『存在と時間』を読む Part.7

 今回お届けする第8節をもって、序論は完了します。


第8節 考察の概要

 前回予告しておいたとおり、第8節は短いものとなっています。さっそくですが、冒頭の引用から入っていきます。

Die Frage nach dem Sinn des Seins ist die universalste und leerste; in ihr liegt aber zugleich die Möglichkeit ihrer eigenen schärfsten Vereinzelung auf das jeweilige Dasein. Die Gewinnung des Grundbegriffes >Sein< und die Vorzeichnung der von ihm geforderten ontologischen Begrifflichkeit und ihrer notwendigen Abwandlungen bedürfen eines konkreten Leitfadens. (p.39)
存在の意味への問いは、最も普遍的で最も空虚な問いである。しかし、この問いのうちには同時に、それぞれの現存在へと向かう、この問いに固有で最も鋭い個別化の可能性がある。「存在」の根本概念の獲得と、そのために必要とされる存在論的な概念性とその必然的な変化の素描は、具体的な導きの糸を必要とする。

 すでに、「現存在の存在の超越は、そこに最も根底的な"個体化"の可能性と必然性が備わっていることによって、卓越した超越なのである」と指摘されていました(Part.6参照)。現存在の存在は「実存」であり、人類という種の次元ではなく、個体の次元で考察することが可能で必然的であるからこそ、その存在は「卓越した」という言葉を冠することができるのです。すなわち、存在の意味への問いを遂行する際には、その問いには「それぞれの現存在へと向かう、この問いに固有で最も鋭い個別化の可能性」があるのであり、それゆえにこの探究は「特殊」という性格を帯びることになるのです。

Der Universalität des Begriffes von Sein widerstreitet nicht die >Spezialität< der Untersuchung - d. h. das Vordringen zu ihm auf dem Wege einer speziellen Interpretation eines bestimmten Seienden, des Daseins, darin der Horizont für Verständnis und mögliche Auslegung von Sein gewonnen werden soll. Dieses Seiende selbst aber ist in sich >geschichtlich<, so daß die eigenste ontologische Durchleuchtung dieses Seienden notwendig zu einer >historischen< Interpretation wird. (p.39)
存在の概念の普遍性は、探究の「特殊性」、すなわち現存在という特定の存在者についての特殊な解釈の道を通じて、存在の概念へと突き進むことと矛盾しない。現存在において、存在について了解し、解釈することを可能にするための地平は獲得されるはずである。しかし、この存在者そのものは、それ自体において「歴史的」な存在者であるから、この存在者を最も固有な形で存在論的に照らしだす作業は、必然的に「歴史学的な」解釈となる。

 現存在は、個体的な存在者という意味で「卓越した」存在者です。しかし、その存在様式は「普遍性」において考察されることになります。この「普遍性において」とは、現存在としての私たちの個別の生を、誰にでも当てはまる形式的な側面から考察するという方法で行うということです。それはつまり、現存在の日常性の分析論のことを指しています。
 基礎存在論において、現存在に接近し解釈するための積極的な要件を覚えておりますでしょうか(Part.3参照)。現存在は私であって、他の人ではありえないという点で、現存在は個別的な存在者です。しかし平均的な日常性においては、誰もにとっても接近可能な自己が、すなわち「さしあたりたいてい」は存在しているようなありかたが現れることが指摘され、日常性において、ごく一般的な自己に接近することができると、ハイデガーは考えるのでした。このような「特殊な解釈の道を通じて」、存在について理解し、解釈するための「地平」が獲得できると言われています。
 また、現存在は時間的な存在でもあり、それは歴史的な存在者という意味を備えています(Part.4参照)。そのため「この存在者を最も固有な形で存在論的に照らしだす作業は、必然的に歴史学的な解釈となる」と指摘されることになります。

 本書ではこのように、存在についての考察が、現存在という存在者に対して、存在の意味を問うという形で行われることになります。その課題は2つあり、それが第1部と第2部を構成するものとなっています。

