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『「推し」の科学』に捧ぐーーTRPGから生まれる推し活とそれがもたらす救い

あなたは「推し活」をしているだろうか?
推しが本のカタチをしているなら、本を買う。
アーティストなら、楽曲を買う。
推しのグッズを買う。推しのライブに行く。推しイメージのカクテルを作る。

久保(川合)南海子著『「推し」の科学』は、「推し」をめぐる様々な行動を端緒として「プロジェクション」という心の働きを紐解いた本だ。

TRPGと推し活の関係について書く前に、まず、推しとは何かを確認しよう。
著者は「推し」を以下の通り定義している。

好きな対象のイメージをもとに何かを生成してしまう、好きな対象と同じことをしてしまう、好きな対象の世界を現実で体感しようとしてしまう(中略)その対象をただ受け身的に愛好するだけでは飽き足らず、能動的に何か行動してしまう対象が「推し」である

同書P.19より引用

推し活は、タレントや漫画の登場人物といった他者や他者が作ったキャラクターに対して行われている…だけではない。

あなたは自分が好きに動かして良いオリジナルのキャラクターを作るなら、どういったキャラクターを作るだろうか?
あえて苦手なキャラクター造形に挑戦する、といったことがなければ、どこかしらに自分が好きな要素を反映したキャラクターではないだろうか

TRPGプレイヤーにとっては時として、自分が作ったキャラクターが推しになり、推し活の対象となるのだ。
それは時として、推しているTRPGプレイヤー自身の心をも救うのである。

自分が作ったキャラクターでありながら、応援する状況が発生するTRPGという遊び


同書P.61の図6 「男性同士の恋愛を描いた漫画や小説の流通と設定による分類」 をご覧いただきたい。縦軸は同人誌やウェブでの発表か商業メディアでの発表か、横軸はオリジナルか既存キャラクターかで四象限に分けている。

この分類法自体はほかのNL、GL、 その他の人間関係を描いた作品にも当てはまめられるだろう。ここではオリジナルJUNE/BLとなっているのがいわゆる一次創作だ。

ノベルゲームやアドベンチャーゲームのように進むストーリー主体のTRPGの場合、 物語の大枠 (シナリオ)がある。
しばしば、遊ぶ際にシナリオから提示されるキャラクター設定の条件(例: 時代設定や職業など)に従ってキャラクターを作成する。
そしてプレイ中はキャラクターとしてふるまって遊ぶ(途中でプレイヤーとしての思考・発言も挟まるが)。
TRPGの場合、成功するかどうかわからない行動に対してはサイコロを振って行動の成否を決めることが多い。いくら女性が不審者に付き纏われているところに颯爽と現れて女性を助けたいプレイヤーが思っても、キャラクターは100%行動に成功するわけではないのだ。

サイコロの結果はアンコントローラブルだ。自分がつくりだしたキャラクターでありながら、思い通りに動くとは限らない。自分たちに都合が良い乱数が出てくれと、応援しかできない。
(だからなのか、判定に成功したら「えらい!」と褒める文化がある。)

コントロールできることもある。キャラクターの意思決定だ。

いくつか調べないといけない場所があるときにどこにいくとか、相互に折り合わない複数の見解が述べられた時、誰の言葉を信じるとか、そういうことだ。
TRPGでは時としてシナリオのエンディングに関わる意思決定をしなければならないことがある。
例えば、大切な、だが厄介な事情を持ったNPCを助けるかどうか、手に負えるかわからない謎の物品をどうするか。そういったことで、シナリオのエンディングが変わることがある。

決めるのはキャラクターを操作しているプレイヤー自身だ。
決めたら、その選択の先がより良いエンディングにつながっているよう、祈るしかない。
そんなわかりやすい重大な決断場面だけではなくて、ふとしたときのふとした選択が、シナリオ分岐の重大なキーとなっている場合だってある。

