見出し画像

おがみ山 @20

いわずと知れた名瀬の聖地であり名瀬のシンボルであるこの山。「拝み山」「御神山」「お上山」諸説あるが、はっきりした説は不明だ。高校生のときに何回か登ったと思うのだが、なぜかそれはポッカリと記憶から抜けおちている。なので初めてのような新鮮な気持ちで登ることができた。

登山道はきれいに整備されており、標高100m弱のちいさい山なので、ゆっくり歩いても20分ほどで頂上までたどり着けた。そのおがみ山の頂きには復帰記念碑と一緒に「泉芳朗 詩碑」が建っていた。

泉 芳朗

終戦後、1946年から8年のあいだ奄美大島はアメリカ軍の統治下にあった。島っちゅの悲願であった日本への復帰。その復帰運動の中心にいたのが詩人の泉芳朗だった。

むだな血を流してはいけない。暴力では何も解決しない。と、芳朗はもうひとつの聖地である高千穂神社で、自ら7日間の断食祈願をおこなう。それを知った多くの島っちゅも、それぞれの決起集会の場で24時間の断食をはじめた。激しくも静かで熱い復帰運動。非暴力と無抵抗の民族運動だった。これが後に「奄美大島の無血の民族運動」と言われ、後世に語りつがれているのだ。

おがみ山の天辺から名瀬の街を見おろす。芳朗が愛し芳朗が戦い芳朗が守った街がそこにあった。

詩集を開く

画像1

島:泉芳朗
 
私は島を愛する
黒潮に洗い流された南太平洋の
この一点の島を
一点だから淋しい
淋しいけれど消え込んではならない
 
それは創生の大昔そのままの根を
かっちりと海底に張っている
 
しぶきをかけられても
北風にふきさらされても
雨あられに打たれても
春夏秋冬一枚の緑衣をまとったまま
じっと荒海のただ中に突っ立っている
 
ある夜はかすかな燈台の波明りに沈み
ある日は底知れぬ青空をその上に張りつめ
時に思い余ってまっかな花や実を
野山にいろどる
 
そして人々は久しく愍みの歴史の頁々に
かなしく美しい恋や苦悩のうたを捧げて来た
わたしはこの島を愛する
 
南太平洋の一点
北半球の一点
ああそして世界史のこの一点
わたしはこの一点を愛する
 
毅然と己の力一ぱいで
黒潮に挑んでいるこの島を
それは二十万の私 私たちの島
わたしはここに生きつがなくてはならない
人間の燈台を探ねて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?