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私が機械設計者を辞めたポジティブな理由とネガティブな理由

私は2017年の4月から2023年の5月まで機械設計者として機械装置メーカーで6年間働いていました。

この記事では私が6年間働いた会社をなぜ辞めたのか、そして機械設計者としてキャリアを進めるのではなくDX人材としてのキャリアを進めることを選んだ理由について書いています。

私がDX人材になると決めた理由としてはポジティブな理由もネガティブな理由もあります。

「年収を上げたいから転職した」のような分かりやすい理由ではなく、もっと自分の生き方として進むべき道を熟考し、悩みぬいた末の決断でした。

全く嘘のない本音で書いているので現役の機械設計者の方で自身の今後のキャリアについて悩みや不安を持っている方は参考になると思います。

新卒から6年間働いた会社を辞めた

まずは簡単にですが私のこれまでのキャリアは以下の通りです。
26歳:近畿職業能力開発大学校(ポリテクカレッジ)機械科卒業
27歳:従業員500名程度の機械装置メーカーに機械設計者として入社
32歳:機械装置メーカーを退職

大学を26歳で卒業後、機械装置メーカーに機械設計者として入社させて頂きました。

この会社に入社した理由は1人で装置全体の設計を担当できると聞いたからです。

さらにお客様との仕様打ち合わせから機械設計、機械の立ち上げ、エンドユーザー様への納入、試運転、メンテナンス。これらの作業全てを機械設計者が行っている会社でした。

機械設計を仕事として行った経験がある方は承知の通りですが1人でここまでの範囲を担当できる事は稀です。特に会社の規模が大きくなる程、工程ごとに分業化されます。

大手の自動車メーカーや部品メーカー、工作機械は分業制になっている会社が大多数なのではないでしょうか。

その点私が入社した会社は様々な業務を機械設計者が行います。1つの業務だけではなく様々な業務を経験したい私にとってはピッタリの会社でした。

入社後は楽しい事や辛い事、様々ありましたが基本的には会社が好きでした。
人間関係が良く、給料もそこそこ、業務の負荷も基本的には高くない職場だったので働きやすい環境でした。

「世間では転職が流行っているが自分は一生この会社で働いていく」と決めていた時期もありました。

しかし2021年頃から自分の今後やっていきたい仕事や世の中の流れ、自身の体調変化により「今の会社で一生働いていくんだ」という気持ちが薄れてきて転職を意識するようになりました。

結局は「この会社の機械設計職として働き続けるのは今の自分にとっては難しい」という結論になり転職する事になりました。

次の章で私が転職を決意し、機械設計者としてではなくDX人材として転職する事になった理由についてお話します。

ポジティブな理由

これからはDXの時代

私が今の装置メーカーから転職しようと思った一番の理由は世の中の流れである「DX」が流行したからです。

DX(デジタルトランスフォーメーション)は、デジタル技術を活用して生産・運用を効率化・最適化し、スマート工場やIoT連携による生産革命を実現する取り組みです。生産プロセスの自動化、データ解析による予測保全、クラウド連携などが含まれ、競争力向上と新たなビジネスモデルの創出を促進します。

DXなんて一時の流行。私の業務や仕事にとって関係ないものだと思っていましたが、ある本を読んで考え方がまるっきり変わりました。

こちらの記事にも書きましたが、DXは産業革命であり工場の生産性向上という単純な業務改善ではなく仕組みやルールががらりと変わる社会変革だと気づきました。

私が装置メーカーの機械設計者として働く中で見てきたのは、多くの工場では各工程の”機械化”はされているが工程間や業務間、もっと大きく見ると会社間では”人が介在し調整作業”をしている実態でした。

それは実作業でもデータのやり取りでも同じでした。

人が介在する事で業務効率は下がり、ミスは増え、ミスがあるからその対策に人が追われる。こんなループを繰り返しているように見えました。

これらの課題をぼんやりと感じながらも、そんなのは難しく自分では到底解決できない課題だと思っていました。

しかし天野さんの本を読んでからDXが進めば私が日々感じていた課題は解決するんじゃないかという想いに変わってきました。それからは「工場のDX化を進めたい」と漠然と思い、やがて自分のやっていきたい事に変化していきました。

機械設計者よりもDX人材の方が稼げる

元々お金には執着するタイプではありませんでした。もちろん無いよりあった方がいいですし欲しいものもそれなりにありましたが生活にはそれなりに満足し借金もなく貯金もできる程度の給料はあったので今の職場で機械設計者として働いても幸せかなと思っていました。

