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John Fahey – Blind Joe Death (1959)

 当時まだバークレーの大学生だったJohn Faheyがレコードを自主制作するにあたって、Blind Joe Deathという架空のブルースマンを作り出したのには彼なりの理由と目的があった。〈盲目〉とはかつて多くの職業ギタリストについて回った一種のステレオタイプであり、〈死〉とはブルースを歌う黒人の隣に寄り添う攻撃性の象徴だった。Faheyはレコードにネガティブな言葉が印刷されるリスクと引き換えに、〈伝説的なブルースマン〉という設定の別人格に自らの本能を反映させたのだ。
 トラックリストはそれぞれのプレスによって順番のばらつきが激しいが、トラディショナルとオリジナルによってバランスよく構成されている。「St. Louis Blues」や「I'm A Poor Boy A Long Ways From Home」といった伝統的ブルースもさることながら、「John Hardy」を独自にアレンジした「Desperate Man Blues」にはFaheyの持つ技巧とオリジナリティが冴えわたっている。Deathの持ち歌として収録された「On Doing An Evil Deed Blues」は、歌詞が無いにも拘らず異様な説得力と臨場感をもってリスナーに迫ってくる。
 Faheyは、カントリー・ブルースの持つ神話性や伝説性へのあくなき憧憬を、柔軟な先進性をもって形にしてみせた。演奏者としての架空の人格を作り出し、ロックンロールが支配していた音楽市場に背を向けたこの風変りなレコードは、必然的に自主レーベルからのリリースとなった。図らずもFaheyはワシントンDCのパンクバンドたちよりも数十年早くDIY精神を体現していたのである。