恥と救い

「ねこちゃん、にゃんにゃん、おいで」
奈美の方には振り向きもせず、スタスタとこちらに寄ってくる。
「えー、なんで丈二に寄ってくのー」
背中を撫でていると子猫も目をつむりながらこちらの足元に体幹を擦り付けてくる。

「心素直なやつは良き理解者に寄ってくものだよ」

「意味わかんない…」

「さあ、もう行け。ディーラーと一緒に入店したくない。今日は場も場だしな」
今日の店トリップスは、お遊びの健全なポーカーをできる店というのが表向きだが、実際はそれだけではない。
それにしても健全じゃないポーカーをやるなら店の名前を何とかしてほしい。他の健全じゃないことまで連想させるネーミングだ。

奈美はディーラーとしてカードをプレイヤーに2枚ずつ配り、チップのカウントや配分までをやる役割だ。
例えば3人以上が全チップをかけるオールインをして、チップ量が2番目の人が勝ったりすると配分はかなりややっこしい。奈美はこれらを素早くこなせるし、配る手つきも流麗で美しい。何より華がある。
酔っぱらいのセクハラも上手く受け流せる対応力もあって店から重宝されている。

「たつきさん来てるよ」
先に店に着いた奈美からLINEが入る。

「はあ、めんどくせ」そう言いながら、なぜか顔はほころぶ。
ポーカーをおれに教えてくれたのはたつきだ。もう7、8年前になる。
たつきと知り合ったのは共通の友達がセッティングしたハズレ合コンだった。

「噂は聞いてますよ、丈二さん」
にやけるのまでサマになるイケメンだった。いくつか歳が上のおれに、ある程度の礼儀をもって初めは接してくれていた。

「はてさて、何の噂やら。横断歩道で困ってるおばあちゃんを背負って渡ったことかな?」

「普段の行いの罪滅ぼしですか?」

自分と同じクズ臭がして、親しみが湧いた。イケメンで頭も良く、田舎の金持ちの出でセンスもよかった。
だが、プライドが異常に高くて、前提として人を下に見たいけすかないやつだ。しかもそれでいてどこかくすんだ、濁ったものを持ってる男だった。

ハズレ合コンで同席しただけなのに、おれたちは連絡先を交換した。

「また遊びましょう」

「ああ、よろしく」

数週間後、後輩とポーカーするから来ないかという誘いがあった。
高校の後輩で、しょうという内科医とひぐちという耳鼻科医が来ていた。
2人ともうぶなかんじだ。一通りの自慢話を引き出して披露してもらいながらポーカーの基本を和やかに教わった。

・2倍の法則、、落ちてほしいカードが例えばA♥️、A♦️、A♠️の3枚だとすると3×2でだいたい6%が望みのカードが次の1枚で落ちる確率。
・そういう計算をして割に合うならコールしてその勝負に乗れ。
・めっちゃ強いときかめっちゃ弱いときにオールインしろ。半端なハンドではでかく賭けるな。
・ゲームに参加するときは基本レイズで入れ。
などだ。

「そしにしても恐ろしいね。相手がオールインしてきたらめっちゃ強いかめっちゃ弱いっていうんじゃ読み間違えれば終わるな」

「そうなんですよ。だからめっちゃ強いハンドが何通りありえるか数えたり、自分のもってるカードが相手のフラッシュとかストレート完成の確率を下げるのかとかを考えるんです」

「なるほどね。でもフルハウス以上は、自分がスリーペアの形にでもなってなきゃ読めないね。クワッズには全く意味ないし。将棋みたいに完全情報ゲームの方が向いてる人もいるだろうね」

ルールを知ってるだけの状態に毛が生えたぐらいにはなったある日、他のメンバーがまだ来てなくて、たつきと2人でプレーしながら待つことになった。

ボードには2、8、9、10。リバーでJが落ち、一瞬シーンとなった。
おれはQを持っていた。何か変だなと感じ、探りがてらまだルールをよく覚えていない体で
「ナッツはKQになるわけね」と聞いた。

すると右斜め上を一瞬見てから
「そうっすね」と答えた。

アーリーのたつきはチェック。こちらはストレートが完成しているので高すぎず安すぎずな妥当な額をベットした。たつきはチップを20秒ぐらいいじる仕草をしてから

「オールイン」

チェックレイズオールインが飛んできた。
さっき何か変だったしKQなのか。それとも何もないのか。あるいはおれと同じQ持ちでのオールインなのかもしれない。しかしあの右斜め上見た仕草、こいつの癖、テルってやつなんじゃないのか。
このテルのときどんなハンドなのか共通点があるのなら探りたい。Q持ちで降りるのもおかしい。降りれば相手のカードが何だったのか知ることはできない。