しかし機械設計者の需要が昔に比べ下がってきており、今後も下がってくるのではないかと肌感覚で感じていました。自分が40歳、50歳になった時にまだこの仕事があり、給料もそれなりにもらえる自信は全くありませんでした。

日本の製造業を斜陽産業だとは思っていませんが、機械設計職は斜陽職種だと個人的に思っています。

それに比べるとDXに関わる職種は”アツい”です。なんせ国が明らかに今後需要は増え供給は供給が足りないと公言している職種だからです。


総務省 令和3年版 情報通信白書

この波に乗らないのは非常にもったいない、というより乗らないと自分が今後生きていけなくなると感じました。

プログラミングが楽しかった

私は装置メーカーで機械設計者として働いていましたがVBAという言語を使ったプログラミングも少しやっていました。

VBAはMicrosoft Officeに含まれるプログラミング言語の一種でExcelやWordでの作業を自動化する事ができます。

業務の効率を改善したかったので独学でVBAを勉強しExcelに実装していました。これが自分の中でものすごく楽しかった。何が楽しいのかというと、PDCAを高速で回せる事です。

  1. 改善したい業務を分析し要件定義を行う(P)

  2. 要件定義に沿ってプログラミング(D)

  3. デバック(C)

  4. 実装し使い勝手が悪ければ改善(A)

PDCAを高速で回せた事は機械設計にはなく新鮮でした。機械設計の場合は設計が終わってから

  1. 部品手配

  2. 組み立て

  3. ソフトインストール

  4. 各機器の立ち上げ

  5. 試運転

少なくてもこれらの工程が入り、設計が終わってから検証作業まで数カ月は平気で掛かります。更にどこかの工程でミスが見つかると再設計を行い、再び部品手配からになります。

自分の設計が正しかったかどうかを検証するまでに多くの時間とお金が必要です。

プログラミングを知らなかった時はこれが当たり前と思っていましたが一度プログラミングの検証までの手軽さを覚えてしまうと断然こちらの方が面白いと感じました。

同年代の技術者仲間からの刺激

私は2020年頃からツイッターブログで機械設計や設計者の働き方に関する情報発信を行っていました。

情報発信をする中で同年代の機械設計者とも知り合いになる事ができその内の1人にしぶちょーさんという方がいます。

しぶちょーさんは大手工作機械メーカーで機械開発業務を担当されていましたが、2021年頃から機械学習やAI等を使用し、工作機械で新たなビジネスを模索する部署へ自分の意志で異動されました。

私はしぶちょーさんとツイッターやブログを開始した初期から交流があり、定期的にお話をさせて頂いていました。

彼から直接DXという言葉は聞きませんでしたがIoTデバイスによるエンジニアリング、データ解析、データ視覚化、データ活用についての話や将来の製造業については聞いておりました。

将来についての話は私にとって魅力的であり、その中核を担うべく必死に仕事、勉強、情報発信をしている姿勢に同じ技術者として大いに刺激を受けたのも転職を考えるきっかけのひとつでした。


ネガティブな理由

今の会社では工場のDX化はできない

転職にはリスクも伴うため可能であるならば転職はしたくありませんでした。しかし現在の会社でDX人材になるには難しいと感じた為、転職をする事にしました。

私が在籍していた会社はいわゆる装置メーカーと呼ばれていてお客様の工場に生産機械を導入するのが仕事です。工場には様々な機械があり、これらは我々のような装置メーカーが各々得意な機械を納入します。一つの装置メーカーだけで工場内の機械を全て網羅する事はあり得ません。

上記の事を考慮すると装置メーカーのいち機械設計者がDXを進めていくのがいかに難しいかが分かると思います。

DXはある一部分のデジタル化やIOT化ではありません。工場全体や会社全体を全てデータ化し各工程をいかに人を介さずにスムーズに進めていくことだと私は考えています。

という事はどれだけ各装置をDXに対応できるような仕様にしようが素晴らしいITシステムを導入しようが全く意味がありません。会社内の各業務を理解し、それらをいかにスムーズにリンクする事ができるかを考える事がDX成功のカギです。

装置メーカーの立場ではお客様内の工場へのアプローチは限定的なものにならざるをえません。これはどの装置メーカーにも言えることです。

本当にDXをやっていきたいのであれば自分自身が工場で働き内部からアプローチするしかないと私は考えたため転職する事にしました。

機械設計者は稼ぐことができない

お金を稼ぐことができない。

これは私が機械設計者として約6年間働いた経験とツイッターを通して沢山の機械設計者や製造業関連の人と交流した結果からの結論です。

その理由を考えればいくつも挙がります。

  • 需要より供給が多い

  • 単価設定が30年前から変わっていない

  • 機械設計の価値をお客様に理解してもらいにくい


これらは全て真実だと思います。もちろん機械設計者でも大手メーカーに勤めている方は年収1000万円を超える収入を得ていますが”大手”メーカー以外では会社員で年収1000万円以上は難しいです。

