気が付くとNegiccoに救われていた件
Negiccoを初めて意識したのは、「ねぇバーディア」だったから2015年になるだろうか。
それまでも勿論、知らなかったわけではない。
新潟を代表するローカルアイドルとして有名であったし、参加したイベント会場のステージでお見掛けしたことも何度もある。
ただ、好んで楽曲を聞いていたわけではなかった。
「ねぇバーディア」の時は違った。
今は無きFM PORTから流れてきた曲に、引きずり込まれ、その夏は何度もyoutubeを繰り返し見ていた。
当時、私は軽い心労状態にあり、いつも倦怠感に悩まされていたのだが、これを聞くと、不思議と元気が出て、何となく頑張ろうという気になっていた。
とりわけNao☆さんの「ここから~」の部分が本当に可愛くて、日々の活力となる元気をもらっていた。
そんな日々が続き、Negiccoって何度か見たことはあったが、これまでの活動ってどんなだったのだろうと興味を持ち、ネットの記事を調べた。
すると、意外なことを知った。
Negiccoと私は過去に会ったことがあったのだ。
2000年位のことだろうか。
私は、大学を卒業し社会人となり5年目くらい。
普通の人なら、新人と言う肩書が取れ、色々と活躍しだす頃だが、私は何の実績もなく、給料泥棒と呼ばれてもよいぐらいの働きしかしていなかった。
そんな冴えない日々の中で、ある仕事が私に与えられた。
職場のテレビCMを制作するにあたり、多くの子供たちをCMに使いたい。ついては元気な子供たちを、探してきてほしい、と。
東京の子役プロダクションあたりにお願いすれば解決する話ではあるのだが予算の都合で難しく、かといって素人のお子様では、CM的な動きをするのは難しいだろう。
そんな中、偶然に新潟市に「アップルリトルパフォーマーズ」という芸能スクールがあることを知り、CM出演のお願いをしたところ、喜んでと言っていただき、無事に職場のCMが出来上がった。
思いのほか、よく出来上がったので、単発のCMの予定がロングランになったほどだった。
当時の私には珍しく、上の者に褒められ、それがキッカケで職場のイベントなどを、ある程度まかせてもらうこととなった。
そのCMの多くの子供たちの中にNegiccoになる前のNao☆さんとMeguさんがいたのだ。
もちろん、お互い個人的には覚えてないが、そのCMが当時の私にとって救いであったことは確かだ。
さて、そこから時代は移り、2018年、私は初めて、Negiccoと仕事をすることとなった。
職場でNegiccoのMVの撮影をすることとなり、その現場担当が私であった。
曲は「硝子色の夏」、撮影地は、新潟県の遊園地「サントピアワールド」だ。
そう、私は現在、存続の危機にありクラウドファンディングで寄付を募っているサントピアワールドに勤務している。
それはさておき「硝子色の夏」のMVは素晴らしかった。
田舎の寂れた遊園地のはずが、キラキラと美しく輝いており、その中で様々な表情を見せるNao☆さんが、ホントに美しく、そして切ない歌詞、メロディーとマッチして、ちょっとした短編映画を見ているようだった。
そのおかげか、聖地として訪れる方も少なくはない。
このMVの撮影地でなければ、田舎の遊園地など知ることが無かったかもしれない。
よい宣伝になったと思う。
そして、2020年7月12日、Nao☆ オンラインライブ「硝子色の夏@サントピアワールド」 が開催された。
サントピアワールドの方からお願いしたわけではなく、新型コロナウィルスの影響で存続の危機にある遊園地を応援しようというありがたい申し出によって、ライブは開催された。
私は裏方であったので全部を見ることは出来なかったが、メリーゴーランドの前で歌うNao☆さんは、ホントに美しく、1,100人以上の方に、あの映像を見てもらっただけでも、園としては大きな宣伝になったと思う。
何よりMCで、遊園地の裏方のスタッフを気遣ってくれた優しさが嬉しかった。
20年前は社会人になりたての私に仕事が出来るようになるキッカケを与え、5年前には疲れていた私の心を癒し、そして今度は、職場のサントピアワールドそのものを元気づけてくれたNegiccoさんに不思議な縁を感じつつ、いくら感謝してもしきれない。
そして、こんな無茶ぶりをするNao☆さんの天然な小悪魔ぶりに、どう答えるべきなのか一ファンとして、非常に悩むところではある。
・・・”さいぽ”ならぬ、サントピアワールドの斉藤でした。
お読みいただきありがとうございます。 よろしければ、感想などいただけるとありがたいです。