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【B'z物語】稲葉浩志と松本孝弘を詩人に見立てる|+萩原朔太郎

こんちわ、ザムザです。ご存知のかたもいるかと思いますが、B'zという日本の音楽アーティストがいますね。じつは私はかなり、かなり好きなのですよ。たぶん人生で一番聴いているんじゃないかしら……ってくらいの音楽家。で、今回はそんなB'zの軌跡を追った音楽ライター・吹上流一郎の本『B'z物語』を取りあげます。たんなる内容紹介ではなく、B’zの二人──松本孝弘と稲葉浩志を詩人として取り扱うという試みをしています。

この記事で取りあげている本

はじめに

 日本に住んでいると「B'z」を知らないでいることは難しいと言っても過言ではないでしょう。好む好まざるとに関わらず、どこかしらでその楽曲を耳にしているはずです。ギターの松本孝弘とボーカルの稲葉浩志の二人からなるB'zの偉業は、セールス的な面でもパフォーマンス的な面でも、それこそ調べれば続々と見つかります。

 音楽ライター・吹上流一郎によって書かれた評伝である『B'z物語』(1998)もまた、B'zの、そして松本孝弘と稲葉浩志のそれぞれのエピソードが寄せ集められています。吹上の本ではエピソードだけでなく、知人やファンのエールも添えた形で構成するスタイルで書かれているのが特徴的です。

 本の構成としては稲葉浩志に関する記述に多く割かれているようです。松本孝弘に関する章がおよそ20ページであるのに対して、稲葉浩志については70ページも割かれているのですから。稲葉のアイドル的な人気やそれに因んでのエピソードを集めやすかったといった事情もあるでしょうが、ファンブックとしての性格上、『B'z物語』の購入者層に刺さる作りにした結果と見るべきでしょう。

 ──と、は、い、え、この記事ではB'zの来歴や各自エピソードを逐一に紹介するものではありません。そうした本の内容への関心はじっさいの書籍に当たっていただくとして、以下では『B’z物語』を参照しつつ、稲葉浩志と松本孝弘を詩人として押さえつつ、B'zにまつわる言葉ならびに観念(なのか?)を紹介していきます。

詩人としてのB'z

ここからはB'zの二人を〈詩人〉として眺めていきます。ここで詩人というのは、たんに "詩を書く人” のことではありません。豊臣秀吉やナポレオン、ルソーやゴッホなどの生き方を詩的という場合の、「ある種の観念に駆り立てられる人」のことです。以下ではそうした属性を持つ詩人を萩原朔太郎の詩論である『詩の原理』を参照したりし、『B'z物語』に書かれた稲葉浩志や松本孝弘のエピソードを詩人の特質として読み、楽しんでいきます。

作詞家・稲葉浩志

 B'zの楽曲にまつわる言葉に関心を持つとき、その関心はほぼ全て──『Nothing to change』という楽曲のみは亜蘭知子による作詞──のB'zの歌詞を担当している稲葉浩志へと関心が向かうことになります。『B’z物語』が稲葉浩志に偏重していることは稲葉の詩想や心象世界への理解を深めるには都合がいいと言えます。

 たとえば『Easy Come, Easy Go!』(1990)の歌詞にある「〽︎昔 卒業の寄せ書きに 書いたことのあるクサイ言葉/「逆境にくじけるな」と今自分に言い聞かせて」に関して、「津山私立林田小学校」の卒業アルバムにじっさいに稲葉浩志が寄せた文言であると紹介されているのです(p25)。(ただし、これは近所の人が稲葉が有名になってから雑誌で見た情報であるとのことで、『B’z物語』はそれ以上の根拠を載せてはいない。)

 B’zの楽曲は歌詞も魅力のひとつであることは確かです。この作詞への想いについては、どうやら稲葉浩志は「作詞の世界で食べていく」ことも考えていた節があります。大学を横浜国立大学の教育学部数学科に決めた稲葉は故郷の岡山県を離れて、東京に出てきます。このときに学校の合間にボーカルスクールに通っていたとのことで、『B’z物語』では──友人に宛てた手紙からの引用として──「バンドを組んで、自分のボーカルを試してみたい。もし食べていけなくても、自分の好きな作詞の世界で食べていけるかもしれない」(p71)と稲葉が考えていたと伝えています。