会社員から独立し個人で機械設計をやっている方の場合は年収1000万円を超える方もいますが単価が安いために長時間労働の傾向があるとも聞きました。

こういった状況を考えると機械設計者で高年収を目指そうと思うと狭き門になると思い、私は機械設計者を続けていくという選択肢を捨てました。

機械設計は向いていない

自分自身が機械設計に向いていないと正直思っていました。

機械設計が得意だと思ったことは大学で機械について学んでいた頃から今まで一度もありません。一生懸命勉強してきたつもりですし、仕事も前向きに取り組んできました。それでも他の人よりもミスも多いし完成物も特別優れているわけではありませんでした。

自分を分析すると子供の頃から手先が不器用で絵を描くのも苦手でした。空間認識力が低いと思います。そのため機械設計に必要なポンチ絵を描く技術が人より劣っていると認識しています。これは努力で解決するのが難しいと思いました。

「頑張ればできるようになる」と自分に言い聞かせていたのですが30代になり有限である時間を有効に使っていきたいという思いが芽生えてからは「得意な事を仕事にした方が効率的に幸せにつながる」と考えています。

こういった考えもあって向いていない機械設計は辞めた方が良いと思いました。

心臓がドキドキする現象が改善されなかった

私は約3年前に月100時間程度の残業や納期のプレッシャーからメンタルをやられた経験があります。

その時から時折心臓がドキドキする現象が起きていました。

  • 会社内で嫌いな人としゃべらないといけない時

  • 納期がきつい仕事

  • 出たくない会議

こういった場にいると胸がドキドキしたり、締め付けられる感覚になっていました。

上司にお願いをして仕事の負荷を減らしてもらいました。循環器内科にも心療内科にも通いました。その結果、胸が締め付けられるような苦しさは収まってきましたがドキドキする現象は0にはなりませんでした。

仕事の負荷も低いし、プレッシャーも少ない、社内の人間関係も悪くない。それなのに胸がドキドキする。原因が分からない体の不調程怖いものはありません。

心理的、肉体的ストレスがないのに会社に行くだけでドキドキする現象が約1年半続きました。「手は尽くしたけどドキドキが改善しないという事はこの会社の仕事や人間関係が自分には向いていないのだろう」と考えました。

今の会社ではスキルがこれ以上身につかない

「このままではスキルを上げることができない」

この思いも転職したいと思った理由です。

私が在籍していた装置メーカーは歴史が50年以上あり、お客様が長年取引して頂いている大企業ばかり。そのため会社の利益率が高く経営は安定しておりました。

会社経営が安定しているので社内の雰囲気も新しい事をするよりも既存のビジネスから逸脱しない事を重視し新しい技術や取り組みには消極的でした。
入社して5年が経過すると新しい事を学んでいる感覚が薄れ、日々のルーティンをこなすだけになっていました。

自分で新たに勉強して勝手にやればいいと言う人もいますが実践の場がなければスキル獲得のモチベーションは上げづらいです。

スキルを得られていないし、これからもこの職場にいてはスキル獲得は難しいと思っていました。

ある意味贅沢な悩みかもしれませんが、まだ30代前半の私にとっては大きな悩みでした。

機械設計を辞めたその先

町工場でDXをする

上記のようなポジティブな理由もネガティブな理由もあり、私は転職する事にしました。じゃあ次の職場はどうしようかと考えた時に私が真っ先に思い浮かんだのは町工場でした。

工場でDXをやっていくにはお金と人材と社内の理解が必要だと思っていました。

どれか一つ欠けても難しいと考えましたが実際この3つを満たす会社(工場)はほぼないとも思いました。

特に社内の理解は大手であればある程難しく、人間関係を構築し自分もある程度の立場を作ってからでないと始められない。そもそも自分が大企業に行くのは難しい。

そのため大企業は真っ先に諦めました。

中小企業の会社でも社員数が30名を超えると組織がある程度できあがっているのでDXを進めると言っても難しいのではないか。できるだけ少人数の会社でDXに対して前向きになっている会社を私は探しました。

その時にたまたまツイッターで町工場でものづくりをしている技術者のアカウントを見つけました。その方の考え方や取り組みが先進的でただの町工場ではないと感じました。

まずは話を聞いてみたいと思いその方にDMしオンラインでお話する事になりました。

結果から言うとその方が働いている会社で働く事になりますがその話はまた別記事にしようと思います。


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