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関東大震災から百年 神社・宗教と自然災害

本稿は以下の、國學院大學藤本頼生教授との対談から稲場の発言を抜粋したものです(神社新報社の許可を得て掲載)。

「関東大震災から百年 ー神社・宗教と自然災害ー」(神社新報、令和5年8月21日)

稲場「今、自衛隊は、被災地に野外風呂を設置しますが、関東大震災のときは神社の敷地内にバラックや入浴施設などを建てちゃったわけでせう。やはりかういふ歴史を、もう一度いま百年といふ節目の時に振り返る必要があります。百年前にかういふことができてゐて、今の日本はどうですかと。一部の人だけではなくて国民全体がさういふ認識を持って、災害復興時には国が予算をつけて、地域コミュニティの安全・安心のために取り組む気運を作っていかなければ駄目だと思ひます。」

避難所としての神社

稲場「災害時、宗教施設が公益性を遺憾なく発揮してゐる事例は幾つもあって、それこそ神社、お寺、教会などの宗教施設が緊急避難場所、避難所になってゐる事例は多い。行政が指定してゐる小学校や公民館に逃げるよりも、その先にある神社やお寺に逃げようといふ知恵が地域の人たちに共有されてゐるケースもあります。
 実際、東日本大震災では津波で小学校・公民館等が使へず、高台にある神社やお寺が避難所としての役割を果たした例がありました。あとになって政教分離のことを言ふ人もゐましたが、政教分離といふ概念が生まれる遙か前から災害時に地域の神社やお寺は使はれてゐて、台風が来たら、地震が起きたら、あの神社、あのお寺に逃げようといふ話は全国にある。
 それが近代化の過程で、地域コミュニティの核としてあった社寺も、新たな制度・法律・機関のなかに組み込まれていった。地域資源としての社寺と人との繋がりといふものを、ある意味で稀薄にしていくことに拍車がかかってきたのだと思ひます。」

稲場「東日本大震災以降は少しづつメディアも取り上げるやうになり、かなり知られてきました。西日本豪雨の時も岡山・倉敷市の真備町で、石段を百数十段上がった高台にある熊野神社に地域の人が避難してゐます。熊本地震の時には本震があった十六日に現地で確認しましたが、昼には神社の前に緊急避難所といふ看板が出てゐました。」

避難所における課題

稲場「内閣府が調査したところ、深さ二㍍以上の浸水リスクがある避難所が全国で二七%ありました。いかに今まで地方自治体が、ハザードを詳細に検討せずに避難場所を指定してたのかっていふことがわかります。」

稲場「今後、水害は頻発する、地震も起きる、さうすると避難所の数が足りないといふ事態が生じかねない。
 実際に令和二年七月豪雨の際も、九州で収容人数を超える避難所が383カ所ありました。令和元年の台風19号で千曲川が氾濫した時にには避難所に入れなかった高齢者がゐたので、その後、長野市内の7寺院が災害時に高齢者を受け入れる協定を市と締結したような事例もあります。逆に言へば、もう地域で避難場所をどうするか行政に任せることなく考へなければならない。」

「関東大震災から百年 ー神社・宗教と自然災害ー」(神社新報、令和5年8月21日)

稲場「平常時から、宗教施設での祭りや催しなどを氏子さんたちが自分事化する、自分の一部だと思へることが大切で、さう感じられる機会を一回でも多く作っていくことが必要だと思ひます。自分のコミュニティの一部だと思へば、災害時に避難して、そこで一緒になって行動できる。いざ復興だといふ時にも、「避難した時にここで助けてもらったから、再建する時には何か貢献したい」と考へる、いい循環が生まれてくる。さういふ人たちの声をもとにして国に働きかけて、再建には行政の支援が得られる工夫ができればなほよいですね。」

「関東大震災から百年 ー神社・宗教と自然災害ー」(神社新報、令和5年8月21日)

宗教施設の役割は

稲場「大阪大学が一般社団法人地域情報共創センターと連携して運営してゐる未来共生災害救援マップでは、全国の避難所や宗教施設など三十万件のデータを集積してゐます。とくに象徴的なのが山形県鶴岡市の日本海沿岸部の事例。国道七号線の高台に五十を超える神社やお寺がずらっと並んでゐるのですが、この社寺を鶴岡市が避難場所に指定してゐます。
 ここは日本海側で地震が起きた場合に十三㍍の津波が押し寄せると言はれてゐて、いざといふ時には高台の社寺に逃げるんだと、地域の人たちに言ひ伝へられてきました。それで役所も後追ひのやうに、社寺を避難所に指定してゐます。
 その際、町内会などが行政に働きかけて、避難経路にスロープ、手すり、電灯などをつけました。さらに役所からの自主防災会活動支援金を利用して町内会で発電機を買って、社寺に置いてもらふなどしてゐます。かういふ良い事例を他の地域でもやっていけたらよいと感じました。」