 作詞家いや、詩人としての稲葉浩志に注目すると、稲葉が言葉に対して特別な感情(感性・感度)を持っていたことが窺えます。じっさいに稲葉が作詞したものを見ると──『LADY-GO-ROUND』(1990)における百人一首の句からの引用や、『Rosy』(1989)や『Stardust Train』(1990)の艶めく文体そして切なさ、『LADY NAVIGATION』(1992)におけるタイトルフレーズの言葉の掛け合わせ、『HOT FASHION ~流行過多~』(1990)におけるフランス象徴派詩人であるアルチュール・ランボーこと「ランボオ」の固有名の使用、『TONIGHT(Is The Night)』(1991)のワインに酔うにも似た “この特別な夜” への陶酔感、云々。いずれも作曲担当である松本孝弘の音楽の魅力抜きに語ることはできませんが、それを抜きにしたとしても、稲葉浩志の言葉選びには目を引くものがあるのは確かです。

夢を追う人間・稲葉浩志

 稲葉浩志の友人は音楽の道に進んだ稲葉について次のように語っています。

 彼がプロになったと知ったとき、私は “当然かな” と思ったんです。彼は現実的というよりは、夢を追う人間でしたから。教育学部に進学したということはもちろん聞きましたが、彼が教員になるとは思いませんでしたよ。
 反対に私は現実的な人間なので、 "夢は叶わないもの” と言う考えで、ギターは趣味としましたけれど。

(p62−64)

 上に引用した稲葉浩志の友人の発言では、〈夢〉に対する態度という点で二種類の属性があることを暗示されています。一方には現実的な友人の考えるような「夢は叶う/叶わないもの」である、他方には稲葉浩志がそうであるような「夢は追う/追わないもの」であるという二種類が。友人が自身を “現実的な人間” と語っているのは象徴的でしょう。たとえば詩を書いたりポエムを綴ったりしている人間は「現実的」とは言われず、しばしば「空想的」と言われます。この空想的という見立ては稲葉浩志が “夢を追う人間” であることに重ねられるのです。

 〈夢〉に対する態度について、もう少し掘り下げて見ましょう。そのために「主観/客観」の区別を参照します。現実的な人間が立脚しようとしているのは客観であることは間違いないでしょう。それに対して空想的な人間が依拠するのは主観です。〈夢〉に対する態度として、「主観/客観」の相違は、そのまま「夢は追うもの/夢は叶うもの」という分類に当てはまります。言い換えれば「主観の空想/客観の現実」です。

 そもそも現実的なタイプではなかったという稲葉浩志にとって、〈夢〉は叶う叶わないはさて置いて追わずにはいられないものであったのでしょう。ここでは「客観的な満足」ではなく「主観的な欲情」が優先されています。──『BREAK THROUGH』(1990)では「〽︎見えそうで見えない satisfaction/いつまでも追い求めていたい/満ち足りて動けなくなるよりも」と歌われていますが、まさに「満足<欲情」の図式が表れていると言えるでしょう。

 稲葉浩志が生活面における理想への欲情を追求したのに対して、その友人は生活面における満足に安住したのでした。そして、この二つの態度の違いは、先に引用した文章の中の〈夢〉に対する態度の違いに表れているのです。すなわち、現実的に考えて夢は叶わないと判断するのか、それとも現実的ではなくても夢を追う人間であるのか。あるいはこうとも言えるでしょう。──夢は生活に持ち込めるものではないと考えるのか否か、と。

詩人の空想は現実に生きられる

 ところで、日本の象徴派詩人に萩原朔太郎という人物がいます。朔太郎の著作に「詩とは何か」について考えた『詩の原理』(1928)という詩論があります。実のところ、先ほど「主観的な欲情/客観的な満足」というあまり馴染みのない言い方を採用したのは、朔太郎のその本に登場する観念です。

『詩の原理』には “主観の夢” について書かれたくだりがあり、空想に関しても触れながら次のように語られているのは、上述の〈夢〉に対する稲葉浩志とその友人との違いを考えるうえで参考になります。

かく空想や聯想の自由を有して、主観の夢を呼び起すすべてのものは、本質に於て皆「詩」と考えられる。反対に空想の自由がなく、夢が感じられないすべてのものは、本質に於ての散文であり、プロゼックのものと考えられる。故に詩の本質とするすべてのものは、所詮「夢」という言語の意味に、一切尽きている如く思われる。

 「プロゼック」とあるのは "詩的ではないもの" のことです。注目すべきは、主観の夢を呼び起こすすべてのものが詩であると断言されている点です。朔太郎は「詩は必ず主観主義の文学でなければならない」とも語っており、詩人はすべて「主観主義」であると述べるのです。とはいえ、そのことは現実生活をおろそかにすることではありません。朔太郎はむしろ、表現抜きに作品がないように、生活を抜きにしては行為はありえないと唱え、詩人を「単なる生活者でもなく、単なる芸術家でもなく、その両方を一所の中心に持つところの、或る特別の人間を指すのである」と述べています。