「コール」

出てきたのはKQだった…

「なるほどそういうかんじね」

初心者相手にほくそえんでやがるのが見てとれた。
そこからおれたちはなんだか緊張感が一気に溶けたかんじがして、プライベートなこともぶっちゃけるようになった。
何もかも揃ってるエリートくんが何だか屈折してるのも何となくわかってきた。

「おまえのスカした受け答えは哲学書かなんかの受け売りだろ」

「ネタになるなら今度哲学書ってやつを読んでみるかね」

「おれのじいさんが哲学の教授だった。口の利き方がじいさんそっくりなんだよ」

「光栄だ」

いつの間にかおまえ呼ばわりされてるのも光栄だった。

両親は地元で開業医をしていて、弟がそこを継ぐ予定らしい。
たつき本人も、ショボい雑誌のアンケートにありがちな「モテる大学ランキング」で一位になりそうな一流大学出身だ。

「テニサーではさぞかしお楽しみだったか」

「おれはあの大学は馴染めなかったね」

「…ほー、そりゃ意外だね…」

そんな会話を交わしながら、あのうぶな医者たちを舎弟のように扱っているのも何となくわかったような気がした。


ポーカーの腕が周りに近づいてきたある日のこと。
こっちが2のセット(スリーカード)で、たつきはトップツーペア。打ち方やボードからストレートやフラッシュはほとんどなさそう。
アーリーのたつきは荒い息遣いでベット。そこにこちらからレイズオールイン。

「コール」

3ハンド挟んで、再びたつきとヘッズアップ。
先程のテルを出してきたのと同じ、一枚でストレートのボード。そして♦️が3枚。アーリーでこちらからオールインする。

「こいつフロップ、フラドロなら打つはずなのに打ってないからフラッシュはないな。コール」

ところがこちらから出てきたのはフラッシュ。たつきはストレート。
連続で罠に掛けられたと思ったようで、イライラした状態、いわゆるティルトになった。
おれが一番好きなのはあと1枚でフラッシュができるフラッシュドロー。夢があるからだ。それに対してたつきは低いセットが好きだと言う。強いのにバレずに潜れるからだそうだ。こいつらしい…
自分がほくそえんでるのを逆にやられたことと、フラドロでこちらがあえて打たなかった戦略に嵌まる形になったことに屈辱感をもったようだった。

「おまえは余裕がないんだよ。それにポーカーはそんな感情でやるもんじゃないだろ」
この言葉は何度も飲み込んだ。

随分馴れ馴れしくなってくれたもんだ。罵詈雑言まで浴びせてくる。

「こいつ基本、人のことバカにしてるからな」
「ほくそえんでんじゃねえよ。おまえサイコパスの診断そのものだからな」

「自己紹介ありがとう」

おれたちの掛け合いはニヒリスティックなメンツのポーカーテーブルでは面白がられた。だが何で稼いでるのかよくわからないヴィトンやグッチで固めた若いのには受けない。しょうくんは

「丈二さんとたつきさん、仲いいな」と面白がってくれる。かわいいやつだ。


ひぐちくんは細々大層な理屈を早口で捲し立てるが、Aに過度な期待をするし、デカく打たれるといつもの戦略はどこへやら表情を変えて降りてしまう。

「A好きは権威主義なんだよ。ひぐちくんはポーカーあんまり向いてないね」

たつきと二人の時、そんなことを言ってしまった。
そこにひぐちくんが入ってきた。

「ひぐちはポーカー向いてないってさ」

「いやあ、さっきの話はそういうこととは違うんだよ。つまりだ、」誤魔化そうとするも間髪入れずに

「いや、言ったじゃないかよ」

この男、ここまでバカだとは思わなかった。ひぐちくん繊細なのに…
それからひぐちくんはゲームには入らないでカウンターで女の子と話しながら飲んでいる時間が増えていた。



その日は真夏日が続いていた中で、久しぶりの雨が降り、少し気温も下がっていた。入店すると、

「来た来たお魚さん」

「殺すぞ」

フィッシュとはポーカー用語で下手なプレーヤー、獲物ということ。先週の勝ちでたつきは気を大きくしているようだ。
2時間ぐらいが経過したところでおれもたつきもしょうくんも開始時とトントンだった。

