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四月一日

 いつからだろう、私には不思議な力があった。

 最初の、その力らしきものの記憶は小学校3年生の春。
 幼馴染の杉田君が転校するという話を聞いた時だった。
 なんでも、雑誌の編集者であった父親がニューヨーク支局に配属されたので、家族全員でそれについていくことになったらしい。

 一番の親友だった彼と離れる寂しさと、”ニューヨーク移住”という当時の感覚からすると上流階級的な響きへの妬みから、私は「嘘だろ?」と杉田君に尋ねた。

 「嘘じゃないよ」と杉田君が言った端から、杉田君の父親が「あ、それ嘘な」と言ってきた。酔いに任せて冗談で言ったことを杉田君が真面目に受け取ったらしい。
 だいたい、地方のミニコミ誌に、ニューヨーク支社があるはずがないだろ、と言っていた。
 五分咲きほどの淡いピンクの桜の木の下での出来事だった。

 次の記憶は中学校を卒業したばかりの春。
 それまで、ひそかに思いをよせていた人と、同じ高校に合格したことを知り、嬉しくなり、舞い上がって「前から好きでした」と告白したところ、その人は何も言わずに、うなづいたように見えた。

 嬉しくなり、思わず口に出てしまった「う、嘘。うれしい!春からは同じ学校だね」
 その途端に、彼女の態度は急変した。
「いや、嘘でしょ。あなたと同じ学校なんて」と言われ、そのまま立ち去った。
 桜のつぼみがようやく膨らみはじめた頃だった。
 その後、私の高校は彼女にとってすべり止めで、何ランクも上の高校に入学したことを知った。

 力が本当にあることが確信に変わったのは、17歳の春。
 病で長い間、床にふせっていた祖母が、とうとう息を引き取り、冷たい姿で棺桶に横たわっているのを見た時だった。
大好きな祖母が死んだということを信じがたかったのだろう。
泣きながら「おばあちゃん、嘘でしょ」と言った。

 すると、しばらくして、棺桶から死んだはずの祖母が立ち上がり「はい、嘘でした。皆、だまされたー!」と大声で笑いながら言った。
 「え、おばあちゃんが生き返った?」と少し戸惑いながらも、喜んだのもつかの間、予想もしない出来事に、祖父が心臓発作で倒れ、それを見た祖母も驚いてまた倒れ、あれよあれよという間に、2倍の葬式となった。
 葬儀会場の桜の花吹雪がキレイに舞っていたのを覚えている。

 そして、私は気づいてしまったのだ。
 いずれも4月1日の出来事だったことを。
 そう、4月1日、エイプリルフールの日に、私が「嘘」と言うと、言ったことが「嘘」の出来事になるのだ。
 ただし、私にとって良い方向に変わるとは限らないが。

 そのことに気づいてからは、4月1日には注意深く「嘘」という言葉を使わないようにしてきた。ヘタに、現実が捻じ曲げられるよりも、何も変わらない平穏な日々こそが、一番望ましいからだ。

 しかし、だ。
 現在の、この状況は何だろう?嫌な病気が蔓延し、世界はボロボロだ。
 自粛、自粛で、経済的にも大打撃をうけ、先行きの見通しすらたたない。
 大好きだった人が他界し、現実が不安を追い越してゆく。

 だから、私は決心した。
 今日、4月1日。
 嫌なニュースばかりを、放送するテレビの画面に向かって、私は言った。
 「こんな日々、嘘だろ?」

◆◆◆

 ・・・ここでニュース速報です・・・研究チームが万能ワクチンの開発に成功しました。副作用もなく、この騒動は急速に終息すると思われます。

 テレビ画面には満開の桜が映し出されていた。
 誰もいないソファーに向かって。
 
 「私」という存在が「嘘」になった瞬間だった。

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