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【エッセイ】自分はデザインと出逢って良かったのかどうか―― 前編

 膵臓に異常が見つかって検査したことがある。

 冬場の夜中、ずっと腰のあたりが痛かった。春先に歩けなくなった。だから採血した。ネットで調べたら膵臓がんという言葉がでてきた。膵臓がんは治らない病気である。
 あの時の感覚、頭の中が真っ白になった。医者から再検査を強制された。症状が悪化していれば精密検査しなければいけないらしい。さらに悪化していれば、大学病院で残りの人生はずっとベッドの上である。

 自分は余命を考えた。ああ自分の人生は、こういう運命だったんだと思った。

 病気で死んだらしょうがないと思えて諦めがつく。余命が頭の中をよぎれば残りの人生は楽だと感じた。年金も何もかもどうでもよくなる。本当にどうでもいいと思えた。
 老齢年金に障害年金を抱き合わせるってのは、スーパーファミコンを発売日に買うときにF-ゼロを抱き合わせで買わせるようなもの。

 しかし急性膵炎と診断されてがっかりした。薬をのんだらすぐ治ってしまった。昔から内臓と骨と目だけは丈夫である。


 自分がこの世界に残した物語がある。物語の創作は自分にとってのデザインである。
 その後半はほとんど死がテーマになってしまった。自分からすれば面白く創ったつもりだけれど、読んでいる人からすれば引く内容かもしれない。

 ――では、デザインとはなんなのだろう。



 向き合わずして自分の人生ではないと思う。誰もが理解しているようで、そうではないデザインという世界、誰もが恩恵を受けているデザインである。
 そうは気づかないと感じるけれど、それこそが優秀なデザインなのだと言っておこう。

 朝起きてテレビをつける。リモコンの電源ボタンは左上にある。なぜか? 右利きの親指を意識した設計だから。朝食を食べよう。今日の朝食は食パンとカフェオレにしよう。冷蔵庫から食パンを取り出す。取っ手は右利きの人に開けやすくデザインされている。
 キッチンのテーブルにそれを置いて椅子に腰掛ける。その椅子の座高は人間工学による統計で決まる。しばらくしてトイレに行く。トイレットペーパーを使う。トイレットペーパーはなぜ円柱にデザインされているのか? 昔はちり紙だったことを知る日本人は少なくなった。

 学校に行こう。会社に行こう。
 玄関で靴をはく。その靴のサイズも統計から決まった。道を歩いて最寄り駅まで、誰もが頭の中に最寄り駅までの地図がある。地図はグラフィックデザインの分野である。

 駅に着いた。時計を見上げて電車に間に合うと安心する。なぜ丁度良い場所に時計が設置されているのでしょう。
 電車が来た。アナウンスが聞こえてくる。
 黄色い線の内側をというアナウンス。黄色い線は視覚障害者のためのデザイン。色弱者に配慮した色。なぜそれをわざわざアナウンスするのか? 駅に来る時、どうしていつも音がなるのか? なぜ駅でバリアフリー化が進んでいるのか?

「ユニバーサルデザインだから」

 学校に着く。会社に着く。
 どうして制服やスーツを着ているの? 私服との違いは? それはファッションデザインの分野である。
 学校から会社から自宅へ帰宅する。どうして迷わずに帰ってこれるのか。頭の中に地図があるから。

 帰宅して子供たちはテレビゲームをする。
 ゲームデザイナーが作ったゲーム。大人は会社へ明日の会議の打ち合わせをスマホで電話して確かめる。そのスマホのOSは誰が作ったの? 番号はなぜ押しやすいように表示されているの?
 そもそも、どうして電話できるの?

 もう遅いから寝よう。その前にお風呂に入ろう。
 ボディーソープとシャンプーを使う。視覚障害者はその違いをどう分けて認識しているのかを知っていますか?
 お湯につかる。
 日本人の平均的な体格の統計による容積である。お風呂から出て髪をかわかす。
 ドライヤーを使う。コンセントにさす。どうして停電しないのだろう。

 そして寝る時、おやすみなさいと言う。

 なぜ言うのだろう。日本人の文化であり伝統だからと解答するのだと思う。では、日本人の文化と伝統は誰が決めたのか?


続く


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