『存在と時間』を読む Part.4

 今回の投稿では、序論の第2章第6節をみていきます。


  第6節 存在論の歴史の解体という課題

 この節の冒頭で、すべての学問は現存在の存在者的な可能性の1つとして営まれることが確認されます。すでに指摘されたように、学問は、存在者をこれこれの存在者として徹底的に探究することを目的とするからです。これに対して哲学は、存在論として、他のあらゆる学問に先行する、存在に問いを投げかける研究であったのでした。そして、現存在の存在は、その意味を時間性のうちにみいだすものであるために、存在論は現存在の時間性を考察するべきであることが前節で示されました。それは具体的には、「歴史性」として考察されることになります。

Geschichtlichkeit meint die Seinsverfassung des >Geschehens< des Daseins als solchen, auf dessen Grunde allererst so etwas möglich ist wie >Weltgeschichte< und geschichtlich zur Weltgeschichte gehören. Das Dasein ist je in seinem faktischen Sein, wie und >was< es schon war. Ob ausdrücklich oder nicht, ist es seine Vergangenheit. (p.20)
歴史性とは、現存在としての現存在の「生起」の存在機構のことであり、この「生起」の基盤によって、「世界史」というものも、歴史的に世界史に属することも、初めて可能になるのである。現存在は、それがすでに存在しているありかたで、それが「何」であったかによって、そのつど事実的に存在する。明示的であるかどうかは別として、現存在は自らの過去を"存在している"のである。

 歴史性とは、現存在が、世界史のうちで生きている存在者であるといったことを意味するものではありません。そうではなく、これによって、歴史や世界史的な出来事ががはじめて可能になるような、そのような概念のことを歴史性だと言っています。
 歴史性とは、言い換えるなら、現存在の歴史的なありかたのことです。現存在は「それがすでに存在しているありかたで、それが「何」であったかによって、そのつど事実的に存在する」と言われていますが、これは現存在が過去によってその存在を規定されていることを示しています。私たちはたしかに現在の瞬間に生きていますが、それが可能であるのは、過去に存在した私たちがあるからです。過去のあらゆる経験と記憶があるからこそ、私たちは現在、私たちであることができるでしょう。それだけではなく、食べ物、衣服、言語といった個人レベルの歴史よりも広い伝統によっても、私たちが存在してきたということがみてとれます。私が操作しているこのパソコンにしても、人類の長い伝統の蓄積が、今私がこれを使用することを可能にしているはずです。「明示的であるかどうかは別として、現存在は自らの過去を"存在している"」というのは、こうした事実を指摘するものです。
 しかし、これはたんに過ぎ去った過去というように捉えられるべきではありません。それは現在だけではなく、未来の私たちの存在をも規定するものであるからです。

Das Dasein >ist< seine Vergangenheit in der Weise seines Seins, das, roh gesagt, jeweils aus seiner Zukunft her >geschieht<. Das Dasein ist in seiner jeweiligen Weise zu sein und sonach auch mit dem ihm zugehörigen Seinsverständnis in eine überkommene Daseinsauslegung hinein- und in ihr aufgewachsen. Aus dieser her versteht es sich zunächst und in gewissem Umkreis ständig. Dieses Verständnis erschließt die Möglichkeiten seines Seins und regelt sie. Seine eigene Vergangenheit - und das besagt immer die seiner >Generation< - folgt dem Dasein nicht nach, sondern geht ihm je schon vorweg. (p.20)
現存在は"自らの”存在のありかたにおいて、自らの過去を「存在している」のであり、この存在は、いわば自らの未来の方から「生起する」のである。現存在はそのつどの存在のありかたにおいても、それに備わる存在了解においても、それまで受け継がれてきた何らかの現存在の解釈のうちへ、そしてそのうちで生まれ育ってきたのである。現存在はさしあたりは、こうした現存在解釈に基づいて自らを理解しているのであり、つねにある範囲において理解しているのである。このような理解は現存在の存在のさまざまな可能性を開示し、またそれを規制する。現存在の固有の過去は(ということは彼の「世代」の過去ということだが)、現存在の"後からついてくる"のではなく、そのつどすでに現存在に先立っているのである。

