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芦花部一番伝説の碑 @7

琉球石垣のある秋名の山を右手にしながら車を走らせる。トンネルを抜けると芦花部集落になり、ここに芦花部一番伝説の碑がある。『芦花部で一番の美女は上殿地のばぁ加奈。舟競争で一番の舟は実久の舟』という、伝説の美女ばぁ加奈を唄ったシマ唄を祀っている石碑だ。

ある日、シマ対抗の舟漕ぎ競争があった。途中、芦花部の海に差しかかったときに、実久の舟だけが何故か岸に上がった。そして、村一番の美女と評判のばぁ加奈に会い力水を飲ませてもらった。すると、寄り道したはずの実久の舟はまたたく間に他の舟を負かして一番でゴールした、という伝説。

この話を聞いて、あぁこれは「ウナリ神信仰」なんだなと思った。


ウナリ神信仰

「ウナリ(姉妹)の霊力がエヘリ(兄弟)を守っている」これは家族内だけのことではなく、奄美では太古から女性に霊的能力があり、シマ(集落)では女性が神と崇められていた。男はチカラでシマを護り家族を護り、女はイノリでシマを守り男を守る、という信仰だ。琉球から渡ってきたノロ神は全て女性であり、それ以前に奄美にいたユタ神も圧倒的に女性が多い。

シマの地形について、先日会った薗さんの資料を参照してみる。まず、背後にカミヤマ(神山)があり、カミミチ(神道)を下っていくとミャー(庭)があり、その中にアシャゲとトネヤがある。更にカミミチを下ると海になり、その海の遥かかなたにネリヤカナヤがあり、海とネリヤカナヤの中間にタチガミ(立神・小さな岩の山)が立つ。

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遥か古代を想像してみる。
ノロ(神女)はカミヤマで祈りを捧げた後、カミミチを通ってアシャゲに入り五穀豊穣の祈願、トネヤに入り航海の祈願を行う。そしてミャーではミキ(神酒)を飲みながら人々が八月踊りのお祭りをしている。祭りが終わると、ノロはカミミチを通り海へ出てまた祈りを行う。そして神はタチガミからネリヤカナヤへと帰っていく。

たぶん、カミヤマでの祈りが「ショチョガマ」であり、海での祈りが「平瀬マンカイ」であり、ミャーでの祭りが種おろしになり、浜での祭りが浜おれになったのだろう(勝手な想像です)


僕が初めて船に乗ったのは小学校の修学旅行の時だった。出航の時間になると、「ボォー」という汽笛が響きわたり「蛍の光」のメロディーがながれる。僕は船のデッキから紙テープを投げて母ちゃんに渡す。おたがいにテープを握りしめ暫しの別れを惜しむ。やがて船は名瀬港から徳之島へと向いだす。船はゆっくりと沖の立神へと進む。ぼくは母ちゃんから貰った御守りをギュッと握りしめる。母ちゃんは岸から手を振っている。

これがウナリ神信仰なのだと思う。

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