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【エッセイ】心の旅 1

 自分が、この世界で一番尊敬する人は誰なのかと聞かれれば、自分はまちがいなく、東京大学名誉教授で解剖学者の養老孟司さんをあげる。

 養老先生の数ある著書の中で、もっとも有名な著書は「バカの壁」である。
 その冒頭部分にある文章、

【我々人間は、自分の脳に入ることしか理解できない。学問が最終的に突き当たる壁は自分の脳である。著者は、この状態を指して「バカの壁」と表現する。知りたくないことは自主的に情報を遮断し、耳を貸さないというのも「バカの壁」の一種。その延長線上には民族間の戦争やテロがあるという。】

 この著書のコピーは、話せばわかるなんて大ウソ。
 与えられた情報に対する姿勢の問題を教えてくれた、名著だと思っている。

 養老先生の著書は、もちろん購入して読んだこともあるし、図書館でかたっぱしから読んだ。
 自分にとって、一番印象的な文章があって、それはバカの壁の中のこの一文である。

【情報は日々固定化されている。変わっていくのは自分たちのほうである。】

 という一文である。

 最初、意味が分からなかった。



 読んでいくと、例えば、テレビやインターネットのニュースの映像や文章は日々更新されている。私達はこれを、日々変化していると誤解しているのである。
 今日見たニュースの情報を、数十年後にもう一度見たとしよう。内容はどうなるか、まったく変わらず同じである。同じであるということは、変わっていないということである。

 情報は一度発信されてしまうと、変わらない。それに対して、その固定化された情報を私達が見続けたとしよう。一回、二回という具合に。そうするとどうなるか?
 十数回見た段階で、もう見たくないと嫌になってくる。何度も何度も同じ情報を見続けることは、苦痛だと思ってくる。

 では、それはなぜか?

 それは情報が変わったのではなくて、自分が変わったからである。

 それを理解した時の自分は衝撃的だった。

 自分はそれまで、世界中から発信されてくる情報は、日々変化していると思っていたのだけれど、そうじゃなくて、その情報に対する自分の考えや思いの方が変わっていたのだということに。
 変わるのは自分の方だということを理解した、自分の価値観が変化した瞬間だった。

 よく自分は、周囲から昔と変わった、と言われることがあるけれど、それは当たり前なのである。
 では反対に、どうしてそういうことを言う人達は変わろうとしないのか? それは、変わりたくないからである。
 なぜ、変わりたくないのか?

 自分は正しいと思っているから……。

 今でも覚えている。でも、もう忘れたい。
 大阪の専門学校の卒業制作に、Yさんが『骨壺』をテーマにしてきたことがあって、先生から即座に失格されたことがあった。Yはその後にグチグチと言って、すね始めて。……その後、退学した。
 Yは、どうして骨壺を卒業制作に選んだのか? 自分にはその理由が分かっていた。彼の実家は島根の石材店だからである。つまり、墓石屋である。

 Yにとっては、生まれた時から自分の家に墓石とか骨壺があるから、彼にとってはそれが日常、当たり前だった。

 彼にとっては、骨壺を選ぶことは正しかった。要するに、生まれ育ってきた環境で、その人物の一生はほぼ決定されるということを、言いたい。


続く


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