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彼女はキレイだった_個人考察Labo#D

【彼女はキレイだった】
原題:그녀는 예뻤다
邦題:彼女はキレイだった
英題:She was Pretty
放送局:MBC

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以下、ネタバレありです。

はじめに

往年の名作と名高い「彼女はキレイだった」。高視聴率を記録したドラマを見逃すわけにはいかないと視聴を開始したが、物語が進むにつれ私の関心は一点に集中していく。かわいくない主人公とかっこいいパクソジュン。スタイル抜群な親友とかっこいいパクソジュン。ひげのおじさん(E.L.Fのみなさんすみません)とかっこいいパクソジュン。若き日のパクソジュン。視聴率18.0%を記録したパクソジュン。パクソジュン……。
あえてはっきりと言おう。はまらなかった。パクソジュンが出ていなかったら、完走はより厳しいものになっていただろう。以下において、なぜこの作品にはまることができなかったのか考察していく。

本論

テーマと演出の乖離
話の流れは申し分ない。起伏がありながらも、中途半端に終わるのではなく、要素すべてが綺麗にまとまって完結していた。粗さがみられた点について物語を俯瞰し総合的に考えると、この作品で気になる点はテーマと演出の乖離なのだ。この差を明らかにするためにまずはテーマと演出それぞれについて考える。
①テーマについて
まずこの作品のテーマは、”簡単にあきらめたり現状に甘んじたりして人生の主役になる機会を逃してきたのは自分自身だ”、”チャンスを無駄にしなければ、夢をあきらめなければいい結果が待っている”ということだ。これは、16話の最後のヘジンの語りから読み取ることができる(Netflixの53分ごろ)。

(動画23:51ごろ~)

このテーマ自体は視聴者の日常に寄り添ったものであるといえるだろう。自分なんて…と自分は脇役なのだと考えて生きている人々も多いのではないだろうか。そんな人々がこのドラマを視聴することで、何事にも一生懸命取り組んで自分の好きなことを貫き、自分が輝ける人生を生きればそれが一番だというメッセージを受け取る。この流れを考えると、この作品のテーマは私たちの日常を少しでもいい方向に変えてくれるような、日常に寄り添ったものであるといえる。
②演出について
次にこの作品の演出、特に主人公について考えていく。この主人公の特徴はまさに”オーバー”である。セリフが原因なのか演じ方が原因なのか、はたまた原因は他にあるのか詳しいことは分かりかねるが、何をしていてもヘジンの一人劇場感が否めない。そんなヘジンを視聴者は架空の人物として捉えるだろう。言い換えれば、ヘジンは身近にいる存在ではなくあくまでもドラマの中の登場人物だという印象を持つのだ。
③テーマと演出の乖離
①と②をまとめて整理すると、このドラマは以下のように表現できる。
テーマは身近だが主人公は架空の人物である。
つまりこの作品は、日常に寄り添ったテーマであるにも関わらず主人公には共感できない、そんなドラマだといえる。テーマと演出のベクトルが反対方向を向いているのだ。これこそがまさにこの作品にはまることができない原因なのである。テーマを意識して視聴しようとした視聴者にとっては、日常離れした主人公の演出が合わない。反対に、完全なるドラマ(=架空の物語)として視聴しようとした視聴者にとっては、伝わってくるテーマが身近すぎて日常を忘れて作品に没頭することができない。テーマと演出の乖離にはこのような欠点があるのだ。

結論

ここでは、なぜ私はこの作品にはまらなかったのかについて考察した。ここで注目したいのは、このドラマでは決してテーマと演出のそれぞれが悪いわけではない、ということだ。納得のいくストーリーと明確なテーマ、面白い演出、それぞれがしっかりしていたから高視聴率をとることができたのだろう(それぞれは確実に上手いのだ)。しかし惜しくも選択したテーマと演出が真逆であった。そのため、私にとっては手放しに称賛できる作品にはならなかったのだ。

〈参考〉
http://enews.imbc.com/News/RetrieveNewsInfo/151737
http://enews.imbc.com/News/RetrieveNewsInfo/151899

https://youtu.be/4bfMT0jC0wU?t=1431 

この内容に科学的根拠はございません。
あくまで sisters laboの見解です。ㅎㅎ

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