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イジョンゴ @16

愛加那は源吾の髪をすくときに、櫛に残ったわずかな髪を秘かに集めていた。いつかくるだろう離別に備え、形見としてとっておくためだ。

本龍郷のはずれにふたりの畑の跡地がある。林道をはさんだその畑の向う側にあるのが、源吾が愛加那のために造ったイジョンゴ(井戸)だ。愛加那だけではなく、村人たちも皆ここで水を汲んでいた。今はもう渇れている。

源吾が龍郷にいたのはわずか3年弱だったが、最初は全く島に馴染めなかった。時に島を怨みさえした。それはそうだろう、失意の底にいた西郷を、藩がその身を幕府から隠すために名前まで変えてこの地に潜伏させたのだから。来たくて来たわけではない。そして当初は罪人扱いだったのだ。

田中一村は、かつて放浪の旅で歩いた南国の風景に惚れ込み、絵描きとしての終焉の地として奄美にきた。やはり源吾と同様に島には馴染めなかった。そして苦悩した。しかし、一村には「絵」があった。貧困と絶望の中で絵を描き続け、島で18年間暮し、島で死んだ。中央画壇からはいっさい認められなかったその絵が認められたのは、没後何年も経ってからだった。

源吾が愛加那と暮らしたのは、龍郷での3年の間のわずかな時期だった。激動の時代でのほんの一瞬、しかし真の安堵の時だったにちがいない。あんなに怨んでいた島をいつしか愛しはじめていた。そして菊池源吾は大島三右衛門になって、再び混沌とした時代の渦中に帰っていく。

一村と源吾、果たして幸せだったのはどちらなのだろうか。いや、どっちの苦悩が深かったのだろうか。愛は空より高く、憎しみは地の深くにある。

愛加那は今日も形見の髪を胸に仕舞い、深い深いイジョンゴの泉を汲む。そして遠い遠い空を見上げる。だれもが島を愛し島を憎む。

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