 私がこれから何をしようかと考えるとき、それは自らの過去の情報に基づいて考えられるでしょう。自分の過去からまったく独立した行為というのは、なかなか考えられません。たとえその行為が「今まで自分がやったことないこと」であっても、それは「今まで自分がやったことがない」という過去に規定されていると言わざるを得ません。だから、私たちが未来に行うすべてのことは、過去から受け継いできた存在解釈によって規定されることになります。「現存在はさしあたりは、こうした現存在解釈に基づいて自らを理解しているのであり、つねにある範囲において理解している」というのは、現存在が過去によって規定されているという仕方で自らを理解しながら存在しているということで、「このような理解は現存在の存在のさまざまな可能性を開示し、またそれを規制する」のだと言われます。すなわち「現存在の固有の過去は、現存在の"後からついてくる"のではなく、そのつどすでに現存在に先立っている」と考えることができるでしょう。
 このように、現存在が歴史的な存在であるからこそ、過去はたんに過ぎ去ったものではなく、未来や現在と密接にかかわっていることがわかるのであり、「現存在は"自らの”存在のありかたにおいて、自らの過去を存在しているのであり、この存在は、いわば自らの未来の方から生起するのである」と指摘されるのでした。

 現存在の歴史性については、次の2つの特徴が挙げられています。1つ目は、現存在の時間的な存在様式に伴って備わる原初的な歴史性です。これが先ほど説明された歴史性のことです。もう1つの特徴は、現存在が自らの「本質的な歴史性」を自覚することができることにあります。

Hat andererseits das Dasein die in ihm liegende Möglichkeit ergriffen, nicht nur seine Existenz sich durchsichtig zu machen, sondern dem Sinn der Existenzialität selbst, d.h. vorgängig dem Sinn des Seins überhaupt nachzufragen, und hat sich in solchem Fragen der Blick für die wesentliche Geschichtlichkeit des Daseins geöffnet, dann ist die Einsicht unumgänglich: das Fragen nach dem Sein, das hinsichtlich seiner ontisch-ontologischen Notwendigkeit angezeigt wurde, ist selbst durch die Geschichtlichkeit charakterisiert. (p.20)
他方で現存在のうちには、自らの実存を自らにとって見通しの良いものにしようとするだけでなく、実存性そのものの意味を、すなわちそれに先行する存在一般の意味を問おうとする可能性も備わっている。そして、現存在はそのような問いにおいて、現存在の本質的な歴史性を眺める目が開かれるのである。そのとき存在への問いが(その問いは、現存在の存在者的かつ存在論的に必然的なものであることは示されていた)、それ自体、歴史性に性格づけられていることが避けがたく洞察されるのである。

 このように、存在の意味への問いは、時間への問いであるために、同時に歴史性への問いであらざるを得えません。問うことそのものが歴史的に問うことであるからこそ、この問いは歴史学的なものにならざるを得ないのです。そして現存在がこの問いを試みるときに洞察可能となるのが、現存在の「本質的な歴史性」ということになります。

 現存在は、その平均的な存在様式において、歴史的なものとして存在しています。そして歴史的に存在するという性格から、現存在は伝統のもとで存在していることがわかりました。しかし伝統は、現存在を現存在に成らしめている重要な過去との絆ではありますが、同時にそれは、存在について問うこと、自らを了解することを妨げるものでもあります。

Diese nimmt ihm die eigene Führung, das Fragen und Wählen ab. Das gilt nicht zuletzt von dem Verständnis und seiner Ausbildbarkeit, das im eigensten Sein des Daseins verwurzelt ist, dem ontologischen. (p.21)
この伝統は現存在から、自らの導き、問うこと、選択することを取り去る。しかも、現存在の最も固有な存在のうちに根差している"まさにその"了解と、それを形成する可能性が、すなわち存在論的な了解とそれを形成する可能性が、奪われてしまうのである。

 以前にも指摘されたように、現存在は世界のうちに存在しながら、その世界から逆照されるようにして、自らを解釈する傾向があるのでした。そして実存から自らを理解することをしない、こうしたありかたは頽落と呼ばれていました。ハイデガーは、現存在は多かれ少なかれ、伝統のもとに頽落していると言っています。