 以上の詩人の特質を踏まえると、詩人にとって〈夢〉が叶うか叶わないかは生活上の問題にはなりません。ただ追うか追わないかという主観上の基準だけがあり、客観的に叶ったのかどうかは問題にならないのです。問題になるとしても、それは自己の欲情に相関した他者の満足にのみ関与する程度でしょう。なぜなら「主観の夢」はあくまでも生活上で表現されるのですから。つまり、詩人の空想は現実において生きられることになるのです。

そして詩人は髪を切らなかった

 「主観の夢」に没頭する詩人が実在すると信じるのは、主観それ自体であり、主観に掲げられた目標観念です。萩原朔太郎が『詩の原理』のなかで語る口を借りれば、「主観を捨てることは自殺であり、全宇宙の破滅である」わけです。こうした悲惨な境遇は「売れないミュージシャンが夢破れて故郷に帰る」などの、ある種の紋切り型になっているイメージとも重ねられるでしょう。

 稲葉浩志も『破れぬ夢をひきずって』(1994)で主観の夢と客観的現実との齟齬に苦悩する人間を描いています。──「〽︎夢見て 失望して/何かを悟ったつもりになってる/吠えられない 守りきれない/負け犬だ」。この歌詞は「叶わぬ夢をひきずって」ではありえません。主観の夢に没頭する詩人にとって “諦める” ことが選択肢としてありえない以上、〈夢〉を追った結果を引き受けるしかできないのですから。

 ところで、稲葉浩志の書いた詩には "髪を切る” ことが一種の象徴的な表現として登場します。それらは別れた恋人への思慕を示唆する表現(『さよならなんかは言わせない』(1992))であったり、恋人の好み(『DEEP KISS』(1997))であったりしますが、往々にして個人的な趣味ではなく他者との具体的な関係を象徴するものとして描かれています。

 稲葉の個人史に目を向けると、 "髪を切る” ことを巡って人生上の岐路に立ったことが『B’z物語』において報告されているのです。

大学時代に長髪で、中学の教育実習に行ったときに、その中学の校長先生に、
『教師として来たんだから、その髪を切らなければ』
 というようなことを言われて、稲葉にとっては、具体的に、教師を選ぶかミュージシャンを選ぶかという二者択一を迫られたらしいんですよ。そのときに稲葉は躊躇することなく、髪も切らず、教育実習もやめ、自分が将来音楽の道に進むという決心を固めたんです。

(p72-74)

 稲葉浩志にとって "教師になること” は大学を出た自分が堅実で常識的な現実へと向かうこととなる選択だったのでしょう。それは学業の合間にボーカルスクールへと通い、主観の夢を生きようとしていた詩人・稲葉浩志にとっては、自身の主観を捨てるかどうかが、 "髪を切るかどうか” という選択に深く関わるものであったと思わせます。しかし、上に引用した文章に書かれているように、稲葉は「躊躇することなく」教育実習をやめました。詩人の空想を現実で生きるための必然と言えましょう。

松本孝弘はLIFEの中にHOMEを見る

ここまでボーカルの稲葉浩志に焦点を当てて来ましたが、ギターの松本孝弘もまたひとりの芸術家として、主観の夢に没頭するひとりの詩人なのです。萩原朔太郎は詩人の表現を生活上の行為として語りましたが、松本が「LIFE」のテーマに関心を向けていたことは関連するでしょう。インストゥルメンタル・アルバムである『Wanna Go Home』(1992)をリリースした際に、松本は「サウンドが映像的なものへと変化しているのではないか」とコメントされて、次のように答えています。

うん、そう言われてみると、そんな気もするな。映像的というのもありますよね。だから、テーマ的にも、ほんとは去年の『IN THE LIFE』からずっと『LIFE』っていうのが続いてて、自分が日々の生活の中で経験したり体験すること、そんなものをサウンドの中に挿入していこうという思いがありましたよ。

(p155)

 詩人を「単なる生活者でもなく、単なる芸術家でもなく、その両方を一所の中心に持つところの、或る特別の人間を指すのである」と述べたのは萩原朔太郎でした。その意味するところを意訳するなら次のようなことです。──ただ漫然と主観的な生活を送るのではなくて、その生活のなかで観念としての自我を客観的に表現することができ、現実世界の自己と観念世界の自我との二重の中心を持つのである。

