見出し画像

ドドソソララソ②_個人考察Labo#D

【ドドソソララソ 考察②】
原題:도도솔솔라라솔
邦題:ドドソソララソ
英題:Do Do Sol Sol La La Sol
放送局:KBS 2TV

画像1

以下、ネタバレありです。

はじめに

ドドソソララソで最も疑問に思った展開。それは最終話の最後のシーンであるといえる。16話の中盤、ジュンの死がほのめかされた瞬間、涙があふれた視聴者も多いことだろう。しかし最後のシーン、亡くなったと思われたはずのジュンがララのもとに現れる。ジュンは亡くなったのではなかったのか。ここでは、一度見ただけでは消化しきれないこの展開を深く読み解いていく。

本論

私は、ジュンは本当に亡くなったのであり、最後にララのもとに現れたジュンはララの幻想であると考える。理由は3点ある。16話の各シーンから理由を説明する。
①ララとジュンの母の会話
クリスマス演奏会を終えたララの元にジュンの母が訪ねてくるシーン(Netflix33分ごろ)でララはジュンの母に向かって

준이가 죽었다는 거예요?
ネトフリ訳)死んだんですか?
直訳)ジュンが死んだってことですか?

と尋ねる。それに対する母親の言葉はないが、このセリフも一つジュンの死の根拠となるであろう。しかし、より大きな根拠は以下の通りである。
②5年後のハヨンの母のセリフ
先ほどのシーンから5年後、みんなが集まるシーンでハヨンの母はマンボクおじいさんとジュンの話題を出した後こう述べる。(Netflix48分ごろ)

떠난 사람들 얘기도 하고 추억도 해 주고 그러는 거야
ネトフリ訳)こういう時こそ去った人を思い出して話をするものよ
直訳)去った人々の話もして思い出してもあげて そういうことだよ

ここで注目すべきは떠난 사람(去った人々)という言い回しである。この単語(原形:떠나다)は離れる、発つ、去るのほかに死去するという意味も持ち合わせる。つまり、ハヨンの母はジュンを亡くなった人物として扱っているという事になる。合わせて、その場で同意しているララらも暗黙の了解としてジュンの死を認識していると考えられる。
③再会後の会話とカット
ララランドでララがピアノを弾いていると、ジュンがやってくる最後のシーン。夜、丘の上のシーンの会話とカットを振り返ろう。このシーンで注目したい会話は以下である。(Netflix57分ごろ)

ララ「너 귀신 아니지?」
ジュン「어떻게 해야 눈앞에 있는 나를 믿을까?」
ララ「귀신 아니지?」
~キス~
映像が2人から夜空に移り変わる
ララ語り「준아 고마워 나에게 다시 와줘서」
ネトフリ訳)ララ「ねえ 幽霊じゃないよね?」
ネトフリ訳)ジュン「どうすれば本物だと信じる?」
ネトフリ訳)ララ「本物なのね」
~キス~
映像が2人から夜空に移り変わる
ネトフリ訳)ララ語り「ジュン ありがとう 戻ってきてくれて」

このNetflixの訳を見ると、ジュンは亡くなっていないと考えて会話が訳されたのではないかと思われる。このまま受けとることも否定はしないが、できるだけ直訳に近い形で訳した以下を見るとどうだろう。

直訳)ララ「あなた 幽霊じゃないよね?」
直訳)ジュン「どうすれば目の前にいる僕を信じるだろう?」
直訳)ララ「幽霊じゃないよね?」
~キス~
映像が2人から夜空に移り変わる
直訳)ララ語り「ジュン ありがとう 私へまた来てくれて」

ララは自分の問いかけに対するジュンの言葉をスルーして、再度ジュンに同じ言葉を問いかける。幽霊の言葉が私たちには聞こえないように、ララの耳にもジュンの言葉は届かない。つまり、ジュンはすでに亡くなった存在であるといえるだろう。加えて、二人のキスシーンにララの最後の語りを流すのではなく、夜空の映像に切り替わると同時に語りが始まるという演出からもジュンが亡くなっていると推測できる。ララの語りの内容は、ジュンが本当は生きていてララの元にまた現れたという場合にも合う。しかし、わざわざジュンの存在を映さないアングルに変え、夜空に向かってララが思ったかのような語りの形にしていると考えると、ジュン=夜空に光る星=亡くなったと考えるのが妥当だ。星として夜空に存在し続けることで、ララの元に戻ってきたと、語りを解釈することもできる。ドドソソララソの正体がジュンであり、ドドソソララソがきらきら星を意味することから考えても、ジュンは亡くなったと考えられる。
最後に補足としてジュンがララの元に再度現れたというシーンをなぜ作る必要があったのか考える。視聴者を惑わせるこのシーンを入れる必要はあったのか。ジュンの死が連想されるララとジュンの母が対話するシーンの後、ジュンが亡くなってからララはずっと思いっきり泣けていない、つまり次に進むことができていないというセリフが印象に残る。このセリフを踏まえて最後の丘の上のシーンを見てみると、ララは思いっきり泣いているようにも見えるし、「思いっきり泣いた」というような明確な言葉がないため、思いっきりは泣いていないようにも見える。つまり、ララは次に進んでいくという解釈も、ララはジュンを大切に思い続けるという解釈もどちらも正しいのだ。しかしどちらの解釈をしたとしても、ララは夜空に光る星の元ではジュンのことを思い出し、いつまでも記憶している、そういうことを伝えるための演出であったのではないだろうか。

結論

ドラマの解釈は人それぞれであってかまわない。しかしこの作品では解釈の違いにより作品に対する印象が大きく変わってしまう。様々な解釈を認める寛大な作品とするか結論にブレを持つ作品とするかもまた人それぞれだが、ジュンの死に関して言えば”亡くなった”と考えることで作品の良さがより見えてくるのではないだろうか。

〈参考〉
https://program.kbs.co.kr/2tv/drama/dodosolsollalasol/mobile/detail.html?smenu=cac6b1

この内容に科学的根拠はございません。
あくまでsisters laboの見解です。ㅎㅎ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?