Erster Teil: Die Interpretation des Daseins auf die Zeitlichkeit und die Explikation der Zeit als des transzendentalen Horizontes der Frage nach dem Sein.
Zweiter Teil: Grundzüge einer phänomenologischen Destruktion der Geschichte der Ontologie am Leitfaden der Problematik der Temporalität. (p.39)
"第1部"は、現存在を時間性に基づいて解釈し、時間を存在への問いの超越論的な地平として説明する。
"第2部"は、時性の問題構成を導きの糸として、存在論の歴史を現象学的に解体する作業の概要を示す。

 第1部は、基礎存在論を構成する部分であり、「時間性」に基づいての考察が展開されます。それに対して、第2部では「時性」に基づいて考察がされるようになります。これら2つの異なる時間的な性格を区別することで、ハイデガーはこれらの概念を、「存在の根本概念の獲得と、そのために必要とされる存在論的な概念性とその必然的な変化の素描」するための「具体的な導きの糸」にしようとするのです。
 Part.3では、基礎存在論によって「私たちが現存在と呼ぶ、まさにその存在者の存在の意味として、"時間性"が示される」と述べられていました。「時間性」は「存在了解の地平」となるものであり、現存在の存在を基礎づけているものです。この時間的なありかたをする現存在が、どのような形で存在するのかを考察するのが、刊行された第1部の中心的なテーマとなっています。
 これに対して「時性」は、時間についての根源的な問いに依拠して導かれる新しい呼び方の時間概念でした。通俗的な時間概念から区別して、「私たちは、存在とその性格および諸様態が、時間から根源的に意味づけられているような規定性を、存在の"時的な"規定性と呼ぶことにする」(Part.3)と説明されている通りです。この時性の問題構成を導きの糸とすることで、「存在論の歴史を現象学的に解体する作業」を遂行するのが第2部となっています。

Der erste Teil zerfällt in drei Abschnitte:
1. Die vorbereitende Fundamentalanalyse des Daseins.
2. Dasein und Zeitlichkeit.
3. Zeit und Sein.
Der zweite Teil gliedert sich ebenso dreifach:
1. Kants Lehre vom Schematismus und der Zeit als Vorstufe einer Problematik der Temporalität.
2. Das ontologische Fundament des >cogito sum< Descartes' und die Übernahme der mittelalterlichen Ontologie in die Problematik der >res cogitans<.
3. Die Abhandlung des Aristoteles über die Zeit als Diskrimen der phänomenalen Basis und der Grenzen der antiken Ontologie. 
(p.40)
第1部は次の"三篇"で構成される。
第1篇 現存在の予備的な基礎分析
第2篇 現存在と時間性
第3篇 時間と存在
第2部も同じく"3つの部分"で構成される。
第1篇 カントの図式論と時間論 ー 時性の問題構成の準備段階として
第2篇 デカルトの「コギト・スム」の存在論的な基礎と、「レス・コギタンス」の問題構成における中世の存在論の継承
第3篇 古代の存在論の現象的な基礎とその限界を判断する尺度としてのアリストテレスの時間論

 このうち、私たちが読むことができるのは、第1部第1篇と第2篇のみです。第1篇では、問い掛けるべき存在者としての現存在について、基礎存在論的な考察が実行され、第2篇では、この現存在と時間性の関係が考察されることになります。


 以上で序論は終わります。この序論では、本書の考察の方法論と、基本的な概念が説明され、第2部を含めた本書の全体の概要が示されています。ですから、これから『存在と時間』の第1部に入っていくにあたり、その途中で考察の道に迷ってしまったときには、この序論が論考全体の地図の役割を果たすことにもなるでしょう。

 Part.1で示したとおり、このnoteでは、『存在と時間』の原文としてMax Niemeyer社の「Sein und Zeit」第19版を使用し、原文を訳す際には、光文社古典新訳文庫に入っている中山元訳の『存在と時間』を参照しました。同時に、このnoteの作成にあたっては、中山訳『存在と時間』の詳細な解決を多分に参考にさせていただきました。以下に、これらの書物のAmazonのページを示しておきましたので、興味がございましたら見てみてください。


 ところで、これから第1部についてのnoteを投稿していく予定ですが、私用により、しばらくの間は投稿を控えさせていただきます。次回の投稿は秋以降の予定ですので、その際には、どうぞよろしくお願いします。

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