ABEMA Prime中学受験加熱議論。大学入学共通テストへの評価を添えて。

ABEMA Primeで自身や娘さんの中学受験情報を発信している戦記さんという方やひろゆきさんらが過激化する中学受験について議論を繰り広げた。

議論の内容や欠けている視点を解説したうえで、中学受験から大学受験まで指導してきた私の観点から大学入試の共通テストとの関連で中学受験をどう見るかという独自の見解を提示したい。

まずひろゆきさんが掛け算を例に、「子供の頃できなくても大人になればできることも多い。それは発達の早い遅いにすぎない。早い人だけ集まってどうする?」と中学受験の必要性に疑問を投げ掛ける。
ひろゆきさんは他の場で「中学生段階では公立でいろんな人と交わる方が人間形成によい」と発言している。
また番組の議論の後半で、英語の音の区別は大人になるとできなくなるからその意味では英語の早期教育が必要と言う。
つまり早い段階でやるべきものだけやれということであり、ここまでは私もほぼ全面的に賛成だ。

中学受験は勉強面でも経済面でも家族の総力戦となりがちだ。
宿題やコース分けのテストに向けたスケジュールの管理は親がすることが多い。また塾だけでなく家庭教師など個別の指導が必要なことも多く経済的な負担も大きい。「小学生の勉強なんだから親がちょっとテキストを見ながら教える」というのは現実には厳しい。

中学受験肯定派の戦記さんは親の期待の暴走を問題視していた。入塾時には御三家や早慶附属などを期待してしまう親御さんが多いのも無理はない。自身は中学受験をしていない親御さんにも浮き足だった期待をする人は多い。
さらには子供の受験を成功させるのがミッションのようになっている親御さんもいて、子供に過酷な勉強量を課したりもする。

戦記さんは、学習習慣や挫折体験が大事だとするが、果たして小学生にそこまで必要だろうか。
また思春期リスクがないという点について、これは思春期の様々な心理的身体的不調などで大学受験などに影響が出るという意味だろうか。番組内で説明はなかったし、もしその定義だとしてもなぜリスクがないのか私にはよくわからなかった。附属校の話に限定してのことなのだろうか…

以上の点から私は教育虐待とまでは言わないが、中学受験にはこれまで正直否定的であった。
しかし、最近はそこまで否定的ではなくなってきている。以上の点が相変わらずなのは問題なのだが、いい部分もある。
それは入試問題の質の変化だ。番組内では、論理的思考力や表現力が問われ、大人でも難しい「難問」が出題されているとのことだった。
例として21年浅野中学「円周率は円周の長さが円の直径の何倍かを表す数です。円とその円に内接する正六角形の図を参考に円周率が3より大きい理由を説明しなさい」という問題が紹介され、これが03年に東大で出題された「円周率は3.05より大きいことを証明せよ」のリメイク版だと言うのだ。つまり東大レベルの難問を小6に解かせていると言いたいわけだ。
たしかに珍しい問題ではあるが、はっきり言うと、これを難問と思うことこそがこれまでの数学の勉強が、モノを正しく考える手順をきちんと身に付けるのに役立っていなかったということの証拠なのだ。

これまでは謎の数値3.14があって円周の長さを求めろと言われたらその数値に直径を掛ければ求まるということをやっていたわけだ。
大学受験なら例えば正八角形を円に内接させて余弦定理という謎の公式で辺の長さを出すということはできるわけだ。
正多角形を円に内接させるというアイディアは、ジャポニカ学習帳あたりの最後のページに小話として書いてあったりする。それを見たことがあれば東大の問題も手をつけることはできる。

ではこの問題の肝は何か。それは「数学というのは、きちんとした定義や、前提としてよい明らかな事実をはっきりさせたうえで、それのみに乗っかって考えなくてはならない」というメッセージなのだ。

東大の実際の採点はどうだったか知らないが、まずは定義を書いただろうか。浅野中の問題のリード文にあるやつだ。
「円周率って3.14って習ったじゃん。だから3.05より大きい」というのはもちろんギャグだが、これがギャグなのは「そんなんじゃ問題として成り立たないから」ではなく、使ってよい知識とダメな知識が腑分けされていないからなのだ。
そもそも円には正多角形を内接させることが必ずできるのか、内接多角形よりも円周の方が長いと言えるのは何が根拠なのか、なども本来ははっきりさせなければならない。さらにそもそも円周率が定数であると言えるのはなぜなのか(例えば長方形で、縦は横の何倍かは定まっていない。正方形だと一倍と定まる)。詳しくは本文最後に載せておくので興味がある人は小学生から大人まで誰でも読んでもらいたい。

ちなみに東大では99年にも
(1)サイン、コサインの定義を言え
(2)加法定理を証明しろ
という教科書に書いてあることが出題されて話題になった。
これも「定義をもちろん知ってるよね?」「まさか加法定理から導かれた行列、複素数の回転を根拠に加法定理を証明するなんておかしなことやってないよね?(循環論法)」「素直に定義から証明するよね?」というのを聞きたかったのだ。ヘンテコリンなテクニックではなく、ちゃんと考えるその手順が身に付いているかを問うたのだ。

