週刊誌報道での二の矢、三の矢の問題点

週刊文春による松本人志さんの性加害報道が出てからネットを中心にさまざまなことが言われている。
一方的な主張に乗るのはおかしい、なぜホテルに行ったのかと責めるのはセカンドレイプだ、やってないならとっとと記者会見開いて説明しろ、などなど多様な意見が出ている。

2024年1月5日の段階で、自身の被害を訴えた女性からスピードワゴン小沢さんに対する「楽しい時間ありがとうございました。みなさん良い方でした」という主旨のLINEが流出し、ネットでは「形勢逆転か」という見方をする人も多くなってきている。

これに対して「こんなLINEはハナから文春は把握している。このLINEの手前までを出して松本さんや小沢さんの出方を伺っているだけだ」という見方もある。
つまり「楽しかったです」LINEを覆すような決定的な証拠を文春側は二の矢、三の矢として今後出してくるに決まっているというのだ。

確かに文春側は「つづきを確認させてほしい」と要求することだろうとは私も思う。
しかし、今回私が問題にしたいのはそもそも二の矢、三の矢というやり方はどうなのかということだ。

あまり言われていないが、これは実はひどいやり方だと私は思う。
まずこのようなやり方をする目的はと言えば、ドラマやアニメでいい場面に来たところで、「つづきはまた来週(もしくは次号で)」というのと同じで、次回も見てほしいという商業主義的目的だろう。時間的に引っ張れば話題は拡がり、次回号をみんな楽しみにしてくれる。
それに糾弾された側、今回で言えば松本さん側が醜い言い訳をしたり、逃げ腰になっているのをエンターテイメントとすることもできる。ドラマやアニメの「来週をお楽しみに」以上に、そこで現実に織り成される生身のドラマが刻々と紡がれることになる。実際に今回のように松本さん側に有利と思われる新しいLINEが晒されたりして松本さんがそれをTweetするなどし世間は盛り上がっているわけだ。

商業主義であること自体は営利企業のやることなのだから問題ではない。
しかし、「白黒つかないうちは自称被害者は嘘つきかもしれない。金をもらうためだ」「今はお呼びでなくなった腹いせだ」「枕営業を失敗しただけ」などと誹謗中傷まがいの言葉を被害を訴える女性は受けている。

これをどう考えるのか。
警察に逮捕されてもいない人間に関して、このような報道をそもそも週刊誌が独自にするのは、既存の権力に忖度する大手メディアなどとは違うやり方で世の中の悪事を糺すからではないのか。
だとすればいち早く松本さんが言い訳できない証拠を突き付けて白黒つけてやるべきではないのか。
はっきり言って、二の矢、三の矢というやり方は今回垂れ込んだ女性のことも松本さんのことも愚弄している。女性側は白黒つかないがゆえに世間からさまざまなことを言われるし、松本さんも白黒つかないせいで時間と共に仕事への影響が拡大していく。
反論しようのない証拠が突きつけられれば、女性側はしかるべき対応を受け、世間の風当たりも当然弱まる。
逆に「こんなもんしかないの?」という証拠しかなければ、松本さんも仕事に復帰でき、影響も少なくて済む。
つまり双方にとって、長引かせることはメリットがないのだ。文春側が専ら儲けのために彼らをおもちゃにしているにすぎないということになる。これは週刊誌の存在意義にもとると言われても仕方がないのではないか。
ただし女性側は、この文春のやり方を承諾した上で情報提供をしていた可能性はある。商業主義に従ってでも文春に報じてほしかったかもしれないのだ。

しかしそうだとしてもそのような条件を提示すること自体、無用に双方の傷を拡大させているということに変わりはなく、反倫理的だと思うのだがみなさんはいかが考えるだろうか。

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