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居合と合気道をやって人生が好転!

上京して以来、路上の喧嘩は一回もしたことないんですよ。
当たり前ですけど。
一昔前は喧嘩に大らかな時代だった様な気がします。
実際、私は故郷の北九州で何度か殴り合いのケンカをしましたし、身を守るために相手をその場で滅多打ちにしたこともありますよ。
まあ、今考えると子供のケンカですよね。
でも、今そんなことしたら大変です。
逮捕されたり、慰謝料取られたり、それだけならいいですが、なんかの拍子で相手が障害を負ったり、最悪、死んだりしたらどうしますか?
人間ってそう簡単に死なないもんだとは思いますが、ちょっとした拍子や運でどうなるか分らないんですよ。
10メートルから落ちても奇跡的に地面が芝生で命が助かったりすることもあるだろうけど、50センチの所から落ちて打ちどころ悪かったら死ぬかもしれないですよ。
相手をそんな風にしたら自分の人生も終わりですよね。   

逆に自分が障害を負ったり、死ぬ可能性もありますよ。
つまり、ロクな事じゃないんですよ。喧嘩なんて。
リスクが高すぎますよ。
「男として闘うべき時は闘う」なんて言いますけど、そんな状況に追い込まれないようにする事が大切だと思うんですね。

危険を察知して、それを回避する。
これは武術や武道をやる上での本当に大切な部分だと思います。
つまり、生き延びるための道を感じ取る、察知するための知恵なんですね。
相手や自分を傷つける為にあるものじゃない。

さっき私は路上のケンカは一回もした事がないと言いましたが、仕事上とかプライベート上では人間関係における喧嘩はたくさんあったんですよこれまで。20代後半から30代後半まで、ずっと誰かしらと常に揉めてました。
大体、それは金の事や利権、権益の取り合い。醜いですよね。
でも男ってやるんです、そういう事。
特に私みたいにどこにも属さず、一匹狼みたいな感じでやってる人間は後ろ盾がないものですから必死ですよ。
だからいつもイライラしてた。焦燥感や猜疑心、妬みや嫉妬で心がいつも騒いでる。

 その状況が変わったのが39歳の時からですね。
それは簡単に言うと居合を始めたからだと思います。
居合って相手を想定して一人で刀を抜刀し、斬る動きをする、つまり型をを延々とやる武道なんです。
もちろんそれだけじゃないですけど何年かやってると、まず自分を見つめることができた。
その後相手のことを考えるようになった。
実際そういう相手に対する心遣いに関して和田喜四郎先生というすばらしい先生に就いたので、感じ取ることができたんです。

で、結局、40歳前半から揉め事はほぼ皆無になりましたね。
毎日気分がいいです。
もちろん、年に数回は嫌なことも起こりますけどね。
スパイス程度に考えてます。

 それから2年半前から合気道を始めたんですが、その合気道の精神がほんとに凄くて、今も嬉々として勉強してますが、相手を負かさないんですよ、合気道って。
勝負をつけてしまう競技武道の対極ですよね。

でも私には居合の経験があったし、そのまますぐに合気道の心、精神を理解しました。

合気道って相手と一体になる武道なんですよ。
柔術もここに極まれりですよね。

詳しいことを書いてたらきりがないですが、相手と一体になるような精神を私が持つことが出来れば、それは凄い生き方が出来ると思ったんですね。

私のいるような業界は世間の動きに左右される浮き草稼業です。
でも、私は力を抜いてうまく浮くんで沈まない。
これも武術的な心ですよね。
居着かないで力を抜いて動き続ける。
相手の力を一回受け止めて一緒に動く。
これも武術ですよね。
これらすべて人生にかかわってると思いませんか?
武術的な修行、精神が即、社会生活や人間関係、人生に応用される、適用されるべきではないですかね?
じゃないと、単なる習い事ですよね。

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