【ふしぎ旅】蛇崩れ石
新潟県、出雲崎町に伝わる話である。
出雲崎には大蛇伝説が少なくはないが、これもその一つ。
そもそも「蛇崩れ」などという地名は、地盤が悪い所が崩れると、大蛇が暴れたからだということになる伝説は各地にあり、この話もその類のものであることが分かる。
ただ、この話では大蛇は、がけ崩れの原因ではなく、被害者となり、がけ崩れに巻き込まれているところが珍しくはあるか。
もっとも、この光る石の話と大蛇は、もしかすると後で、まとめられた話かもしれない。
というのも、この近くにある光照寺には、このような話が伝わっているからだ。
ここでは、光っていたのは石では無く、観音像となっている。
いずれにしても、海の底の何物かが光っていたことはありそうだ。
隕石などが落ちてきて、それがしばらく光っている現象はあるという。
またヤコウチュウやホタルイカのように、光を発生する生物などが海中にいるということも少なくはない。
とにかく、海中で何かが光っていたということ、
そして崖が崩れたこと。
この2点だけは、たんなる伝説ではなく、現象として起こったということは言えそうだ。
さて、「蛇崩」伝説のついでに紹介されている「蛇崩」近くにある勝見稲荷神社は、「源九郎稲荷神社」と呼ばれている。
源九郎稲荷と言えば奈良県にあるが、源義経を助けたと言われているので、義経の兜伝説が残る、この稲荷神社も、そちらを祀っているのだろう。
義経、弁慶伝説はこの辺りにも多く、角田には、義経が船を隠したと言われる”判官の舟隠し”なるところが存在している。
「勝見稲荷神社」に関しては、「蛇崩」と近いこともあるのだろう。
大蛇を退治して、崖に閉じ込めたのが、源義経だという伝説もある。
いずれにしても、これらの古い伝説が交錯していることからも分かるように、伝説が残るこの辺りは、歴史のある土地である。
古くから出雲崎は、北陸街道の要所であり、また佐渡島との海路の要所でもあった。
江戸時代は天領(幕府が直接治める土地)であり、中央からの情報も届きやすく、様々な情報が行き来していた。
道と道が交差する辻は、昔から妖(あやかし)が住むと言われている。この世と、あの世の狭間が、道と道との狭間にもあるのであろうと考えられていた。
情報の交差点も然りで、様々な人が行きかう賑やかな街には、妖の類が闊歩する。
その意味では、出雲崎という土地と大蛇や海が光るなどといった怪異は相性がよかったのだろう。
さて、現在の「蛇崩」であるが、出雲崎の町はずれにある「旅立ちの丘」が「蛇崩の丘」とも呼ばれているので、そこであろうと思われる。
出雲崎出身の良寛さんや、ほか旅に出る者が、ここで家族、友人などと別れを告げ、見送られたということで、その名がついている。
あるいは、近くに処刑場があるので、あの世への見送りという意味があるのかもしれない。
地盤が緩く、崖崩れ、地滑りが多いので、勝見から、このあたり一帯は防災指定地域に入っている。
また、このあたり一帯は、崖がコンクリート枠でおおわれている所が多いことからも、過去に何度もがけ崩れがあったことが分かる。
実際に新潟市から柏崎あたりにいたる海岸線沿いは、ほぼ毎年どこかでがけ崩れ工事が行われている印象が強い。
土砂災害が度々あれば、それが自然の災害ではなく、何かしらの目に見えない力があるのではと、その存在を怖れるのは不思議なことではあるまい。
ましてや、それに近い時期に海中に不思議な光るものを発見したなら、その2つの出来事を繋ぎ合わせるのは当然であろう
不思議なのは、光る石が実際に持ち帰られ、それが地頭の家に持ち込まれた後、光らなくなったということである。
そんなに、タイミングよく光を失うとは考えられないので、もともと光ってない石を光っているなどと言うホラを吹いて、そのホラに見事に引っかかった間抜けな地頭がいたのでは、と思う。
あるいは、何かしらの比喩なのかしらん。
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