#7 村上優先生が観た「中村哲」(2023)
1.はじめに
ご覧いただきありがとうございます。中村哲記念講座TAのS.Sです。今回のnoteでは2023年11月15日(水)に行われた村上優先生のご講演の様子をお届けしたいと思います。
2.講演の内容
今年度の講義のテーマは、中村哲医師は「何を見て、何を感じ、何を考えたのか」でした。前回、藤田先生には現地の支援の現場での中村先生の仕事、実践や行動についてお話いただきました。
(#6 藤田千代子先生によるご講演(2023))
村上先生の講演では、中村先生の行動の背景となる思索や葛藤に迫るべく、中村先生の文章を、沢山紹介してくださいました。お話は大学生時代から始まり、ハンセン病の取組みの中でのアフガン難民との出会い、干ばつとの遭遇、空爆下の食糧配給、緑の大地計画・用水路事業…と、そのときどきの仕事と対照しました。
≪中村哲とはどんな人・・≫
講義は大学時代の中村先生のクラス誌『瞑想録』を紹介されました。私たち同年代の中村先生が「何を考えたのか」想いを寄せることが出来ました。
私は、その後の中村先生にも通じる利他性を感じ取りました。つづいて、中村先生とはどんな人か、いろいろな側面から紹介されました。
村上先生は、中村先生を「多義的な人」「多面的な人」と表現しました。中村哲記念講座の受講生も、この講座に関わる全ての人も其々の「中村哲」を持っていると思います。村上先生が捉えた「中村哲」はどのような人なのだろう、と私は興奮しながら講演に臨みました。
≪ハンセン病診療からアフガン難民との出会い≫
ペシャワール・ミッション病院時代の院内での金や権力を理由とした闘争の中でも、医療の行き届かない貧困層や、アフガン難民の実情とその苦悩に接する中でも、寄せられた支援や人の思いを具体的な仕事(活動)として積み重ね、「良心の灯り」という言葉で皆と分かち合う中村先生の姿が印象深く残りました。講義の中で、村上先生は「一隅を照らす」という言葉にはその場にいつづけ片隅を照らすという意味もあるが一隅から世界をみること、照らすことにつながるという意味もあるのではないかという話をされました。たとえ、小さな灯りであったとしても暗闇を照らすことで一つの「道標」になるかもしれないと考えさせられました。講演終了後の感想でも「灯り」をキーワードとしている人が多くみられました。
≪閑話休題 1967年の大学生が感じたアフガニスタンへの一般的イメージと実像との乖離≫
村上先生は「閑話休題」として、東京大学西南ヒンズークッシュ調査隊の調査報告書『アフガニスタンの水と社会:1967』を紹介されました。
中村先生が何度も強調されていたにもかかわらず戦争やタリバンに焦点があてられあまり報道されなかった「旱魃」についてなど、この講座で中村先生について学んでいく中で、メディアの在り方についてもグループワークで度々話題に上り、議論されてきました。「マスメディアの切抜き報道が…」などとわかったふうに語っている私たち自身は、果たしてメディア・データ・イメージに惑わされず、具体的な人のありようや物事の本質を見て、伝えることができるのか。大学生であるこの報告者が投げかける問い、感じたもどかしさは、中村医師が様々な機会に伝えようとしてきた「現地の伝わりにくい実情」の、伝わりにくい姿・伝えるむずかしさを素直に表しているように思います。
≪中村哲の思索の背景として≫
最後に中村先生の思索と様々な実践の背景に何があるのかについて、手掛かりとなる本や文章が紹介されました。中でも印象に残ったのが「宮沢賢治」との繋がりでした。講義では、『セロ弾きのゴーシュ』、『注文の多い料理店』、『永訣の朝』などが中村先生の文章に関連、引用された作品として紹介されました。また、村上先生ご自身が中村先生を表しているように思う、と紹介した詩『雨ニモマケズ』について、とくに後半の「ヒドリノトキハ・・・」以降を村上先生は重要と考えるとおっしゃられ、その理由については問いとして持ち帰るよう言われました。人間愛や無欲、自律、中村先生と宮沢賢治の共通点のように私は思いました。
3.質疑応答
講義の中では活発に受講生やTAが質問をしました。その一部を紹介したいと思います。
Q.会報などでアフガニスタンに「」(鍵括弧)がついていたことが見受けられたが何故だと思いますか?
アフガニスタンという場所を象徴的なものと考えていたのだと思います。物事の本質がみえてくる場所だと考えていたのではないだろうか。アフガニスタンからアジアを、世界を観ていた、そういった場所であると強調したかったのだと思います。しかし、実際は関心がもたれにくい現状があるので、具体的な問題に想像力を働かせ関心を持ってほしいという想いがあったのだと思います。
Q.中村先生は自身の軸、自己哲学が確立されている印象を受けたが、哲学など観念的な方向に行くのではなく、具体的な「行動」で活動されていたことに凄さを感じた。それに関して思い当たることはありますか?
二十歳の時から、「人」という具体的な在り様に関心が深かったんだと思います。難しい話をするのではなく、目の前にいる「人」を助ける。目の前で転げそうな人がいたら手を差し伸べることを講演などでも例を出されていました。(村上会長は中村先生と)50年来の付き合いだが、哲学的議論はしたことがなく「具体的な事業の話」をすることがほとんどでした。行動が大事だし、人が大事だし、現実の苦しみに向き合うことが重要だと思います。
Q.マスメディアが「失われている命」よりも「女性の権利」が迫害されている方を報道しているのは何故か?
「近代化」と「経済」をよしとするある意味での「思想」をもっているからではないか。近代化することだけがいいとしてそれを押し付けていたのではないだろうか。お金が動いていたのもあって、戦争には儲ける面もあった。中村先生は貧しさに価値を見出していたのではないか。
4. 最後に
以上が第7回の講義になります。中村先生の生き方と自分の生き方を照らし合わせて考える時間になったと思います。
最終回では講座で学んできたことや考えたことをまとめて、中村先生の仕事は一体何だったのか、中村先生は何をみて何を感じ何を考えたのか、志を繋ぐとは一体どういったことなのか発表を行います。中村先生の生き方からそれぞれが感じた想いや気づき、問いかけを大切にし、頭や心に栄養がいくような時間になればいいなあと思います。
最後までご覧になっていただきありがとうございました。
次年度も中村哲記念講座をよろしくお願いします。
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