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「医学的な正しさ」と「どう生きるか?」とのはざまで

あなたは形成外科医です。

サッカー少年の高校生が鼻骨骨折して受診しました。

整復に成功するものの、その直後本人から「来週の試合に出たい」と試合出場の許可を懇願されました。

あなたならどう答えますか?

鼻骨骨折の徒手整復とは曲がった鼻をグイッと戻すだけ。ワイヤやネジで固定していません。(例えると曲がった割り箸をまっすぐに戻しただけ)

少なくとも一ヶ月は外力にすこぶる弱い状態。

医学的な正しさで回答すると、「来週の試合は諦めてください。再度骨折すると今回のようにスムーズに整復できない確率が高いです」です。

一方彼はレギュラーを勝ち取り、一年間練習に取り組んできました。来週はいよいよ地区大会の決勝戦です。勝ったら次のステージへ。負けたら現役引退。

医学は病気の克服を目的とした学問。試合を諦めさせるのは医学のプロとしては正しい行為といえます。

一方彼の人生を俯瞰してみた場合、試合に出場することの価値は替えがたいものがあります。

医師として回答が彼の人生を大きく左右することがわかります。恐ろしいことです。

「試合はNG」と言うのは実に簡単。でもそれで大きく傷つき、かけがえのない体験を失うひとがいるのです。(許可を出さないのは医療者側の保身という見方もあり、おおいにごもっともなのですがここではこの議論は割愛します)

「医学的な正しさ」と「どう生きるか?」を秤にかけて悩むことになります。

ちなみに私の回答はいつもこうでした。

「医師としてはやめてほしいけど…。一年そのために頑張ってきたんだよね。試合に出たら?そして不幸にもまた鼻曲がったら戻っておいで。今度の整復はさらに難しいものになるかもしれないけどさ。医師としてのベストは尽くさせていただきますよ」

医学的な観点からは、より困難な状況(整復不能)へ誘い込む行為です。私は医療者としては失格なのかもしれませんね。


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