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【ふしぎ旅】応化の橋

新潟県上越市に伝わる話である

 直江津の荒川河畔に苔むした古い二基の五輪塔が、日本海の潮風にさらされてひっそりと立っている。
 これが伝説「応化の橋」や小説「山椒大夫」で知られる安寿姫と対子王丸の供養塔である。

 永保元年、奥州五十四郡の領主、岩城判官正氏が、ある者の讒言によって職を追われ九州の筑紫へ流刑された。
 正氏には妻と、安寿、対子王丸という二人の子供があった、母子は毎日泣きの涙で暮らしていたが、安寿が15歳、対子王丸が11歳になったある日、妻は子供と乳母の姥竹を連れ、夫の正氏をしたって西国の旅に出発した。
 一行、四人は岩代国信夫郡の家を出てから二十日ほどで、越後の直江の浦にたどり着いた。

 当時、この地方には「旅人を泊めてはならない」という布令が出ていた。このため、火が暮れても泊るところがなく、その夜は荒川にかかる応化の橋の下で夜を明かすことにし、準備をしているところへ、人買いの山岡大夫が通りかかった。
 
 山岡大夫は「このへんは夜になると大蛇が出て危険です」と言い、家へ連れ帰った。
 四人は地獄に仏と感謝し、翌朝、礼を行って出かけようとすると「陸路を行くと、この先に”親不知子不知”という難所があるので、むしろ海路にした方がよいでしょう」と二隻の船を用意し、母と乳母の舟と、”安寿と対子王丸の舟と分けて出帆させた。
 船は沖へ出ると、突然方向を変え、子供達の舟は西へ、母と乳母の舟は佐渡をさして東へ進んだ。
 
 謀られたと思った時はすでに遅く、両方の舟はみるみる遠ざかっていった。この時、姥竹は悲しみのあまり海に飛び込んで自殺してしまった。
 
 安寿と対子王丸を乗せた舟は、やがて丹後へ着き、石浦の長者、山荘太夫に七貫文で売られた。奴隷となった二人は、一刻の休息もなく、牛馬のように酷使された。
 
 それから一年ほどたったある日、安寿は対子王丸に守本尊の地蔵尊像を持たせて逃し、自分は弟の心残りにならぬように沼に身を投げて死んでしまった。
 
 逃げ出した対子王丸は僧になって、曇猛律師の手引きで関白師実卿の知遇を得、関白から父の赦免状をもらって筑紫へ行ったが、父はすでに死亡していた。その後、対子王丸は元服して名を正道と改め、丹後の国守に任じられた。
 国守になった正道は赴任早々、山荘太夫を斬って、姉の恨みを晴らし、人買いを禁じ、奴隷解放を行った。
 
 一方、佐渡へ売られた母は逃げ出せないように足の筋を切られて、粟の島を追う奴婢にされ、泣き暮らしているうちに盲目になってしまった。
 その頃、正道は、母をたずねて佐渡へ渡り、高千の海岸で母を発見し、達者の延命地蔵の清水で眼を洗って開眼した母を連れ帰った。

小山直嗣、『新潟県伝説集成上越篇』
安寿と厨子王の供養塔

 森鴎外の小説「山椒太夫」や童話「安寿と厨子王丸」で知られる話なのであるが、どうにもやり切れない話である。
 騙されて奴隷として売られた姉弟と生き別れになる母と乳母。
 乳母は、自殺。
 姉も奴隷になった弟を逃がすために命を落とす。
 生き別れとなった母は、盲目に。
 弟の対子王丸は、出世して、仇の山荘太夫を討ち、奴隷解放を行い、母ともめぐり合い、それで盲目になった母親の目も治った。
 ということで、最後だけハッピーエンドだが、よくよく見てみると、騙され奴隷として売られ、その過程の中で4人の内、2人が命を自ら落としているのだから、かなりの悲劇である。

直江津港

 日本版の「それでも夜は明ける」(誘拐され奴隷として売られた自由黒人が過ごした12年間の奴隷体験記を映画化したもの)ぽくもあるが、こちらは創作らしく、領主の家族が奴隷にされるなど、よりドラマチックな話となっている。

 悲劇をベースとして、最終的には、自分を騙して奴隷とした者のかたき討ちをするという勧善懲悪のラストにもってくるというベタな展開が、あまりにも上手く出来すぎていて、これは娯楽のために創作されたモノではないかという感すらある。

安寿と厨子王の供養塔、現在は整備されている

 さて、しかしこれを創作とするならば、不思議な点がある。
 安寿姫と対子王丸の供養塔とやらは誰のために作られたかということだ。

供養塔脇にある琴平神社

 実際に供養塔に訪れてみると、小さな神社(琴平神社)の一角にあり海へ注ぐ直前の川の脇にそれはある。
 橋の整備などの際に、移動されたということであったが、古いものだということは分かる。
 キチンと手入れはされてきたようで、大きく損傷しているというところはない。
 供養塔などが、残っているのだから、話そのものはフィクションであっても、何かしらモデルにした事件などがありそうなものだが、そうでも無さそうだ。


直江津港

 調べてみると、この「安寿姫と厨子王丸」の話に地名が書かれていることもあり、この安寿姫と対子王丸の供養塔や安寿姫の塚など、各地に所縁の地が残っている。京都のあたりには、山椒太夫の屋敷跡などもあるそうだ。
 
 創作物に実際の地名が記されており、そこにその創作物にまつわるものがあると、奇異なことに一瞬聞こえるが、さにあらず。
 現代でも「聖地巡礼」なるものがある。アニメやマンガ、小説などに描かれた場所を訪れ、そこには、その創作物のパネルなどが飾っていることもチラホラある。
  
 実際に、存在しない者を弔うことだって、漫画「あしたのジョー」のキャラクター”力石徹”の葬式が大々的に行われたではないか。

 「創作物と現実の間を揺蕩う」
 案外と、人間は昔から、そのようなことが好きなのかもしれない。
 そのような視点から、この「安寿姫と厨子王丸」の話を読むと、ストーリーとは違った面白さがある。
 

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