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【ふしぎ旅】島崎川の河童

 新潟県長岡市(旧三島村)に伝わる話である。

 昔、島崎川に河童が住んでいた。
 時々村へ出てきて、イタズラするので人々は困っていた。
 ある日、この河童が嘉右衛門という家の馬小屋に入り、馬の尻子を抜こうとねらっていた。
 これを見つけた嘉右衛門は、河童を捕え、馬小屋の柱にしばりつけた。  
 河童は陸に上がると、力を失うのである。
 河童は涙を流しながら「どうぞ、命だけは助けてください。お助けくだされば河童の宝物である血止め石を差し上げます」と頼んだ。
 嘉右衛門は、あまりに頼むので可愛そうになり、その石と引き換えに河童を許してやった。
 血止め石は、手のひらに入るぐらいの小さい石だったが、たいへんよく聞き、どんな大けがをしても、この石でなでると即座に血が止まったという。

小山直嗣『新潟県伝説集成 下越篇』
島崎川

 この話、同様の話として、江戸時代の僧侶、書家として高名な良寛さんが晩年を過ごした木村家の近所にある桑原家に、河童の妙薬が伝わっている。

 良寛さんはその妙薬に関して「阿伊寿(あいす)」と呼び「水神相伝」という)薬の由来と効能書きを残している。
 なんでも血止めと骨接ぎの妙薬でであるらしい。
 このため、桑原家は「河童医者」と呼ばれたとある。
 良寛さんの書もあるので、むしろこちらの方が有名だ。

 良寛さんが晩年を過ごした木村家

 ただし最初の伝説が正保2年(1646年)とあるので良寛さんの時代よりは100年以上も前のことだ。
 その頃は双六石(バックギャモンの駒)くらいの大きさの得体の知れない石とある。
 どちらも桑原家の話なので最初に石があり、その後、石を研究して薬化したということなのだろうか。
 こちらの石の方は今は袋の中に入っており、袋を開けてはいけないと伝えられている。

桑原家

 河童医者と呼ばれた桑原家は、今もある。
 良寛終焉の地として、「はちすば通り」として、整備されている通りの終点が、島崎川であり、その川のすぐそばに建っている。

桑原家(右奥)と島崎川

 良寛が晩年を過ごした木村家とは、通りを挟んで斜め向かいに建っている。
 良寛さん目当てで訪れる人は多いだろうが、河童目当てで訪れる人は少ないだろう。
 島崎川は今でこそ整備されているが、江戸の時代はのどかな川だろうと思ったが、船着き場があり米などの河川運送で賑わっていたそうだ。

島崎川船着き場跡

 とは言え、コンクリートで護岸整備されているわけでもなく、今ですら、田園地帯が広がる中にあるのだから、江戸の当時は河童くらい住んでいても不思議ではないくらいの川だったのではないだろうか。

はちすば通り

 また、思ったよりも川と家が近いためと、最初の伝説が川辺で起こった話でなく、わざわざ馬小屋に忍び込んでという話だったため、もしかしたら舟乗りの中に悪いものがおり、米蔵から米を盗んだのを見つけて退治したという話が、河童の話に変わったかもしれないのかもと思ったりもした。

島崎橋と島崎川

 雲助が悪さをするという話はよく訊くが、船乗りはどうであったのかは分からない。
 先ほども記したが、この辺りは良寛さんにまつわる土地であり、その記念碑などは多くあるが、河童に関しては説明板なども無い。
 そのようなものがあれば、案外と物好きがあつまりそうなものであるが、実は各地の河童伝説がある所でも賑わっている所は多くは無い。
 遠野のカッパ淵などが例外的なものだろう。

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