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祝杯は泡盛、そして芋焼酎。

離島、そして合宿免許。

いまからだいぶ前の話になるがー私は小型船舶操縦士(当時は4級)のライセンス取得の合宿で与論島のとあるリゾートホテルに宿泊しながら、勉強の日々を送っていた。

食事はホテルでの朝、夕バイキング形式だったように思う(残念ながら昼食はよくおぼえていない。船舶の免許を取りに行ったにも関わらず、船酔いがひどくそこまでの記憶がないのだ)。ただ、朝食をとりすぎるとより一層船酔いが増す、ということは学習した。-謎のプライドと気合で耐えて、絶対に吐かなかったが。

5泊6日くらいの、長いようで短い滞在だった。それでも、亜熱帯の独特の気候を十分に味わうことはできた。あくまでも勉強しに行っているのだが、リゾートに遊びに来ている人たちが正直うらやましかったのは言うまでもない。当時はジェットスキーに乗りたい一心で免許を取りに行ったので、「インストラクターなしで乗りたいなあ」などと思いながら、水しぶきを上げて滑走する水上バイクを横目に、船酔いに耐えながらもボートに乗り込んで操縦を覚えていったものである。

surprise!

講習最終日。無事に免許取得のための最終試験を終え、ほっと一息つくことができた。しばしの休息。明日はあわただしくも家に帰ることになるのか・・・-と謎の感慨にふけっていると、不意にミーティングルームから呼び出しがかかる。なんだろうか。もうスケジュールはすべて終了したはずだが・・・?

そう思いながらも足を運ぶと、そこには講習に携わってくれたインストラクターの方々、講師の方、それと生徒の方全員が集まっており・・・テーブルの上には見たこともないような(ものすごく豪華、とかそういう意味ではなく)島独特の料理とお酒がこれでもかというくらい用意されていて、度肝を抜かれた。

はじめて口にした、ビール以外のお酒。

「講習、無事に終了いたしました。皆様、お疲れさまでした!」晩餐会の始まりである。こんなことはスケジュールには書かれていなかった。なんという粋な計らいなのか。最後の夜の食事も普通のバイキングではなかったのか?っていうかさっき食べてきたような気が・・・あれ?いま考えてみると、もしかしたら隠された計画として最初からあったのかもしれないが、当時若かった私は素直にそれを祝福として受け入れた。

この合宿にはいろいろな方が参加していた。誰とは言わないが、著名な方もご参加されていた。ご家族がビーチで楽しんでいる間、ひとり黙々と勉強に励んでいらっしゃる姿が印象的だった。とても気さくな良いお人で。

そしてはじめて口にする『泡盛』『芋焼酎』というお酒。甘い。しかし口当たりは悪くない。むしろ気を付けないとガンガン飲めてしまう。「これが島のお酒なのか・・・」とか思いながら、ペース配分も気にせずにわりといい勢いで飲んでいたので、盛大に酔っぱらった気がする。あくまでも、人様に迷惑をかけない範囲で、の話だが。

なにしろ、これは『与論献奉』なるイベント形式である。当時は呑める体質だったので、深いことを気にせず(また、もともとアルコールには強いほうだったので)悪酔いしない範囲で大いにお酒を楽しんだ。

祝杯に酔いしれてよい気分になっているころ、なぜか参加者それぞれが自己紹介をすることになった。これについてはいまでも「なんでだろうか」とは思うが・・・おそらく、せっかくのご縁なので『どこかでまた、機会があったらお会いしましょう』という意味合いがあったのかもしれない。

なぜか、突然の『予告』。

ぼーっとしながらいろいろな人のお話を聞いていると、あっという間に自分の番が回ってきた。正直、なにを言ったのか詳しくは覚えていない。ただ、『どこから来たのか』ということと、なぜか口が滑って「いずれ1級ライセンスを取ります」と宣言し、周囲を驚かせてしまったのはよく覚えている。

なぜそのようなことを言ったのか、いま考えてもわからないが、あれはある意味願望実現の前触れだったのかもしれない。きっとそのときから、1級ライセンスを取るというのが『夢ではなく目標として』頭の片隅にあったのだろう。実際、かなりのタイムラグがあったにもかかわらず、私は1級小型船舶操縦士の資格を取得している。わけあって完全なペーパー状態なのが残念だが。

あのとき・・・もしそれを口に出していなかったら、ライセンスをステップアップすることもなかったかもしれない。手続も面倒だし、費用も高いし、なにしろ1級取得のための講習が恐ろしく大変だったからだ。1級へのステップアップは合宿形式ではなく、とあるボート販売店の会議室で二日間にわたり無理やり知識を詰め込んだのちの試験であったが、いま短期間集中であの量の勉強ができるか?といわれたら、はっきりいって謎である。試験終了後は力尽きて抜け殻のようになってしまっていた。

特別な思い出。

そんな若かりし頃の思い出が詰まった、泡盛や芋焼酎といったお酒は自分にとって特別な存在である。初めて飲んだお酒で祝杯をあげた、というのも感慨深かったが・・・そのあと酔い覚ましに外に出て、夜風に当たりながら南の島の星空を眺めた記憶もまた、忘れられない。

島からは帰りたくない、なぜかそんな思いが急にこみ上げてきて、帰りの便を変更しようかと思った。それほどの魅力が、あの島にはあった。しかしそこはなんとか理性が勝ったーというよりは、パックで取ったチケットだったため、物理的に日程変更ができなかったので、やむなく自宅へおとなしく帰るはこびとなった。

帰宅途中、肩に食い込む荷物の重ささえ、なぜか愛おしく感じたのもよく覚えている。自分の中で、ひとつの目標をやり遂げた充実感がとても大きかったのだろう。

一応対策は施していたものの、ものすごい日焼けをしていたらしく、家に帰って姉や母に「誰?」とか言われたのをよく覚えている。顔が真っ黒になっていたらしい。なので、やたら歯が白くみえたとか(たしかに、そう考えるともはや別人かもしれない)。このまっくろくろすけ状態から抜け出すのにしばらく時間がかかったのも、良き思い出である。

機会あれば再び。

いま、あちらの島へわたることは難しい。なにしろ、今年2月・3月ころから世間をにぎわせているCOVID19が沖縄方面で猛威を振るっている。なにもいまこの時期にあちらに行って迷惑をかけることもあるまい・・・自分が必ず発症するとも限らないが、そこはやはりもう少し待つべきであろう。

なので、また近いうちに懐かしいあのお酒を取り寄せ、感慨にふけりながら自宅で晩酌をしてもよいのではないか、と思っている。そして状況が落ち着いたら、再びあの島を訪れたい。

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