稲場「宗教者の災害対応は「専門家には到底かなはない、子供の遊びごとに過ぎない」といふ声もありました。しかし最近の動きを見てゐると、宗教界には、災害NGOなどを遙かに凌駕するほどの力があると思ひます。
 まづ神社やお寺は全国にある。当たり前のことですが、これがとても大きい。災害発生時、NGOなどは、先遣隊を送って状況を確認し、現地で受入れ担当者や機関を探すことから始めなければなりません。でも社寺では被災地にすでに人がゐて、そこから状況や必要物資等についてすぐに情報が入ってきます。」

稲場「先日、珠洲市の地震で、石川・能登の神職さんに案内してもらって被災地を回りましたが、他所者が一人でゐると不審人物と思はれることもあるので助かりました。実際、災害に便乗した犯罪もあるので、被災された人たちは地域外の人を警戒します。神社界では富山・石川の青年神職が一緒に能登に入ってゐましたが、神職同士に繋がりがあるからこそ、地域の人も信頼できるわけです。
 地域コミュニティにある神社・お寺、宗教者といふ既存の信頼関係も、災害NGOにはないもので、さう考へると宗教界の力は絶大だと私は思ってゐます。マンパワーだってさうです。長期の支援が必要な時に、宗教界は各地から交代制のやうに入ってくる。しかしNGOの職員は数が限られてをり、長期間の支援はなかなか難しい。さうした意味でも「宗教界には災害NGOを遙かに凌駕するほど力がある」と、断言しておきたいです。」

「関東大震災から百年 ー神社・宗教と自然災害ー」(神社新報、令和5年8月21日)

災害協定の事例も

稲場「この三年間でも自治体などと災害協定を結んだ社寺の数がかなり増えてゐます。何らかの形で災害時に協力する社寺等宗教施設は疫禍前は二千件余りだったのが、今は四千件ほどに増加。神社が指定避難所、指定緊急避難場所となってゐる事例も千五百件を超えます。
 また自主避難所になる事例や町内会と協定を結ぶ事例もありました。これはすごいことだと思ひます。行政と連携することがすべてではないし、町内会が「神社は自分たちのコミュニティで大事な場所なんだ、災害時もそこで一緒に生きていくんだ」と考へてゐるからこそ神社と協定が結ばれたわけです。」

稲場「いまの時代、個人化が進んでゐて、とくに都市部では人間関係が稀薄になってゐる。さうしたなかで、先ほども言ったやうに平常時から繋がりを作っておくことは大切です。例へば境内の掃除を地域のみんなで一緒にやる、或いは子育て支援の場所にする、身近なコミュニケーションの場にするなど方法はさまざまです。自分たちのコミュニティの場だと考へるやうになれば、自分たちで守り、大切にしようといふ気持ちが生まれる。また神さまがゐるから不平不満を言ったり、悪態をついたりしないといふ気持ちが働くこともあると思ひます。」

平時からの取組み

稲場「大切なのは日頃からの氏子との関係性です。祭りや年中行事など、地域の人たちと一緒に取組む場と機会を持つ宗教施設には絶対的な力がある。
 今、人がコミュニケーションを取ったり、体験をしたりする機会がだんだん減ってきてゐます。しかしやりたい人はゐるのです。そのなかで、今まで関はったことがない人も参加できるやうな形で、しかしそこには必ず宗教性といった本業において大事にしてゐるものを入れて行事をおこなふ。お祭りの準備やりませんかとか、炊き出しを手伝ってくれる人ゐませんかとか、なんでもいい。一度でも足を踏み入れれば、敷居がぐっと低くなり自分事化される。
 実は行事やボランティアの際、神社やお寺で名簿に名前を書くことは、学校や役所など他の公共的なものと比べて驚くほど抵抗が少ないんですよ。普通は名前を書くことを嫌がる人も多いのですが、神社やお寺に対して不信感が少ない証拠ですね。さうしたところも強みで、次にも繋げやすいと思ひます。」

「関東大震災から百年 ー神社・宗教と自然災害ー」(神社新報、令和5年8月21日)から抜粋(神社新報社の許可を得て掲載)。

以下、関連です。

未来共生災害救援マップ(災救マップ)


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