Die hierbei zur Herrschaft kommende Tradition macht zunächst und zumeist das, was sie >übergibt<, so wenig zugänglich, daß sie es vielmehr verdeckt. Sie überantwortet das Überkommene der Selbstverständlichkeit und verlegt den Zugang zu den ursprünglichen >Quellen<, daraus die überlieferten Kategorien und Begriffe z. T. in echter Weise geschöpft wurden. Die Tradition macht sogar eine solche Herkunft überhaupt vergessen. Sie bildet die Unbedürftigkeit aus, einen solchen Rückgang in seiner Notwendigkeit auch nur zu verstehen. (p.21)
その際に支配的になっている伝統は、さしあたりたいていは、それが「手渡す」ものを近づきやすいものにするのではなく、むしろそれを覆い隠すのである。伝統は、受け継がれてきたものを、自明なものとしてうけとられるように委ね、根源的な「源泉」にいたる道を閉ざしてしまう。そこから伝承されたカテゴリーや概念は、かつてはある程度真正なありかたで汲み取られたものであったのである。伝統はさらに、こうした来歴をまったく忘却させてしまうこともある。それはこうした源泉に立ち返るのが必然的なものであることを理解することさえ、不要なことだと感じさせるのである。

 伝統は現存在の歴史性を根こそぎにしてしまいます。「伝統は、受け継がれてきたものを、自明なものとしてうけとられるように委ね、根源的な「源泉」にいたる道を閉ざしてしまう」からです。そして「この伝統は現存在から、自らの導き、問うこと、選択することを取り去」ってしまいます。
 存在論の場合、当初はアリストテレスが「第一哲学」と認めた存在の研究は、時がたつにつれ、存在が「自明なもの」だという先入観が形成されることによって、その第1の哲学たる「源泉」が忘却されてしまう事態に陥っていました(Part.1参照)。その結果、存在を主題として問う営みは、不要なものだとみなされるようにまでなり、存在概念は曖昧なままで暗がりのうちにとどめられたのでした。
 このように隠蔽する伝統は、ひとたびは破壊されねばなりません。それが存在論の歴史の解体の作業です。

Soll für die Seinsfrage selbst die Durchsichtigkeit ihrer eigenen Geschichte gewonnen werden, dann bedarf es der Auflockerung der verhärteten Tradition und der Ablösung der durch sie gezeitigten Verdeckungen. Diese Aufgabe verstehen wir als die am Leitfaden der Seinsfrage sich vollziehende Destruktion des überlieferten Bestandes der antiken Ontologie auf die ursprünglichen Erfahrungen, in denen die ersten und fortan leitenden Bestimmungen des Seins gewonnen wurden. (p.22)
存在問題そのもののために、その問いに固有の歴史の見通しの良さが獲得されるべきである。そのためには、こわばった伝統を解きほぐし、伝統によってときとともに生みだされた隠蔽を解体する必要がある。私たちはこの課題を、"存在への問いを導きの糸としながら"、古代の存在論を伝承してきた事態を"解体する営み"として遂行するのである。そしてこの解体作業において、最初の、そしてその後に主導的なものとなった存在についての規定が獲得された、根源的な経験へと立ち戻ろうとするのである。

 この解体が目指すのは、「最初の、そしてその後に主導的なものとなった存在についての規定が獲得された、根源的な経験へと立ち戻ろうとする」ことだと述べられています。つまり、古代ギリシアの存在論の原初の「根源的な経験」を発掘することが、この解体作業の役割です。ですから、隠蔽するような歴史をひとたび破壊することは、たんに消極的な意味を持つものではありません。解体には、存在論の根本概念の由来を示しながら、それを探究し、その「出生証明書(Geburtsbriefes)」を提示しようとする、そうした積極的な傾向があるのがわかるでしょう。

 本書での考察は、存在への問いを原則的に仕上げることを目指しています。そのため、存在論の歴史の解体の作業も、こうした問題設定に本質的に必要とされるものに制限されるべきでしょう。すなわち解体の作業は、存在論の歴史の決定的な段階だけについて遂行されることになります。この解体作業においては、次のように問われます。

Gemäß der positiven Tendenz der Destruktion ist zunächst die Frage zu stellen, ob und inwieweit im Verlauf der Geschichte der Ontologie überhaupt die Interpretation des Seins mit dem Phänomen der Zeit thematisch zusammengebracht und ob die hierzu notwendige Problematik der Temporalität grundsätzlich herausgearbeitet wurde und werden konnte. (p.23)
解体作業の積極的な傾向にしたがって、さしあたり次のような問いが立てられる。存在論一般の歴史において、存在の解釈は時間という現象と関係づけられてきたのかどうか、またどこまでそのような形で解釈されてきたのか。そして、そのために必要な時性の問題構成は、原則的に構築されてきたのだろうか、そうすることができたのだろうか。

