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お盆の終わりに。激戦地・沖縄を思う。

今年は行けないかもしれないけど・・・

毎年、この時期になると考えることがある。先の大戦で沖縄に送られ、命を落とした祖父。去年はなにごともなかったので平和祈念公園へ、平和の礎に刻まれたその名のもとを、訪ねることができた。暑い、とても暑い夏の終わりだった。

当時はCOVID-19なんて言葉もなく、移動も宿泊も滞りなくできた。ところが今年はどうだろうか。すでに現地で件のウイルスが猛威を振るっているようなので、残念だがいまはあちらへ赴くことは不可能に近い。

いまはいろいろ、複雑な思いを胸に抱えたまま、静かに時が過ぎていくのを感じる。8月も後半に差し掛かり、そろそろ夏の終わりが見えてきた。ーまだ猛暑というより酷暑なので、夏真っ盛り、といった感じではあるが、事実暦のうえでは『残暑』である。

祖父の話。

だいぶ前の話になるが、少しだけ祖父の話を姉から聞いたことがある。姉は、今は亡き母からその話を聞いたのだそうで・・・祖父と祖母が結婚して間もないころに、その『呼び出し』がかかり、祖父ははじめはかなりの抵抗を見せたらしい。しかしその『紙』が送られてきたら、戦場へ行かなければならない。

戦争は当時新婚だった二人を引き裂き、祖父を戦地へ向かわせた。行先はなぜか、国内でももっとも激しい地上戦だったと言われている沖縄である。おそらく戦況がかなり厳しく、少しでも戦力を集めたかったのであろう、平和の礎には全国から集められ、散っていった戦没者の名前が刻まれていたのは記憶に新しい。全国だけではない。外国の方のお名前も多数、見受けられた。祖父もまた、犠牲者のうちの一人だったということだ。

姉は言っていた「すごく悲しそうな顔をして、肩を落として出ていったらしいよ・・・」それは、そうだろうな・・・。生きて帰ることが許されないのだから。祖父は、そして残された祖母はいったいどんな気持ちだったのだろうか。祖父は、さぞかし無念だったろうな。そして祖父が亡くなったと聞いたとき、祖母は何を思ったのだろう。つらいとか悲しいとか、そんな簡単な言葉じゃ言い表せない気持ちだったんだろうな。やるせない。

しかし、また機会があったら姉から祖父の話を聞いておかなければならない。聞かせてくれ、とは言いづらい話だがーというか、聞いておく必要がある。姉がいなくなってしまったら、この家の名を継ぐ者は自分一人になってしまう。そうなったら、もう自分以外の家族、そして先祖のことをもう二度と・・・一切知ることができなくなってしまうのだ。

大人になるまで、実は知らなかったこと。

実は祖父のことは詳しくはしらない。ただ、私が生まれる数十年前に戦争で命を落としたとは聞いていた。-小さいころから祖父と思っていた人は、実は祖父の兄だったり、とわが家の家系図は若干複雑なため、そして幼少時から『祖父(と思い込んで疑わなかった人=祖父の兄弟)』『祖母』が当たり前に家にいたので、のんきな私は沖縄戦で亡くなったのが本当の祖父だなんて当時は知る由もなかった。

その事実を知ったのは、私が成人してからである。母に「なぜ今まで黙っていたのか」と問いただしたところ、「ショックを受けると思って、言わずにいた」との返答。ま、まあ・・・そりゃそうだけども、もう少し早くに知りたかったぞ・・・。そうすれば、いまこの状況になる前に、もっと沖縄に行けていたかもしれない。

と、いなくなってしまった母へ変な気持ちを向けても仕方がないので、自分の気持ちを整理する。最前線で戦ってくれた祖父たちがいてくれたおかげで、今の自分がいるんだな、とあらためて思う。そして、平和を守ってくれて、ありがとう。

いつかまた、状況が落ち着いたら手を合わせに行きます。-地元にも墓石はあるけど、やはり祖父の魂は沖縄に眠っていると思う。顔も姿もみたことはない、だけど自分の中ではとても尊い、大切な人。

戦争に対して考え方はいろいろあると思う。周辺の国が武装しているから我が国もそうすべきだ、というのは確かに理論上正しい。が、先の悲劇を繰り返していいのだろうかとは夏が来るたびに思う。人が人でなくなり、個人の尊厳や意思さえ奪われてしまう。そんなことを繰り返すのは、本当はだれも望んでいないんじゃないのか・・・?と。

私は10代のころから不思議と沖縄に惹かれており、幾度となく現地を訪れているが、おそらく祖父が呼んでいたのだとおもう。いままではなぜかタイミングがあわずに行くことができずにいたが、昨年ようやく訪問することができた、本当の祖父が眠る場所。

お盆の終わりに。

いまがちょうどお盆だから、というのもあるが、「自分はこんなに平和に暮らしていていいのだろうか」と考えることがある。父母もやはり子供のころに戦争を経験し、そして高度経済成長期、バブル、そして氷河期から現在ー様々な時代を生き抜いてきた。仕事とか、時代の波にもまれながら相当苦労したと思う。

現在、我が家に残された家族は私と姉の二人。江戸からつづくこの家の、末裔ともいえる存在。父は7年前に失踪し、行方がしれないまま時が経過した。-時効ー父が死亡したと法的に認める、失踪宣告手続を、今行っている。姉に言わせると非常に複雑で何やら面倒な手続なんだそうだ。

その手続が終了したら、いよいよ本当に自分たちがこの家の代表になるのだ。という、謎の決意を固めさせられる、そんな季節でもある。そして、なにより自分が生まれたシーズン。この嫌に蒸し暑く、いろいろな意味で自分を試しているかのごとくに試練を重ねてくるこの夏は、やはり特別なのだ。

ありがとう、感謝します。そしてどうか安らかにー

今あらためて、祖父と祖母の心の平穏を祈りたい。そして、父、母。ーその前の、ずっと前からのご先祖さまたち。いつも自分を護ってくれて、本当にありがとうございます。この命は大切に扱います。どうか安らかにお眠りください。


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