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ゴムボートにて下した決心

〈人民はすべて知っているのか、偉大な父の献身のエピソードを!〉
ゴムボートにて下した決心

2024-08-06 『労働新聞』1面
日本語訳は投稿者によるものです。


普段は生活において目にも留まらない、小さなゴムボートについての話が、現在全国の民心を強く揺さぶっている。

そんな素朴なゴムボートに乗り、敬愛する金正恩総書記が浸水地域を見て回った事実は、日増しに巨大な衝撃を起こしている。

敬愛する金正恩総書記は、次のように述べている。

「我が党は、真心から党に従う人民の気持ちを、革命の一番の財貨として大切にするし、勇敢で聡明で美しい人民のために、重い荷物を背負い、茨の道も切り開き、輝かしい未来の全てを与えるのです。」

去る7月29日、敬愛する金正恩総書記が、雨風吹き荒れる航空基地で、浸水危険区域に取り残され命の危険に晒されていた5000人余りに対する、決死的な住民救出作戦を直接指揮された、次の日であった。

依然として暗雲が立ち込め、時となく雨が降り注ぎ、風が吹きつけていたその日、水たまりだけが広がる、人気のない浸水地域へと、列車がゆっくり進入した。敬愛する金正恩総書記を乗せた野戦列車であった。

災害の震源地に向かって、危険極まりない道のりを厳しくも通り抜けた列車は、ついにこれ以上進めない限界地点で停車した。後日、新聞やテレビで伝えられたこの光景は、人々の胸を騒がせた。

前日には、浸水危険区域の最後の一人まで待ち続けて安全地帯へと送り届け、一番後になってようやく飛行機地を後にした、敬愛する金正恩総書記の野戦車が車窓に迫る泥水を潜り抜ける緊迫した瞬間を目撃し、胸が締め付けられ、目を熱くした朝鮮人民。

「敬愛する総書記が浸水地域に行こうと言った時、いつ崩れ落ちるかもわからない、水に浸かった線路を野戦列車が走った時、我々の心情をどのような言葉で表現できましょうか。

それなのに、浸水した水田の中心地に野戦列車を停めた敬愛する総書記が突然、ゴムボートに乗って浸水の現場を見て回ろうと言い出したのです。

そうして、想像もしなかった浸水地域の現地視察が行われ、我々は敬愛する総書記に従い、急遽用意されたゴムボートに乗ることになったのです。」

これは当時、敬愛する総書記とともにゴムボートに乗った、ある随行活動家の話だ。

野戦列車が浸水地域の中心地まで入ったのは、被害復旧のための、党中央委員会政治局非常拡大会議のためであった。会議に先立ち、敬愛する総書記は活動家たちに対し、自身と共にゴムボートに乗り、現地を見て回ろうと提案した。

朝鮮人民軍・長在島防御隊の視察へと向かう金正恩第一委員長(2012年8月当時)

10年余り前の8月、荒れる大海を突き進んだ27馬力の小さな木造船、その船は今でも我々の胸を痛ませ、深く刻まれている。それなのに、敬愛する総書記が何の安全対策もない小さなゴムボートに乗り、至る所に危険が潜む浸水地域を見て回ると言ったので、活動家たちの心中が穏やかでいられるはずがなかった。

実際、被害地域の住民に対する救助戦闘を現地にて組織し、指揮した総書記は、誰よりも洪水被害の状況をよく知っていた。空撮写真も見たし、被害地域に対する具体的な実態資料も報告された。しかし彼は、頑なにゴムボートに乗船した。

人民をこれほどまでに愛しているので、美しい生活と追憶の宿る大切な人生のねぐらを失った、人民の痛みを自らが直接体感せずには、彼らの痛みの十倍、百倍で解決してやる復旧対策を現地で立てずには、とうてい心を落ち着かせられない、我々の総書記なのであった。