 第1に、伝統的な存在論にはさまざまは形式のものがありますが、時間があらゆる存在了解一般を可能にする地平であることを明確に示すような問いが提起されているのかどうかが、問われています。第2に、時間が了解の地平となるだけでなく、ハイデガーが考える意味での存在の時間性としての「時性」が考察されているかどうかが、問われています。

 ハイデガーは、時性の次元へと歩みを一歩でも進めた最初で唯一の哲学者はカントだと指摘します。というのも、カントは『純粋理性批判』において、感性的な対象と知性的な概念を結びつけることができる図式機能が、時間によって可能となると主張していたからです。この時間は純粋総合のうちで働いている内的な時間のことで、人間が外的に経験する時間とは区別されて説明されています。それは「超越論的な時間」と呼ばれ、図式の背後で機能し、現象をカテゴリーのもとに包摂することを可能にするような時間なのでした。しかし同時に、カントは自らの図式論についてこのように語っていました(次の文はハイデガーがカントの『純粋理性批判』から引用したものです)。

Dieser Schematismus unseres Verstandes, in Ansehung der Erscheinungen und ihrer bloßen Form, ist eine verborgene Kunst in den Tiefen der menschlichen Seele, deren wahre Handgriffe wir der Natur schwerlich jemals abraten, und sie unverdeckt vor Augen legen werden. (p.23)
現象とそのたんなる形式を考えてみると、わたしたちの知性に含まれるこの図式機能は、人間の魂の奥底に秘められた技術であり、その真の技量をわたしたちがおのずから洞察し、これを明白にするのは困難なことであろう。(カント『純粋理性批判』中山元訳、光文社古典新訳文庫、第3分冊、37ページ)

 このようにカントは、図式論は人間にとって何か秘められたものであって、その領域に光を当てることは難しいと考えていました。ハイデガーによれば、カントがこの課題に直面してそれを遂行することができなかったのは、存在について十分に考察することがなかったからだといいます。そしてカントが図式論において考えた時間概念を、存在論的な観点から「時性」として考察することによって、図式論の暗闇に光を当てることができ、図式論の領域の本来の次元について、その存在論的な役割について、カントには閉ざされたままであったことの理由が明らかになると述べています。
 ハイデガーは、カントが時性についての洞察を行うことが出来なかった理由を2つ挙げています。第1に、カントは存在への問い一般をなおざりにしました。そのため現存在の存在論を主題的に考察すること、すなわち現存在の分析論を行うことを欠いていたのでした。その代わりにカントは、主体の主観性について、デカルトのコギトを独断論的に採用したとされています。
 第2に、カントは時間の現象を主体のうちにとりれたものの、時間を分析するにあたっては、通俗的な時間了解にしたがっていました。たしかにカントは認識し思考する主体にとって、時間が決定的に重要な意味を持つことを認識していました。図式論においては「超越論的な時間」の機能が、知性にとっての図式の役割を果たすことを指摘しており、さらに直観においての像の総合のためには、内的な感覚の形式的な条件として時間を提起していました。しかしカントは、外的で経験的な時間の概念と、内的で超越論的な時間の概念を明確に区別することはしませんでした。人間が他者と共有する外的な時間と、カテゴリーを可能にする純粋総合の内的な時間規定は、本来は異なる性格であるはずなのに、これを同じような時間概念として了解してしまったことに、カントの時間論の欠点があるということです。そしてその時間了解こそ、伝統的で通俗的な時間概念として受け継がれてきたものであったのでした。これについては、第2部にて考察されるべきものであったために、やはり詳細に論じられているわけではありませんが、現存在の分析論の途中、実在性についての考察の際にも、カントの時間概念の混同について語られることになります。
 このように、カントがデカルト以来の哲学の伝統のもとで思考していたために、時性の概念に到達することができなかったことが指摘されています。

Zufolge dieser doppelten Nachwirkung der Tradition bleibt der entscheidende Zusammenhang zwischen der Zeit und dem >Ich denke< in völliges Dunkel gehüllt, er wird nicht einmal zum Problem. (p.24)
このような伝統の二重の影響によって、"時間"と「"わたしは考える"」の決定的な"連関"がまったくの暗がりに覆われることになり、問題として提起されることもなかったのである。


