは待ち合わせしている間におかしな人がやってくる話。もう一つは学校が舞台で宇宙人の生徒が恋愛をするという話(宇宙人であることは公表されていない)だった。テキスト内に日常の要素と非日常の要素がそれぞれ明瞭に描かれていた。特に後半の宇宙人のテキストを扱った際に感じたことだが、日常の中に1つシンプルな非日常な要素があると、割と簡単にフィクションとして成立すると驚いた。更に、非日常な要素が日常的な要素、今回は学生の恋愛という要素だったが、それがより濃く強調されて描かれていたことが非常に興味深かった。単純な日常がドラマへ昇華されたのだ。実は私は将来的に作品(舞台・映像作品)の創作をすることも考えているのだが、それに役に立てる発見だった。日常の中に非日常のレイヤーが敷かれると、ドラマが生まれる。似たような例で、ヤングジャンプで連載されている漫画作品『推しの子』を連想させた。本作では「一つだけ嘘をつく」という漫画の手法がとられている。「推しのアイドルの子供に転生する」というファンタジーを一つだけ介在させることで、作品内にリアルに描かれている芸能界物語を漫画として昇華させている。こちらも日常と非日常の要素がそれぞれ明瞭であり、それによって日常部分をより際立たせたドラマが生まれている。
そして「劇作家・演出家・俳優を体験していただく」という点について。テキストには国語の問題のように穴あき部分があり、グループごとでその穴埋めをした台本を完成させる劇作家の体験があった。そしてどのようにそれを演じるのか参加者で考える演出家の体験、実際にそれを演じる俳優の体験があった。総じてこの体験は、「俳優が演劇を創作する体験」であると感じた。みんなが対等な立場であるという前提は崩れなかったため、ディバイジングに近い創作ができていた。グループの中で一人が主導して周りがついていく、という形式ではなかったため、まさに集団創作がなされていた。

総じて、いち参加者として非常に居心地がよく、なおかつ興味深い内容の集団創作をすることができたため、私としては非常に有意義な時間だった。また受けたいと思っている。

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