見出し画像

Billy Joel – An Innocent Man (1983)

 社会派シンガーとしてのBilly Joelの地位を不動のものにした『The Nylon Curtain』に続いて発表された『An Innocent Man』は、一転して徹底したポップネスに彩られているアルバムだが、野心作という意味においては彼のキャリアの中でも一二を争う作品である。Joelは本作の中で5~60年代のアメリカン・ポップスを中心に、自身が影響を受けたあらゆる音楽を総決算することに挑戦している。
 スタックス・レビューを今風にアップデートした「Easy Money」のファンキーなサウンドや、JoelがFrankie Valliになりきる「Uptown Girl」の独特なコーラス・ワークは、オマージュの枠を超えて超一流のパロディの領域にさえ踏み入っている。本作のこうした遊び心は音楽以外の要素にも行き届いており、明るいR&Bナンバーの「Tell Her About It」のミュージック・ビデオには往年の音楽番組〈The Ed Sullivan Show〉の映像が使われた。一方「This Night」ではBeethovenの有名なピアノ・ソナタのフレーズがさりげなく、かつ印象深く応用されている。
 「The Longest Time」はため息の出るようなアカペラの名作だ。アルバムの中でも特に古風な造りの曲がビルボード・チャートの14位にランクしたことは、Joel本人にとっても驚きの出来事であった。「Leave A Tender Moment Alone」では巨匠Toots Thielemansのハーモニカをフィーチャーし、絶妙な切なさを湛えている。
 『An Innocent Man』は職人気質と遊び心が完璧なバランスで同居した、比類のない一枚だ。だがこのアルバムの真に偉大な点は、本作を楽しむうえで古典の知識を持っている必要などは全くない、ということに尽きるだろう。