たつきはBBで、HJのおれのところまでみんな降りている。
カードはA♥️10♥️。3倍にレイズ。
たつきだけがコール。

「またこいつとヘッズか。面白がってどうせくそハンドでコールしてるんだろ」

フロップ:K♥️2♥️K♠️。たつきチェック。

「フラドロだし打っとくか。Kなけりゃ降りるだろ」

たつきコール。K持ちかあるいは3から10あたりまでのポケットペアだろうか。

ターン:9♦️。2人ともチェック。やっぱりミドルのポケットペアか。であればAか♥️で勝てる。10でも勝てるかもしれない。

リバー:6♥️

フラッシュ完成。ただしボードにペアがあるからたつきがフルハウス以上の可能性はある。

「まあでもここまで穏やかに回ってきたし、フラッシュは勝ってるだろう」

そう思いながらアーリーのたつきに目を向けると、右上を一瞬見た後に、諦めて投げやりなかんじのチェック。

「なに?あの時のテルだ。KKではないだろうからそうなるとフルハウスなのか。面白半分コールならK9かK6か22。ターン何もしなかったのを考えるとK6か。いや普通に88などのミドルポケットでこっちから打たれてもチェックコールのつもりか。こっちもAハイフラッシュ。テルだけを頼って打たないのは間違ってないか」

悩んでいるとカウンターから戻ったきてゲームを見ているひぐちくんが後ろに立っている。

さんざん悩んで、おれは自分の勘の方を信じてみることにした。

「チェック」

「ショーダウン」

奈美の甘ったるくて気だるい声とともにたつきがバツが悪そうにカードを開く。

K6のフルハウス。損失を回避できたことで、こちらが薄ら笑いをしていると腹に据えかねたのだろう。勝ったくせに何やらまたこちらに文句を言い始める。ターンでベットしないのはおかしいとか具にもつかない理屈を並べ立てている。
ごちゃごちゃうるさい。フルハウスを見せるのがそんなに恥ずかしかったのか。フルハウスで14BBくらいしか稼げなかったことを自ら晒すのがそんなに恥ずかしいか。
それにしても恥とは何なのだろうか。こいつと話しているとなぜか毎回そんなことを考えさせられる。
イライラする。
こいつの屁理屈は恥から自らを防衛している。フロイト先生の言う防衛機制ってやつだ。
理屈とは自分のエゴをこの世界から引き算した思考原理だ。しかし屁理屈にはその人間の影がいみじくも映し出される。

周りは苦笑いを始めている。黙らせよう。
筋書きは描けた。まだカードは裏返してこちらの手元のやや右側に置かれたまま。後にはひぐちくんがいる。

おれは椅子に座ったまま左に体重をかけるようにして右側をあけた。
すると予想通り、ひぐちくんはおれのカードに手を伸ばし勝手に覗き見る。

「お、おいおい、勝手に見るなよ」
わざと慌てた態度をとる。ひぐちくんは目をひんむいている。

「ええ?マジ?」

他のプレーヤーも関心を示している。たつきが
「他のプレーヤーに見せたものは全員に見せるのがルールだ」と言ってくる。

「いや、ひぐちくんは今プレーに参加してないし」

「そういう問題じゃねえ」

「そうなの?ルールなのね?…それなら仕方ない」

そこから何も言わずに無表情のままA❤️10❤️のカードを静かにひらく。
目はそのままだったが口元がゆがんだのが見て取れた。
穏やかに進んだゲーム。お互いそこまで強そうには見えない中で最後トップフラッシュが完成したのにベットせずにチェックした。たつきが完全に読まれていたということだ。それもポーカーのゲーム戦略上の理屈ではなくテルで読まれていた。理屈に凝り固まって、これこそが全体だと思っていたものが実は部分にすぎなかった。これもまた恥の感覚を惹起する。
そして恥は徐々に怒りへと形を変えるだろう。

「ざけんな、なんでAハイフラッシュとフルハウスが同時に完成しやがるんだよ」

おれはそう言い捨てて席を立った。

怒りかけているときにこちらも共鳴するように怒るとたつきが鎮まるのをおれは知っていた。
「なんでこいつが怒ってるんだよ」
とか言いながら風船がしぼむように、言葉の勢いが弱まっていくのだ。
こちらは最初から最後まで負けていて、リバーでは損失を最小化したチェックができたのだ。なんなら「おまえのテルはお見通しだ」とでも言うこともできる場面だ。
それでも理屈に合わない怒りをこちらが示すことで、なぜかこいつはたじろぐのだ。

普通恥ずべき対象を何とか隠そうとするのが人間の理性なわけだが、しかし恥というリビドーそのものはどういうわけか自らを露にしようとする。
恥の感覚に囚われた人間ほどとてつもなく恥ずかしい振る舞いを露呈させるのを我々はよく目にする。
大人しそうな人間ほど強烈な自己顕示欲を内に秘めているかのように。

リビドー。それそのものは薄汚い人間理性ではない。理性はリビドーの主人面をしてそれを操作しようとする。

そうであれば、おれはこのくだらないリビドーを手繰り寄せてその背中を撫でてあげよう。すり寄ってくる子猫にそうするように。














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