 生活のなかで作品を作るうえで「生活(=LIFE)」に注意を払うとなれば、自我観念をただ生活世界へと投影するのでは用が足りません。松本孝弘が「自分が日々の生活の中で経験したり体験すること」に向けて目を配るようになったと語るように、自我観念と生活世界の価値を等しく見積もったうえで、どちらか一方を他方へ投影するのではなく、相互に往還する構えが重要になります。

 『B’z物語』では松本孝弘の発言を「松本にとっての戻るべき場所は、絶えず、『HOME』」(p155)とまとめられています。萩原朔太郎の『詩の原理』で詩人は生活に立ち返るべきであるというアイデアを確かめた後では、 HOME と LIFE とは別の何かを語る言葉ではありません。どちらも詩人にとっては主観の夢の基点となるがゆえに、絶えず立ち返るべき表現行為の現場となりえるのです。

おまけ

ここでは『B’z物語』のおもしろい箇所を適当に抜粋します。

稲葉浩志の自己管理論

ツアーで一番大切なのは自己管理。日々移り変わる旅先での環境の変化と繰り返される生活のプログラム。その中で、いつも自分が、どうベストの体調を維持していくか。ステージに出る瞬間、いかに自分自身を、もっとも高いテンションにもっていくか。それはなんといっても、もう自分自身の自己管理以外にないんですよね。アーティスト本人でしか管理できないこと。僕自身、考えているんだけれども、ロードを続ける人気アーティストの宿命だと思ってるんですよ。

(p158)

※ロードが意味するのは、本には明記されていないものの、ツアーの始まりから終わりまでの道のり=期間のことだろう

稲葉浩志はストイックなことで知られています。所定の体調が出力されるプログラムは絶えず生活のうちに走っていて、環境が変わればそのプログラムも変動してしまう。そんな中で最高のコンディション、最高のテンションにしなければならない。そして自分の調子の責任を環境のせいにしない。覚悟が感じられる一節です。

稲葉浩志の詩の書き方

僕の場合には、詞を作るといっても、いつも、『火事場の馬鹿力』でしかないような方法なんですよ。時間というのは不思議で、たとえば3日あるから、1日10行ずつ書いていけば、全曲が片づいてしまうというわけではないわけ。悩んでいると、2日と10時間あろうが、3日あろうが、全然、できない。しかし、集中できるときには、流れるようにその詞が浮かんでくる。たとえば、一時期ブームだった超能力でスプーンを曲げるなんていう人がいましたよね。持ったとたんにグニャンとかってやつ。手を見つめ、しばらく集中力を蓄える。僕が詞を書くときには、けっこう、そんな方法で書いていくっていうのかな。

(p176)

ここには感覚的なことが書かれています。感覚的であるがゆえに単純だけど深淵でもあって、超能力でスプーンを曲げるってくだりなどはもはや難解です。しかし頭や脳ではなく手に意識を集中させるというのはおもしろい。詞を書くのは手ですから、踏み出す最初の一手を信じてこそ、作るものも出来るようになるというのでしょう。

稲葉浩志のスローダンスのススメ

みんながスローダンスを踊れる曲です。カップルの方はいちゃつきまくってください。スローダンスが踊れると、人生が2倍楽しめますよ。

(p187)

「〽︎踊ろよ LADY やさしいスロウダンス」ですね。詩人・萩原朔太郎は『老年と人生』という随筆のなかで「スポーツ・ダンス・恋愛」に耽ることが若者の贅沢だと述べ、時代が降って社会学者・宮台真司は「サッカー・ダンス・セックス」が〈今ここ〉を充実させるのだとある本で言いました。ダンスは重要なのですな。

まとめ

ここまで『B’z物語』の内容に基づきながら、B’zのメンバーである稲葉浩志と松本孝弘とを〈詩人〉として眺めてきました。ここでの詩人とは、たんに "詩を書く人” のことではなく、豊臣秀吉やナポレオン、ルソーやゴッホなどの生き方を詩的という場合の、「ある種の観念に駆り立てられる人」のことです。たとえば稲葉浩志が髪を切らずに音楽の道を志したことを、ある種の詩人的な〈夢〉に対する不可抗力として読みました。その理由を考えるうえで詩人・萩原朔太郎の『詩の原理』を参照してきたのです。あるいは松本孝弘が LIFE を重視する視点は、詩人が芸術家であると同時に生活者でもあるという「表現者一般の原則」を示唆してくれたと言っていいでしょう。

_了

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