いずれにせよ、自分が作り出したキャラクターへの「応援」と「祈り」を通じて、プレイヤーが創作したしたキャラクターはただのキャラクターから、プレイヤーにとっての「推し」になっていく。
(最も、キャラクターのとプレイヤーの内的な距離は人によって様々であるから、全てのTRPGプレイヤーに当てはまるわけではないことにご留意いただきたい。)

オンラインセッションツールで推しを最前で応援する

「ココフォリア」 など、TRPGをオンラインで遊ぶツールには、自分で用意した画像を画面に置く機能がある。

TRPGでサイコロを振るときや、テキストチャットで話をするときはキャラクターを選択し、チャットに内容を書き込んで送信する。

立ち絵付きのキャラクターが話している様子(立ち絵:耳地さん)

すると、このようにキャラクターが話しているように見える。
ココフォリアに自分のキャラクターのイラストを出してTRPGをしているときは特殊な状況になる。

作者が作り出したものを、プレイヤーやGMが見る。
「物語を読んだ人の内的世界が感想として物語に映し出されるからこそ、同じ本を読んだとしても読書感想文は一人一人違うものとなります。そのように自分の内的世界を外界の対象に映し出す心の働き」がプロジェクションであると著者は述べている。

外界には、自分のキャラクターのグラフィックが表示された画面がある。

目の前に推しがいるが、推しを操作するのは自分である。
つまり、推しと自分が完全に一体化しながら目の前に推しがいるのだ。
観客にして、演者なのだ。
これは一次創作企画でも近いことが起きると考えられる。自分が作ったキャラクターを漫画や小説といった形で動かす。多人数が関わる企画なら他のキャラクターと一緒に行動したり、話したりといったやりとりもある。

Aというキャラクターの観客にして演者であることと、Bというキャラクターの観客であることは同時に成立し、Bというキャラクターも推す、ということはごく自然に起きうる。
推しを作り、推し自身になり、推しを応援するのだ。

自分のキャラクターで二次創作をする

P.64の図をご覧いただきたい。
「腐女子におけるプロジェクションとその遷移」という図がある。
この図と、P63からの「婦女子のプロジェクション・メカニズム」の記述をTRPGに置き換えて考えてみる。
例として、比較的多く遊ばれており、かつ筆者も遊んだ「辜月のN(こげつのえぬ)」というシナリオを挙げる。

通常の投射→自陣(自PCと他PCを合わせた、そのセッションを遊んだPCたちのこと)がシナリオを遊び、どのような物語の経過を辿り、どのような結末を迎えたか。

個人による異投射→そこから生まれる妄想。AはBに対してこういう行動をしたが、それはこういう理由だったと思っている。ふせったー(小説などのネタバレ防止のために、X経由で別サイトに長文を書けるツール。Xのポストの一部を自動で伏字にしてくれる機能もある)に書く前の段階で、遊んだときには表出していないもの。後から考えるとこうだったんじゃないか…?

以下は実際に同シナリオを遊んだときのふせったーであり、リンク先はシナリオの一部ネタバレを含む。ただし大部分は存在しないものを見ている妄想である。

筆者はキャラクター作成時点で思い入れがかなり強くなってしまい、ソロジャーナルと呼ばれる日記をつける遊びをシナリオプレイ前にやっていた。辜月のNとは一切関係ない。

共有される異投射→ふせったーを公開する。大体シナリオのネタバレを含むので、このシナリオ遊んでない人は読むと遊べなくなるよ!と注意書きがつくが、少なくとも一緒に遊んだ人に共有できるし、人気シナリオだと遊んでいる人が多いので多くの人が読める。共有される。

以下に「辜月のN」でX検索した結果を貼付する。多くの人がこのシナリオについて書いていることが分かるだろう。
https://twitter.com/search?q=%E8%BE%9C%E6%9C%88%E3%81%AEN&src=typed_query&f=live

共有される虚投射→オリジナルの図では二次創作を指す。TRPGの場合はシナリオを通じて生まれたPCを別のシナリオに持っていくことや、シナリオとは関係ないPCのイラスト、SSなどを書くことがこれにあたるだろう。