番組で紹介された難問のもう一つは慶応湘南藤沢の国語の問題で「身体に悪いものは課税しろという意見に反論せよ」というものだ。
ひろゆきさんはシンプルに「ググればわかる知識を出すより、説得や交渉はこれからも求められる能力だから良問だ」という意見であり、それは正しいだろう。
ただし、課税することの意味、自己責任論、社会や国家が個人の行動に圧力をかけることなど、小6がきちんとその意味をわかっているのだろうか。
聞こえのいいことを行動もせずに無責任に言うことや、本質をわからずに生意気なことを言うコメンテーターの猿真似を小学生がすることを評価することになるというのは意地悪すぎる見方だろうか。
意見を言うのがいいか悪いかではなく、その内容や程度問題だと言えそうだから、そこは出題者のセンス次第で良問にも悪問にもなるだろう。

さてタイトルの大学入学共通テストの評価との関連だが、まず共通テストについて端的に言うと良問になっていると思う。
複雑な計算テクニックや細かい知識、衒学的なもって回ったような言い回しを解読する現代文、ややっこしい英文法や構文解読ではなく、標準的な理解や思考、実際的な場面への応用、普通の表現力などを重視するようになり、学力観が適正化されていると感じている。
ここはたぶん反対意見も多いだろう。「今までのセンター試験のような基礎知識だけ聞けばよいのでは?」「リード文が長すぎて時間が間に合わない」などだ。時間が間に合わないことについては私もそう思う。
厳しい年は、上位層でだけ差がつき、中間層以下は勉強が報われない、中位と下位の差がつかなかったということもあるかもしれない。だが、それも正しい勉強や思考方法が身に付いていなかったから、それどころか先生方もよくわかっていなかったという状態だったからではなかろうか。
これから過去問をもとに共通テストの正しい対策が広く普及するだろう。そうなれば上位層以外でも正しい学力観に基づいた学習がされるようになる。
そして断定はできないが、国公立の二次試験や私立の個別試験は共通テストのような変化はしないように思う。
実際私大文系の歴史問題が重箱の隅をつつくものだというのは何十年も変わらず言われているではないか。
つまり私立文系の歴史の出題者は自ら反省して筆記試験の内側から変えることができないから、大学側はAOなどの入試を増やして外側から入学者の質を変えているのだ。そして実際AOなどの入学者の方が入学後のパフォーマンスがよかったりする。

試験というのは、受験者の力を見るだけでなく、「このような勉強をしてください」という今後の受験生や指導者へのメッセージになる。東大や共通テストはそのインパクトが大きく、そこまで考えてきちんと問題作成に努めているように思う。
そしてその流れが中学受験の問題にも天下ってきているようにも感じる。その意味で適正な学力観のもと、単なる苦行としての勉強ではなく、ストレートで素直な思考や知識を身に付ける勉強なら意義深いであろう。
中学受験なしで進む場合、新しい学力観、理念での試験と、古くさい試験の対策を二本柱でやるように高三でいきなり突き付けられるのは酷だと感じるのだ。



※円と円周率の話
さてまずは円の定義を確認しよう。それは
ある点から等距離の点の集合だ。
だからこそコンパスの針を刺す部分を固定したうえで、コンパスの腕の長さを変えずにぐるりと一周描いたものが円となる。針を刺した点が円の中心で、そこから円周上のどの点までも距離は等しいだろう。そしてその距離が半径だ。
例えば、正十二角形を内接させたければ、中心角を12当分して円の中心から円周上まで半径を書いてあげれば頂角30°の二等辺三角形が12個できる。
それら12個は二辺とその間の角が等しいので合同だ。よって内接十二角形の辺の長さは等しく正十二角形となる。

内接多角形よりも円周が長いのは簡単だ。
二点間を結ぶ最短ルートは線分である(曲がりくねらず真っ直ぐ行くのが近道ということ)
というのが根拠だ。これは公理と言って、それ以上根拠を遡れない当たり前の事実というもので、これは証明の根拠に使っていいわけだ。
このことから内接正六角形の周の長さが直径のちょうど三倍であるならば、六頂点を真っ直ぐ結ばずに曲線で結ぶ円周は三倍よりも長いことになる。ちなみに半径と六角形の各辺の長さが同じだから正六角形の周の長さはたしかに直径の三倍となる。これで浅野中の問題は解けたことになる。

最後に円周率が定数となるのは
すべての円は相似である
という事実を示している。相似というのは要は大きさは違ってもいいけど形が同じということで、互いに拡大縮小すれば重なるものだ。「円」という図形の名前は形を一つに特定している。
それに対して例えば「長方形」は、内角すべて90°とか二本の対角線の長さが等しいという性質は共有しているが、形は特定していないのだ。縦横の比が何倍の長方形でも作ることができるだろう。
相似の重要な性質は
対応する部分の長さの比がどこでも一定
というものだ。円で言えば、直径と円周であり、その比こそが円周率と名付けられ、しかもその値は3.14…というように一定の数になるというわけだ。
円と同じように正方形も形を特定している名称だ。四辺は互いに長さが一倍で、対角線は√2倍と決まっているし、内角すべて90°で形が同じなのだ。
ここまでわかっていればこの2問についてどう突っ込まれても的確に答えられるはずだ。













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