鬼滅とエヴァと進撃と(注・ネタバレあり)

実は未だ鬼滅の刃の映画は観に行ってないのではありますが、シン・エヴァンゲリオン劇場版を本日観て参りました。普段はなかなか劇場に行くことはないので、封切りから1週間以内での観劇は僕としてはかなり珍しいのですが、たまたま近所の映画館の近くに用事があり、ちょうどいいやということで行ってきました。

エヴァとの出会いは僕がSEGA時代にサターンソフト「Evangerion 2nd Impression」のサウンドディレクターを担当することになった時です、エヴァがTVシリーズが終盤を迎えた1996年の頃ですね。その頃僕は同じサターンのサッカーゲーム「ビクトリーゴール96」とか、100人対100任バトルで有名な「ドラゴンフォース」なども担当していて、さほど興味はなかったのですが、同じ担当のサウンドチームにエヴァヲタが居て、その人にいきなりHi-8のビデオをガンと積まれて「全部見ておいてください!」と言われ、その晩から毎夜視聴と相成りました。

一応、問題作であるとか一度打ち合わせに行ったキングレコードのOプロデューサーとか、なんか今までのゲーム制作とは異なる雰囲気は薄々感じてはいたのですが、作品にはすぐにのめり込んじゃいましたね。今では当たり前ですが、実在する(実際にはしてないのですが)街や電車、学校、団地などがかなりリアルで、これまでのSFアニメ(あえて言っちゃいますが)とは一線を画す作風に圧倒された思い出があります。14才という微妙な年齢を主人公にそえ、しかもそれまでヒーロー色を一掃した人物設定、26年前ではありますが、勧善懲悪とも違うその世界に一気にのめってしまいました。

その辺りの分析というか、考察についてはいろんな人が書いたり感じたりしているので、その辺りはまた改めて書きます。さて、昨年から続く話題作「鬼滅の刃・劇場版」「進撃の巨人Final Season」「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ですが、僕の印象は結局、人間の存在の意味や今の時代の閉塞感、そして人間の強さ弱さを赤裸々に描くという共通点があるように思います。それと、得体の知れないものとの戦いや恐怖、それは表現としては「鬼」とか「巨人」とか「使徒」とかになってますが、最終的には人間が作り上げたものであるということ。そして幸福とはなんなのか、人はどうすれば幸福になれるのかを最終的には考えさせられる作品だと思います。

現代社会、特に昨今のコロナウィルスの感染はまさに得体の知れない「敵」との対峙であると思います。もしかしたら人為的に作られたんじゃないかという疑いも持たれるくらい、これまでにない特性を持つウィルスです。そして、そのコロナを巡って政治はもちろん政局の道具にし、経済界は悲鳴をあげ(とは言え、やはりここぞとばかりに業績を上げている人たちもいます)、何と言ってもオリンピックは完全に迷走状態。御多分に洩れず僕もほぼほぼ自宅での作業になってますから、飲み会もなく悶々としております。まさに事実は小説より奇なりで現実は本当に厳しいことになっております。

まあ、3作品とも最終的には救いがあるのだろうと思います(エヴァは完結したようですが、巨人はまだだし、鬼滅はそもそも最後まで読んでない、ごめんなさい)。個人的には鬼滅はしのぶ様、巨人はミカサ、エヴァは綾波派なので今回のエヴァは非常に楽しめました(笑)。まあ、いい歳してなんとなくはまっているわけですが、僕らの世代がアニメや特撮の第一世代なんで、まあそういうものが体に染み付いちゃってるんですね。というわけで、相変わらずまとまりのない文章でありますが、今回はこの辺で。

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