敬愛する総書記の心中で沸き上がる切実な意志が、彼と共にゴムボートに乗った活動家の胸を強く穴あけた。

愛する人民のための、偉大な父の滅私服務の強行軍に、危険が立ちはだかったからと言って、一瞬でも立ち止まることがあっただろうか。

咸鏡南道を台風が襲撃した4年前、被害地域の人民が平壌の空を見上げて私を待っているのだと、家を失い野宿する人民が、この風雨の中で自らを待っているのだと言い、土砂崩れがいつ起きるかもわからない険しい道をかき分けた、敬愛する総書記の献身の足跡が身に染みて思い出され、活動家の胸は火の玉を抱いたかのように熱くなった。

そうするほどに、人民が天のように信じる偉大な父に仕えるという決意こそたくさん固めたものの、彼の肩の上に載った重い荷物を一度でも減らしてみたこともなく、全国の道という道を歩き尽くし、苦労という苦労を全て受け入れる、敬愛する総書記を、渦巻く泥水に浮かぶゴムボートにまで迎えることとなった活動家たちの罪責感は、数え切れるようなものではなかった。

彼が乗ったゴムボートは、行く先も水の中も把握できない浸水地域を、ゆっくりとかき分けて進んだ。

水路のある川や海とは違い、浸水地域は水の流れ方や方向、水深や起伏もわからない、恐ろしい暗礁区域ともいえる。

冠水した鉄道駅の上を進むボート。右には貨車が停まっている(朝鮮中央通信)

水面近くに低く垂れ下がった電線や渦巻きのような不意の危険要素、障害物が、幾度となくゴムボートの前進を脅かした。あちこちにツンとそびえる電柱や街路樹によって、何とか進んでいたゴムボートが、さざ波にもすぐにひっくり返るように左右に危なげに揺れるたび、活動家の心は一層はらはらした。

その時、突然敬愛する総書記が乗ったゴムボートが渦潮に押され、片方に傷をつけて滑っていった。その瞬間、水に浸った街路樹の木の枝が、彼の前で複雑に垂れ下がった。

活動家は直ちに目の前が真っ黒になり、心臓が止まるように思えて、空がすべて見えなかった。しかし、敬愛する総書記はそれを少しも気にせず、ただゴムボートを前に進めるようにした。

緊張し、重い沈黙がゴムボートの上に降りかかった。

敬愛する総書記も、黙々と水に浸った被害地域の全景を眺めていた。しかしその時、彼の心の中でどんな荒波が起きていたのか、活動家たちはまだ知ることができなかった。

敬愛する総書記は、自然の大災害に幸せな生活を失った、自分の血肉のような人民のことを考えていた。近く我が党の下す決心を期待している被害地域の人民の心情を推し量っていたのだ。

目の前に広がったのは、一面の泥水の海、その上にてっぺんだけ覗かせる電柱と街路樹、丸刈りの垂木だけが残った家の屋根…

見えるのは秩序なく流れる泥水だけだった。しかし、敬愛する総書記が胸が痛む気持ちで抱いたのは、その下に沈んでいる人民たちのねぐらだった。

おそらく、洪水でなかったら、街路樹が立ち並ぶあの道路に、躍動する生活が絶えず流れていただろう。街や村の家々には、はつらつとした子供たちの楽しい笑いと歌が響き渡り、田野には豊作をささやきながら、稲穂が揺れていただろう。

不意に水の中に沈んだ人民の、そのすべての活気に満ちた生活を思いながら胸を痛める、敬愛する総書記の眼光には、取り返しのつかない苦しみが満ちていた。

人民の汗と情と熱が込められたすべてが、総書記が自らの命のように思う人々のすべてが、まさにその泥水の下に丸ごと埋まっていたのだ。

ひたすら党だけを天のように信じ、頼り、仰ぐ人民の視線を全身で感じ、家の門を全て叩く心情で、被害を受けた住民と心の中の話を交わしながらゴムボートを走らせる彼の眼光に、突然飛行基地で出迎えられた人々の姿が再びありありと浮び上がった。

洪水ですべてを失っても、自分に向かって万歳を叫び、涙ながらに走ってきた、素朴で飾り気のない人民たち、今も時となく大雨が降り、蒸し暑さが襲ってくる三伏の季節に、馴染みの家を失い不便を強いられている人民たちの苦労を考えてみるほど、彼の胸はさらにしびれるばかりだった。