 カントはデカルトの存在論的な立場を採用したために、現存在の存在論をなおざりにしました。デカルトは、「私は考える、私は存在する」(コギト・スム)によって、哲学の新しい強固な土台を築こうとしたことで有名です。しかしハイデガーによれば、デカルトは「私は存在する」の存在意味を規定しまいままに放置してしまったといいます。このことは、カントが依拠したデカルトのうちにも、やはり欠陥があったことを示しています。その欠陥とは、3つに要約することができるでしょう。
 第1の欠陥は、デカルトが実体を2種類のもの、すなわち思考するもの(精神)と広がりをもつもの(事物)に区別したことにあります。精神とは、人間という存在者の存在であり、事物とは、物体的な存在者の存在のことです。デカルトは、この精神と事物という存在様態に注目し、その異なるありかたによって2種類の存在者を独立したものとして規定しましたが、これらの存在様態に共通する「存在」という概念は、十分に考察されていないままにとどめ置かれました。その結果、この2種類の存在者がどのようにかかわりあうことができるのかを説明する際には、デカルトは神に頼らざるを得ないことになったのでした。デカルトにおいても、やはり存在への問いがなおざりにされていたことがわかるでしょう。
 第2の欠陥は、主観と客観の対立構造をつくりあげたことにあります。主観とは精神を持つ人間であり、客観とは事物的に存在する存在者のことです。デカルトはこれら2つの存在者をわけて考察することによって、主観についての純粋な洞察が可能になると考えました。しかし、以前指摘されたように、人間とは、すなわちここでは主観とは、人間にとって存在者的には最も近いものではありますが、存在論的には最も遠いものでありました。。実際のところ、人間とは世界のうちに存在する存在者であり、精神の外側の事物を一切排除してしまうことは、人間の存在様態の実態を無視してしまうことになります。だから主観を客観から独立したものとして取り出し、それについてだけを探究しても、人間の存在の仕方を把握することは期待できないのでした。
 第3の欠陥は、主観と客観の対立の構図のうちで、コギトが絶対に確実なものとされたために、「わたし」という存在者の存在意味について問うことが免除されていると考えるにいたったことにあります。そのことは、「わたし」という存在者が、事物的な存在者とは明確に異なる存在様式を備えていることを、デカルトに無視されることになりました。デカルトには存在論的な視点が欠如していたために、人間の存在を事物の存在によって理解するという、存在論的に重要な誤謬に気がつきませんでしたが、これについては後に説明されます。

 デカルトの3つの欠陥は、主としてデカルトが中世哲学から受け継いだ遺産によるものであることを、ハイデガーは指摘しています。

Descartes führt die Fundamentalbetrachtungen seiner >Meditationes< durch auf dem Wege einer Übertragung der mittelalterlichen Ontologie auf dieses von ihm als fundamentum inconcussum angesetzte Seiende. Die res cogitans wird ontologisch bestimmt als ens und der Seinssinn des ens ist für die mittelalterliche Ontologie fixiert im Verständnis des ens als ens creatum. (p.24)
デカルトは、「ゆるぎなき基礎」としてみなされた存在者に、中世の存在論をそのまま転用するという道を採用することによって、彼の『省察』における基本的な考察を遂行した。思惟するものは、存在論的に存在者(エンス)として規定され、中世の存在論における存在者(エンス)の存在意味は、それを被造物としての存在者(エンス)とみなす理解のうちに固定されていたのである。

 「ゆるぎなき基礎」としてみなされた存在者とは、人間のことです。デカルトは、人間に「中世の存在論をそのまま転用するという道を採用」したとされていますが、中世の存在論では人間は、存在者(エンス)として規定されており、そして存在者(エンス)の存在意味は「被造物として存在者」であったというように述べられています。
 この被造物(ens creatum)とは、キリスト教に影響を受けた中世の存在論の考え方です。キリスト教の前提となったユダヤ教の聖書では、人間を含めたすべての存在者は、神によって「製作されたもの」として語られています。それは人間ではない事物と同様に、人間の存在様態を被造物として捉える傾向が生まれる背景となっています。デカルトは、人間の存在を事物の存在から理解する誤謬を犯したことが指摘されていましたが、それは中世の存在論を受け継いだものであり、人間の存在を事物の存在と同じように考え、「製作されたもの」として規定していたのでした。そして中世の存在論もまた、キリスト教を媒介として古代の存在論の問題提起を受け継いでいるといえるでしょう。だから、近代哲学はデカルトによって新たなスタートを切ったと思われましたが、実際には、古代の哲学の先入観が継承されているに過ぎなかったことがわかります。

