VRでも現実逃避できっこない!〜私のVRC体験談
バーチャル世界で現実逃避したーい!!
メタバースだのVRだのが氾濫する昨今。きっと皆さんもVR世界に次のようなイメージを持っている方も多いでしょう。
VR空間なら第2の人生を歩める!
メタバースで全く新しい自分に生まれ変われる!
バーチャルの交流なんて、自分を隠した紛い物のコミュニケーションだ!
実際にVRでの交流を体験した今なら言える。
これ、全部間違いです。
むしろ、VR世界は、残酷までに現実と地続きでした。現実よりも現実らしいといっても良いでしょう。
VR世界を知らない方には意外な話。既にVRChatを利用されている方にとっては「あるある」となる話題を提供したいと思います。
会話の立ち位置でにじみ出る性格
もっとも分かりやすい例を最初に紹介しましょう。
VRChatは大変ざっくりいうと、3D空間でコミュニケーションを取るサービスです。テキストや音声だけのやり取りと何が違うかというと……。そう、立ち位置という概念が加わります。
これが小さいようで、滅茶苦茶大きい。会話の立ち位置で生き方が現れるといっても過言ではない。
VRChatの初心者にありがちですが、初心者同士のイベントで交流を深めるというものがあります。その時の私の立ち位置は大体こんな感じでした。
現実で嫌というほど経験した立ち位置です。4月の教室は大体こう。
いや、完全にぼっちなわけではないのです。会話が盛り上がってて気になるけど、既にできてる輪を邪魔できないので、取り敢えずちょっと遠くで同意してるマンになってるだけなのです。
……大体直後にいたたまれなくなって、完全に一人遊びを始めたり、あぶれたもの同士でぽつぽつと話したりすることになりますが。
この他、3人グループでどこにいるかとか。大人数のパーティで部屋の真ん中の方にいるか、すみっコにいるかとか。集団で移動する時に早々にグループを作れるかあぶれるかとか。あらゆる場面でデジャヴュに襲われます。
VRChatは現実逃避ツールではない。現実再現ツールなのです。
会話に性格ってすごく出るよね
どんなに現実と違う見た目だとしても、性格を変えようとしたとしても、会話という高度なコミュニケーションの前では残酷なまでに現実を映し出します。それは一朝一夕では変えられない、その人の歴史を反映するものです。
例えば、会話のネタのカバー範囲、食いつくポイント、自分と相手の発話量のバランス、気遣いの有無、主導権を取るか頷き役になるか等々……。本当に写し鏡といっていいほどに性格が出ます。
また、対話をする中で交流関係を広げるか狭めるか、そういった細やかな意思決定もまた、現実らしい場面が出てきます。
例えば、こんな時あなたはどうするでしょうか。
自分にとっての一番の友だち、Aさんと話していました。そうしたら、別の人がやってきて、視線が明らかにAさんを向いています。Aさんの声色も高くなって、「あ、自分より仲良さそうだな……」という状況。その後、Aさんやその友だちとどう接するか!
陰の者の私は、Aさんと何となく疎遠になったのは言うまでもありません。いや、みんなで仲良くして交流を広げられるという人も世の中に絶対いるはずです。こういうとこが運命の分かれ道なんだなあと。
陰キャはバーチャル空間でも陰キャなんです。変えようが無い。
外見は理想に依らず現実に寄るという話
私は普段、こんな感じの魚の子になってふよふよと交流しております。ここで、「ああ、そういう"癖"の人か…」と思った方、ちょっとお待ちいただきたい!
VRの姿は、自分の好みそのものとは限らない! むしろ、どう見られたいかが大きいのです!
なぜか。VRChatでは一般的に、一人称視点で行動するからです。三人称ゲームの着せ替え要素と異なり、自分の姿は普段見えないのです。
例えば、どすけべな衣装の娘を見るのが好きだとしましょう。しかし、それをVR空間で着るとどうでしょう。「そういう目的の人だな?」と思われて然るべきなのです!
現実の自分に近づくモデル選び
そう、VR空間は他者とのコミュニケーションの場。自分の姿は、自分を示すアイコンに他なりません。モデル選びの際、私は次のことが頭をよぎりました。
"陽"なノリが苦しいので、大人しい方として見られたい
グイグイ来られても怖いので、一般的に可愛いすぎる姿も避けたい
デフォルメ系が好きなので、その系統の可愛さにしたい
こんな感じに、他者との関わりを意識してモデル選びをしました。
実際、アバターがその人の性格を反映するというのは結構あるのです。サバサバ系アバターの方はそういう空気で話を回しがちであるとか、低身長可愛い系の方はやや受動的、なんなら無言勢率が高いってありがち。
そう、アバターの姿とは間接的に自己紹介をしているのです。これは現実の服選びと相違ないと考えます。
アバターとは願望をそのまま反映させているわけではない。「私はこんな人なので、こう接してくださいね」という希望もまた、多分に含まれていると考えます。
ちなみに私は低身長アバターということもあり、受動的な立ち位置になりがちです。そこは自身の性格と合っていい感じなのですが、たまに濃いケモナーに絡まれるのが誤算でありました。それはそれでいいや。
ペルソナから解放される自分
VRはむしろ、現実よりも現実の自分を映し出すように感じます。それには、ユング心理学でいうペルソナが関わっているのではないかと。
ペルソナとは仮面を意味する語です。例えば、会社員であればその肩書に従い、会社に相応しい行動をする、といった具合です。現実社会で生きる以上、周囲の環境に合わせた自分でいることは大事です。
一方で、周りに合わせ続けるというのも窮屈なもの。仮面を取った内側の自分はどんな人なのか、忘れてしまいかねないです。
そんな時、バーチャル空間というのは現実の肩書から解放されます。現実で社長だろうと王様だろうと、バーチャル空間の中では平等に扱われます。自らが持つ経験と性格が、交流関係にダイレクトに反映されます。
演じるべき自分がいない。だからこそ、バーチャルの自分はより現実の自分らしく感じるのではないかと。
まとめ
現実逃避になればいいやと思って始めたVRChat。しかし、それはもう一つの現実でした。人と接したり、物理的な距離を感じたりする度に、「そういえば私ってこんなだったな……」というのを実感します。
フレンドと疎遠になるのも、実際に会話をしている分、Twitter等に比べて妙にしんどい感じもします。現実の辛さと同じ大きさが襲いかかってきます。
そんなわけで、VRは現実逃避先ではない。現実の拡張世界なんだ。と思う今日この頃でありました。
自分というものを再認識したい方には是非、VRChat世界をうろつながら思索してみてください!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?