わが人民は、家と家産をすべて失っても敬愛する元帥様さえいればいいのだと、そうすれば世の中に恐れることも羨むこともないのだと、いつも口にしている。しかし、総書記にとって人民とは、その命はもちろん、生活の小さな細部一つも失うことができないし、失ってはならない、世の中に二つとない空のような存在だった。

人民をあまりにも愛しているので、被災者たちが受ける苦痛について、その当事者たちよりさらに胸を痛め、彼らに必ず大きな幸せを抱かせるのだという決心を固める、敬愛する総書記、子供たちの痛みを和らげるためなら、千尋の水中も、渦巻く炎の中でも躊躇なく身を乗り出す父なる愛と情で、彼は重大な決心を下した。

浸水地域のすべてをきれいにし、世界が驚くほどの立派な新しい家を建てよう。堤防も城塞のようにしっかり築こう。文字通り「災い転じて福となす」という言葉を人民が全身全霊で叫ぶことができるように、羅先市と銀波郡大青里で、剣徳で鳴り響いた、労働党万歳、社会主義万歳の声がもう一度全国を震撼させることができるよう、誰もがうらやむ立派な生活の基盤を築こう。

その日、敬愛する総書記がゴムボートに乗って浸水区域を見て回った時間は、2時間にもなった。茫々とした泥水の上のゴムボートで、敬愛する総書記は、共和国の偉大な転変の新たな歴史を飾ることになる、天地開闢された社会主義の理想村、大変革された島嶼の村の設計図を描いた。

その数時間後、朝鮮労働党の神聖な赤い党旗が垂れ下がった野戦列車の会議室では、党の歴史に特記される党中央委員会第8期第22回政治局非常拡大会議が行われた。

浸水地域から水が引いたら、敬愛する総書記が危険を冒して乗り越えた航路はこれ以上見えないだろう。しかし、人民のために犠牲的に身を乗り出して危険千万な浸水地域を見て回りながら、偉大な転変の新たな歴史を繰り広げる決心を下した彼の足跡は、人民の心の中に深く残っているだろう。党中央委員会の政治局決定書が現実となり、まもなく雨後の竹の子のように立ち上がるきらびやかな家々と恍惚とした仙境の村が、まさに私たちの父の不滅の足跡ではないか。近しい父の愛の手に支えられ、水害の中で生まれた赤ん坊も、まさに労働党が建ててくれた新しい家から第一歩を踏み出すことになるだろう。

まことに、世の中を驚かせる朝鮮の転禍為福の奇跡は、いつでも人民の運命を全面的に担う、敬愛する総書記の滅死服務の強行軍から始まった。

生死もわからない火線の道、水に浸かった線路や木組みの鉄橋、台風の爪痕が残る石の道、銀波郡大青里のぬかるみ道、干潟地の途切れた堤防の端…

誰も行かない険しい道を行き、誰も思いつかない重大な決心を下す、敬愛する総書記の心中にはいつも、愛する人民、身を捧げてでも幸せの最絶頂へ浮かべたい人民だけがいる。

常に人民と生死苦楽を共にしながら、人民の痛みと苦衷を自分のものとして受け入れ、人民の願いと希望なら千万金を投じ、身を差し出してでも花を咲かせてくれる偉大な人間、偉大な父であるので、いかなる極難に見舞われても、人民のために彼が下す決心が、常に伝説的な奇跡として実践されるのは、他にありえない朝鮮の転禍為福の法則だ。

昔から、水害の後には何も残らないと言われる。しかし、自然の狂乱の中で村や家は崩れても、天地の果てまでひたすら敬愛する総書記だけを固く信じて従おうとする、朝鮮人民の鉄石のような信念の誓いは、より深く、より固く根を下ろしている。

あの日の小さなゴムボートは、このように胸が熱くこだまが大きい、偉大な滅私服務の革命逸話を、我が党と共和国の歴史に刻み込んだ。

本社記者 チョ・ヒャンソン

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