Der scheinbare Neuanfang des Philosophierens enthüllt sich als die Pflanzung eines verhängnisvollen Vorurteils, auf dessen Grunde die Folgezeit eine thematische ontologische Analytik des >Gemütes< am Leitfaden der Seinsfrage und zugleich als kritische Auseinandersetzung mit der überkommenen antiken Ontologie verabsäumte. (p.25)
一見すると哲学的な思考の新たな開始と思われたものが、宿命的な先入観が接ぎ木されたものであったことが暴かれるのである。この先入観に基づいて、その後の時代は、存在問題を導きの糸とする「心」を主題とする存在論的な分析論をなおざりにしたのであり、同時に、受け継がれた古代の存在論と批判的に対決する分析論をなおざりにしたのである。


 中世の存在論は、古代の存在論を受け継ぎ、デカルトやその後の時代の存在論に大きな影響を及ぼしました。この影響の大きさ評価するためには、存在への問いを導きとして、古代の存在論について、あらかじめ明らかにしておく必要があるでしょう。すなわち、時性という問題構成の観点から、古代の存在論の土台を解釈するという課題に取り組む必要があるでしょう。そして、存在についての古代の哲学者の解釈は、「世界」や最も広い意味での「自然」を導きの糸とするものであったこと、そして実際には「時間」に基づいて了解していたことが明らかになるだろうと、ハイデガーは予告します。

Das äußere Dokument dafür - aber freilich nur das - ist die Bestimmung des Sinnes von Sein als παρουσία, bzw. οὐσία, was ontologisch-temporal >Anwesenheit< bedeutet. Seiendes ist in seinem Sein als >Anwesenheit< gefaßt, d. h. es ist mit Rücksicht auf einen bestimmten Zeitmodus, die >Gegenwart<, verstanden. (p.25)
そのことを示す外的な証拠は(もちろんそれ"だけに過ぎない"ものだが)、存在の意味が「臨在(パル―シア)」あるいは「存在(ウ―シア)」として、すなわち存在論的および時的には「現前性」を意味する語によって規定されていたということにある。存在者はその存在において「現前性」として捉えられている。すなわち、存在者は特定の時間様態である「"現在"」への顧慮から理解されているのである。

 「臨在(パル―シア)」とは、目の前に現前していることを指し、「今」という瞬間に私の目の前にあるということを意味しています。ここで存在の意味に「現在」という時間性が結びついていることがわかります。ハイデガーが指摘するように、これは古代の哲学においても、存在を時間に基づいて了解していたことを示すものです。
 そしてここでいう「存在(ウ―シア)」とは、自然の事物としての性格、すなわち存在者の眼前存在性のことを指しています。すべての存在者は自然の事物のように、神によって製作された被造物として存在するとみなされているのでした。これは存在者の存在についての理解が、「世界」や最も広い意味での「自然」を導きの糸とするものであったことを意味しています。

 古代の存在論では、存在者の時間性についてどのように考えられていたのでしょうか。ハイデガーは語りとしてのロゴスという側面と、現前性という時間の側面が密接に関連していることを指摘します。
 ロゴスについてハイデガーは、アリストテレスが人間を「言葉を持つ生物」として定義したことに注目します。これは、話すことができることこそが、人間の存在の本質であるということを意味するのであり、私たちがそれについて語り合ったり論じあったりすることで、その存在者の存在構造を獲得することを可能にする、そのような導きの糸となるものです。この「話すこと」という営みについては、次の第7節でより説明されることになりますが、ここでは次のように指摘されるにとどまります。