グッズを作る

TRPGプレイヤーは時として自分のキャラクターのグッズも作る。
推しぬい(アクリルスタンド等含む)

第5章 (P.175~) に推しをかたどったキャラクターのぬいぐるみ(ぬい)やアクリルスタンドが登場する。
推しぬいは通常、既存IP作品のものを買って自宅に飾ったり持ち歩いたりすることが多い(ように思う)が、 TRPGプレイヤーは自分のキャラクターで 「ぬい」 や 「アクリルスタンド」 を作る。 そして連れ歩くのだ。

今でもそうだが――もともと、TRPGで作成したキャラクターにイラストを付けるのは必須ではない。
確かにTRPGのキャラクターシートにはキャラクターイラストを描ける四角いスペースが設けられているものも多いが、
そもそもそのスペース自体はキャラクターのイラストを描くだけではなく、オフラインセッションでプレイヤーがどこに座っているか、であるとか、シナリオ中に出た情報をメモすることにも使うメモ欄でもあった。
とくに、対面で遊ぶオフラインセッションではプレイする人間の顔と声でキャラクターを区別するから、 イラストは必須ではないのだ。

オンラインセッションにおけるTRPGのキャラクターイラストはキャラクターイメージを他者に伝えるほかにも、 相手の顔が見えないオンラインセッションにおいて「プレイヤーの顔」 の代わりを果たしている。

かつては単にキャラクターのイメージを伝えるものという意味合いも強く、「うちのキャラクターはこんな感じのイメージで」とイメージ共有のために版権もののイラストを使うこともあった。
近年はコミッションサイトの登場や、モンタージュの要領でキャラクターイラストを作れるサイト「Picrew(ピクルー)」、そして画像生成AIの登場により、イラストが描けない人にも自分のキャラクターイラストを用意しやすくなった。筆者も絵が描けないためよく使う。
(版権物のイラストの無断使用は著作権の問題などが伴うため、近年ではオンラインで使用されることは減少しているように見受けられる。ただし、調査をしているわけではない。)

オンラインセッションでは、オンラインセッションを遊んだ様子をスクリーンショットをSNSに投稿することが多い。
作品のタイトルや象徴的なグラフィックを背景にスクリーンショットを撮るのは、 アニメや漫画作品の 「推し」 のぬいをフレームに入れて、 聖地で写真を撮るのに近い。

筆者が実際に参加したクトゥルフ神話TRPGシナリオ「純潔と鉄血」スクリーンショット。画面左側が筆者のキャラクター

つまり、ぬいの記念写真は、自分の記念写真でもあるのです。
(中略)自分は写らなくとも自分の世界をシェアするプラットフォームになるものが 「推し」のぬいなのです。

同書P.177-178

そうして自分が作り出したキャラクターが好きになり、自分のキャラクターが描かれたアクリルスタンドを作ったり、キャラクターのイメージカクテルを作ったり、香水を作ったりする。

筆者はクリアファイルを作った。

「傀逅」のクリアファイル。参加したキャラクターとNPCのイラストを描いてもらった


中には、自分たちのTRPGキャラクターのコスプレをし、写真を撮る人もいる。


TRPGのキャラクターを推すことは、救いをもたらすかもしれない

TRPGで作ったキャラクターを推しているのは誰か。まず第一にそれは自分自身である。
では推されているキャラクターは――自分が作り出したものであり、自分自身の一部である。
それは自己肯定へとつながるのではないか。

そしてそのキャラクターが一緒にプレイしたプレイヤーからも推され、愛されたらそれは自分のキャラクターを通じて、自分自身が他者からの肯定、承認されることである。

愛されているのはあくまで投影されているキャラクターであり、あなた自身ではないかもしれない。
それでももしかしたらあなたの救いになるかもしれない。
TRPGとそれから生まれる創作活動は、その可能性を秘めている。


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