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妹の四十九日

妹が亡くなってから,本日で四十九日になる.

兄としてもっと何かしてやれたのではないかと思う日々を過ごした.

居場所がなかったのかもしれないとも思った.

あなたに居場所はありますか。

普段なかなか気づかないことですが、私たちは、家庭や学校、あるいは社会の中で自分を受け入れてくれる「居場所」があるから、頑張ることができていると言えます。でも、頑張りたくても頑張れないときもありますよね。元気そうに見える人でも、もしかしたら孤独や寂しさにさいなまれて「居場所」を失っているかもしれません。そんな思いを抱いてしまったとき、どのように生きていけばよいのでしょうか。

親鸞聖人(=親鸞さま)も、自分の居場所に出会うために大変な努力をされた一人です。そして、その道のりの末に「阿弥陀さま」という仏さまに出会われました。阿弥陀さまは、出家して修行に励んだり、厳しい規律を守る生活を送ったりすることができない人であっても、どんなに辛いことを抱えている人であっても、いのちあるものすべてをそのままに受け入れ、すくいに導いてくださることを誓われた仏さまです。そんな阿弥陀さまに出会われ、阿弥陀さまとともに親鸞さまは仏道を歩まれました。そして、阿弥陀さまの教えを私たちにわかりやすく伝えるために、浄土真宗という仏教を開かれました。今から約850年前、鎌倉時代のことです。

浄土真宗本願寺派

満中陰の法要の後,お坊さんのお話を聞いた.

寂しいという気持ちになるのは当然のことだけれども,いつまでも寂しいと思っているだけではいけない.死はいつ訪れるかわからない.災害や病気などで,いつ命を落とすかわからない.そうであれば,こうして生かしていただいていることを有り難いと感じるだろう.では,その人生をどのように生きるか.それを考えないといけないのではないか.

「南無阿弥陀仏」をご存じですか。もしかしたら、仏さまに願いごとを伝えるときの言葉だと思っている人もいるかもしれません。「阿弥陀さま、どうか私を助けてください」「南無阿弥陀仏、どうか私の願いを叶えてください」というように。でも「南無阿弥陀仏」は、願掛けのセリフではありません。阿弥陀さまが私たちに向かって「私にまかせなさい、あなたを必ずすくうから安心して生きて」とよびかけている、"よび声"なのです。そして、そのことに気づいた私たちが手を合わせて「南無阿弥陀仏」をお念仏としてとなえることは、「阿弥陀さまにおまかせします。阿弥陀さまにおまかせして人生を歩みます」という、感謝の意味となります。

浄土真宗本願寺派

後悔しないように日々過ごすことの大切さを噛みしめた.

努めて明るく振る舞う両親を見て,その一方でとても落ち込んでいる両親を見て,やはり守るべき順番があるとも思った.

© 2022 Manabu KANO.

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