Das λεγειν selbst, bzw. das νοεῖν - das schlichte Vernehmen von etwas Vorhandenem in seiner puren Vorhandenheit, das schon Parmenides zum Leitband der Auslegung des Seins genommen - hat die temporale Struktur des reinen >Gegenwärtigens< von etwas. Das Seiende, das sich in ihm für es zeigt und das als das eigentliche Seiende verstanden wird, erhält demnach seine Auslegung in Rücksicht auf - Gegen-wart, d. h. es ist als Anwesenheit (οὐσία) begriffen. (p.26)
レゲイン(話すこと)そのもの、あるいはノエイン(考えること)は、目の前にあるものを、その純粋な眼前存在性において端的に知覚することである。これはパルメニデスがすでに存在解釈の導きの糸として取り上げていたものであり、あるものを純粋に「現在化」する時的な構造を備えている。したがって、この現在化において、そして現在化に向かって自らを示し、真の意味での存在者として理解される存在者は、<現・在>を顧慮して解釈されるのであり、すなわち現前性(ウ―シア)として理解されるのである。

 「話すこと」は「目の前にあるものを、その純粋な眼前存在性において端的に知覚すること」だと指摘されています。この「話すこと」には「あるものを純粋に現在化する時的な構造」が備わっていると言われています。>Gegenwart< とは「現在」を意味するドイツ語ですが、「現・在」と訳したここでは >Gegen-wart< と2つの語に分けて書かれています。>Gegen< は「~に対して」という意味を持ち、>wart< には「向かって」という意味があります。ですからハイデガーはここで、「現・在」には「何かに対して向き合う」という意味があることを強調していることになるでしょう。このことは、古代の存在論が存在者を、目の前にある事物として、現前するものとして把握していたことを表現するとともに、古代の存在論が、あるものを純粋に「現在化」する時的な構造を備えた語ることとしてのロゴスによって、存在者の存在を、現在の時間性から把握していたことを指摘するものとなっています。

 このように、古代の存在の解釈には重要な先入観が存在していたのであり、これが古代の存在論の欠陥をもたらす原因となったのでした。第1に、最も広い意味での自然(ウ―シア)の概念と時間の概念が、存在解釈の導きの糸の役割を果たしているにもかかわらず、そのことについての明示的な知識をまったく欠いたままであることです。
 第2に、存在論の地平が時間であることが、古代のギリシアの存在論では洞察されていませんでした。存在について考察するも、時間の存在論的な機能が認識されることはなく、この機能が可能となる根拠を洞察することもありませんでした。
 第3に、古代の存在論は、時間そのものを他の存在者のうちの1つの存在者とみなしました。このことは、アリストテレスが時間を事物の「運動の数」によって定義したことからも明らかでしょう。そして第2の欠陥の必然的な結果として、時間が存在者の存在を可能にする地平であることが無視され、逆に存在者の時間的な性格に基づいて、時間の存在構造を捉えようとする転倒が引き起こされることになりました。

 ハイデガーは、アリストテレスの時間論こそが、時間という現象について私たちに伝えられた最初の詳細な解釈だと主張しています。そしてこの解釈は、その後のすべての時間についての理解を本質的に規定するものとなっていると言います。カントはデカルトに、デカルトは中世の存在論に、そして中世の存在論は古代の存在論に依拠していることが指摘されてきました。結局のところ、カントの時間についての理解もまた、アリストテレスがすでに取り出していた構造の範囲で行われていることが再確認されるのでした。

Erst in der Durchführung der Destruktion der ontologischen Überlieferung gewinnt die Seinsfrage ihre wahrhafte Konkretion. In ihr verschafft sie sich den vollen Beweis der Unumgänglichkeit der Frage nach dem Sinn von Sein und demonstriert so den Sinn der Rede von einer >Wiederholung< dieser Frage. (p.26)
存在論の伝承において継承されたものを解体していくことで、存在問題は初めてその真の意味で具体的なものとなる。存在への問いは具体的なものとなることで、存在の意味への問いが不可避であることの十全な証拠となるのであり、この問いの「反復」という言葉の意味も証すのである。

 存在論の伝統をたんに否定するのではなく、その伝統において受け継がれている遺産を明らかにすることで、「存在問題は初めてその真の意味で具体的なものとなる」と言われています。それが「存在論の歴史の解体」であり、この問いを「反復」するということなのです。

 存在への問いが具体的で不可避なものであることが証明されたとして、重要なのは、「存在とは何か」という問いに対する答えを汲み取ることを可能にするような地平へと向かって進んでいくことです。次の第7節では、そのための探究の方法について検討されることになるでしょう。


 今回は、序論第2章の第6節をお届けしました。序論も終盤に入ってきています。それでは、次回もよろしくお願いします。

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